PLANET LULU GALAXY!

ルルの日記

HIPNOSIS 「Carrousel」

2007-11-26 15:51:46 | 音楽
Carrousel
クリエーター情報なし
stride


この盤も引っ張り出して聴く・・・。

この盤と一緒に買いました。)

今はこんな感じが時節なのかな・・・?(イメージは 秋→冬って感じ...)

ヒプノシスはドイツ・ミュンヘン出身の2ホーンクインテット。

鬼気迫る2ホーンの緊張感と不安げな女性ボーカル(一曲目“Carrousel”、7曲目“Spring seems to be a little colder”)が特徴・・。(現代音楽、フリージャズにも通じる不安感・・・。)


P.S.唯一付いてるカスタマーレビューが最悪(CDジャーナルの評もなんだかなー。ですが・・・。)、こういう音楽を息をひそめて身じろぎもせず聴くことができない人間は感受性が変だと思う。(それほど緊迫感、集中性のある音楽。)例え日常忙しくとも聴けばハッ!!として息を止めると思うよ。

この盤はかなり魅力的だと思います・・・。

〈とはいえ私の言葉も、経験と熟練とオリジナリティと自信が足りない感じなので、(↑ここまで言い切るからには)もう少し聴きこんで言葉を捻り直すかもしれません...(消費型ジャズとかBGMとか言われてなんか腹立っちゃって。。)(・・・BGMにはならないだろう!? これはリスナーの聴く耳の問題。)(この記事のコメント欄にそのことについて書いてあります・・・。)〉

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Chet Baker Sings

2007-08-02 21:21:55 | 音楽
関東地方は、梅雨、ようやく明けたようですが、なんだか台風の影響で朝方また雨が降ったり...すっきり梅雨明け気分を味わう・・というわけにはいかない感じですね・・・

しかも夏がこんなに暑いだなんてすっかり忘れてた~~
夏好き好きってうるさいほど連呼してた私も「こんなはずでは~~...」って既に夏バテ気味になってます・・・

あんまり暑いので日傘買いました・・・

昨日はとある面接に行っておりました・・・

今日は代官山にある美容室に行っておりました・・・(「PRAHA」というヘアサロンです・・☆プラハの春・・・
今回初めてお願いした美容師さん(大川さん)はチェット・ベイカーがめちゃくちゃお好きな方で、店内の目立つところにチェットのアルバム「Chet Baker Sings」のアナログ盤が飾ってありました・・・(でも実は元ロカビリー、サイコビリー好き・・・クランプスの話でも盛りあがってしまった...笑)


Chet Baker Sings

Pacific Jazz

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↑チェットはトランペット弾き&シンガー肩の力を抜いた中性的でフェミニンとも言えるほど柔らかな声で歌いますそしてそのひととなりは実は相当ダメダメってところにも惹かれてしまいます・・・うちにあるCDはこの緑のジャケなのだけど「PRAHA」に飾ってあったのはモノクロのジャケでした・・・(いろいろヴァージョン違いがある??)

Chet Baker Sings and Plays with Bud Shank, Russ Freeman and Strings

Toshiba EMI

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↑そしてルルの最近のお気に入りの1枚がコレ・・・ジャケもめちゃくちゃキュートだし(キューピッドジャケ)しょっぱなの曲“Let's Get Lost”(←大好き・・泣)からもう、チェット節爆発・・・この後、特に好きな曲は3曲目“Long Ago and Far Away”、10曲目“I Remember You”デス~~


ヘアスタイル、ヴァージン・スーサイズのキルスティン・ダンスト風に仕上げていただきました・・・(前髪は作らず、“お姫風”デス・・そして巻き髪~~
とてもガーリーな感じ~~(ルルチャンお幾つ~~??

でも、可愛くなったところではりきって参戦しよう!!と思ってたRe-Trick氏たちの新宿ストリートが中止になってしまいとても残念でした・・・(ルルにとって一大イベントであるRe-Trick氏ライブ...


今日はダンナさんは“飲み”なので、後でまた漫画喫茶に行こうかな??
次に読みたいのは“ハチクロ”こと「ハチミツとクローバー」なのでした・・・

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デカ女の哀愁

2006-04-03 19:36:44 | 心象風景
うぎゃ~!!!
また失敗してしまった~!!!
museさんのところのレディオヘッドの記事へのコメントで、私はトム・ヨークと誕生日が同じだ~!とプチ自慢したのですが、トム・ヨークの誕生日、7月10日ではなく、10月7日だったらしいです・・・。もんさん、教えてくれてありがとう・・・m(__)m

でも、でも、私、トムと身長が同じみたいです!!ヤッタ!!!
168cm~~♪♪♪

イギリス人の男の人って、背が小さめの人が多いのかな?
バズ・コックスのライブに行った時、出待ちで、そーっと、メンバーの後ろにまわって、背い比べしたのだけど、明らかに私より背が低かったです~・・・。
スモール・フェイセスのメンバーも、背が小さかったから、このバンド名が付いたらしいし・・・。

ちなみに、この話するとダンナさまが機嫌が悪くなるんだけど、私、昔は自分よりも背の低い男の人ばかり好きになってました・・・(^_^;)
中性的なヒトが好きだったんです・・・。(でも、大抵そういう方には私みたいなデカ女は嫌われます・・・泣)
今はもちろん、ダンナさまの体型が理想的だと思ってます!
ダンナさまは、微妙に私よりも背が高くて、割とがっしり型(昔水泳の強化選手だったそうなんで・・)。おしりが小さくて、お洋服が似合う体型です!
ちなみにトム・ヨークは、ゴルチェの服が好き(と、10年前のインタビューに書いてありました。)みたいですが、ダンナさまは、キャサリンハムネットと、ジュンメンと、SHIPSのお洋服が好きみたいでーす!

追伸・ちゃんと、音楽&映画のレビューを書くと決心したはずなのに、また雑談ばかりでごめんなさ~い・・・(>_<)
コメント (13)
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妻は森羅万象と話をしていた。

2006-03-13 16:39:35 | 

あいかわらずコメントのお返しが出来なくてごめんなさい。
ぐずぐずのろのろで、気持ちが座礁してしまってる間はどうしてもお返事ができないのです。
でも、Yoracha!さま、evergreenさま、私がこの先、生き続けるとしたら、お二方のような女性になっていたいです。感性豊かで、世界、文化、人間に対して、少女のようなときめきを持っているお二方・・・。憧れです。

今日は、私が影響を受けた少女漫画のお話をしようと思います。

私が一番好きな少女漫画家は大島弓子さんという方です。

彼女のことは、18歳の時、とあるバンドの打ち上げで出会った23歳のシャイな素敵なお姉様から教わりました。その時の私は、少年誌に連載していた、江口寿史氏の「ストップ!ひばりくん」のひばりくん(美形なオカマキャラ)になりたいと憧れる、少女趣味を否定し、中性願望のある、絶対スカートははかない(いわゆるホットパンツかベルボトム姿で60年代サイケ少女orパンク少女を気取ってました。)今みたいに気も弱くない勢いのある男気溢れる少女でした。

最初に思っていた大島弓子さんのイメージは、“チビ猫”という名の、擬人化された子猫が主人公の作品「綿の国星」のほわほわのメルヘンの少女趣味な世界でした。

確かに、大島弓子さんの初期作品(1968年「ポーラの涙」でデビュー)は、そうした一面も持っているのですが、80年代に入ってからの彼女の作品は、昔から時々顔を見せていた彼女のブラックでビターでシニカルなセンスが色濃く頭角を現してきました。昔からの少女漫画の定型だった、過剰な装飾、とにかくありえないくらいの登場人物の瞳の大きさ、そういったものがなくなり、登場人物も、背景も、何もかも、無味乾燥に思えるくらいシンプルです。それだからこそ後期の彼女の描いていた、人間の心の残酷さ、美しさが読むものの心にぐさりとめりこんでくるのです。

私が今回取り上げたいのは、大島弓子さんの1985年の作品「ダリアの帯」です。
この作品は、ある本で作家の吉本ばななさんが、敬愛していて、自作への影響も与えた存在であるという、大島弓子さんの作品の中でも特に一番好きな作品であると語ってました。

(私事をお話ししますと、1987年に「キッチン」でデビューした吉本ばななさんは、私にとって同時代、リアルタイムの作家だったと言えるのですが、元々、国内だと夏目漱石、芥川龍之介を始めとする、明治、大正、昭和初期の文豪。近代だとかろうじて安部公房氏が好きだった私は、つまり、現代とシンクロした気分になることをあえて拒否していたので、まったく読んでいませんでした。少し世の中への態度が軟化した時に、一作品程度読んだくらいです。その時期に夢中になって読んだのは、「スバラ式世界」「優しくって少しばか」「我輩は苦手である」などの作品を書いた原田宗典さんです^_^;原田さーん!!!早く元気になってくださーい!!!T_T優れたものなんか書かなくていいので、私は原田さんがご家族と幸せで心健やかに暮らしている情報が聞きたいのです・・・!!!話は戻って、吉本ばななさんの良さは私は解らない〈知らない〉のですが、世界的にも、多世代に渡って支持されている吉本ばななさんも「ダリアの帯」は好きな作品だというのがとても感慨深かったのです。大島弓子さんもいろいろな人〈世代〉に知られるようになってほしい・・・。)

また話が脱線してしまいましたが、「ダリアの帯」は、(ベタないい方をしてしまいますが)夫と妻の究極的な愛の物語です。子供を自分の不注意で流産し、狂気にとらわれてしまった妻の姿に直面した時に、夫は何を考えるか、どういう試みをするか。奇行を繰り返す妻と、それでも会社に通い日常生活を送らなければならない現実。

この物語を読んで、今思い返して、私は、愛とは、「覚悟するものなのだ」と思いました。
夫は、いわゆる現実生活=一般的な日常生活、親族、社会的なていさい。すべてを捨てて、妻と共に生きることを選びました。
精神病院から妻を連れ出し逃げる時の、
「どちらが患者(狂気にとらわれている)なのかはわからない」
「ふたりとも患者なのかもしれない」
とのセリフは本当に名言だと思います。
読み返して、涙が出てしまいました・・・。

ラストはお話ししません。是非、みなさん、読んでみて下さい。

 

ダリアの帯 (白泉社文庫)
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白泉社

 

大島弓子が選んだ大島弓子選集 5 ダリアの帯 (MFコミックス)
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メディアファクトリー



この話は、フェアリーテイル(おとぎばなし)だとは思います。

でも、「人生はおとぎばなし」(J・アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」より。小人症の少女で作家になったリリーの言った言葉。)なのだと思います。
それとも、「人生は祭りだ」(フェデリコ・フェリーニの言葉)なのかもしれません。

次は大島弓子さんの「ロングロングケーキ」について書きたいです。

コメント (4)
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小説(無題)

2006-01-30 16:40:16 | 小説
 それは、いつか会ったことがある少年の顔だった。

 彼女と僕が出会ったのは電車の中。
 僕の20歳の最後の日と21歳の誕生日のはざまに彼女と出会った。
 
 いつか会ったことがある少年の顔だった。


 
 僕は、島で生まれた。
 
 根拠も理由もない、傲慢な意味なき自信に満ち溢れた、嫌味な子供だった。

 それは、四方八方からその場所を取り囲む、のん気にも、不気味にも見える、凪
いた海のせいだったのだろうか・・・?

 とにかく、毎日僕は、海を見ていた。

何も動かない、何もやってこないように見えるその海は、外側から僕の自信を支えていた。

 四兄弟の内の、いくぶん年の離れた末息子だった僕は、家の中の、上にいる男たちの権力におびえながらも、その分外ではその権力に守られ、強く出ることができた。
 根拠のない自信とは、そこらへんから生まれたのだろうか?

 僕は、狭い島の中の、極小な少年の社会の中では、自信に満ち溢れた権力者だった。
 友人はいなかった。でも僕は、権力者の立場にいるだけで満足だったから、友人はいらなかった。


 彼は、ハードルの選手だった。
 小鹿のような、しなやかな肢体。向かい風をうけながら、空気を動かしながら、ハードルを乗り越えて、走りぬけていく。
ゴールに着いた時には、満足げな笑顔を浮かべた。
あふれんばかりの笑顔。少しの屈託も感じられない。
一体なんで、あんな顔ができるんだ?

 僕は、生まれて初めて、他人に羨望と嫉妬を覚えた。
 そして、生まれて初めて、家族以外の人に、興味を持った。

 彼は、権力などには、全く興味がない風(ふう)だった。
 ただただ感覚的に生きているように見えた。

 走る、越える。
 走る、越える。

 僕は、教室の窓から、ただ彼を見ていた。
 彼の体は、羽がはえてるかのようだった。
 ハードルを跳び越えるその瞬間、空にとけこむかのようだった。

 美しく、完璧な瞬間だった。



 中学2年生になったくらいから、僕自身を囲んでいた頑丈な外枠は、しだいに周囲ととけ始めていった。
 ハードル少年B(ビー)に興味を持ったことをきっかけに、学校の中に居る、他の人物にも興味を持ち始めたからだ。
 いろいろな人がいる。人は、個人個人いろいろな特性を持っている。ひじょうに興味深い。
 自分とはちがう、他人の中の世界に、興味をもち始めた。
 その内、友人すら出来始めた。これは、悪くなかった。案外。
 時間が止まったかのような、小さな島の中の、小さな子供たちの社会。(少し先の未来に来るであろう、学歴社会、競争社会の中のしのぎをけずる争いなどは、凪の中の海の遠くに見える、ぼやけたユーラシア大陸みたいなもんだ。)その中で、ひまつぶしをするには、一人よりも、多勢の方がすごしやすい。
 とにかく、僕にとって、この時期は、ものすごく楽しかった。

 Bはある時僕に言った。
 渡り廊下を、友達と談笑しながら歩いてる時、ポンと肩に手を置くやつがいた。
振り返ると、Bだった。
 ヤツは、例の屈託のない笑顔を浮かべながら、僕に言った。
 「君、丸くなったよね。その方がずっといいよ。」
 どうやら、彼も、僕を見ていたらしい。


 僕は、18歳の時に、その島を出た。
 何もかもが、飽和しはじめたからだ。
 家族の中も、島も、すべてが狭くるしかった。
 Bは、その島に、残った。




 僕は、20歳の時に、彼女と出会った。
 正確にいうと、20歳から21歳に移りかわるその間・・・。
 僕の視界に、彼女が映った時、ハッとしたのは、彼女がBに似ていたからだ。
 彼女は僕を見た。一瞬、目を見開き、口元をキュッとしめ、緊張したようだが、すぐに表情を崩した。
 「○○くんだよね!話は聞いてるよ!今日は、イン?アウト?私の方はアウト。人とケンカしてきたばかりなんだ!」
 たたみかけるように、一度に話し始めた。

 僕は、彼女の崩れた表情に、興味を持った。

 ところで、元権力者の僕の元にも来るべくして来る競争社会のことだが、僕にはくだらない争いのように思えたので(島育ちだし、本土のことは傍観的にみる。なんつって。)自ら、枠の外に出ることにした。僕はそんなことには、興味がない。
 東京に出てくれば思うことだが、このスバラシイ世の中は、何をしても生きていける。
 何でも受け入れてくれる」、スバラシイ都市、トウキョウ。
 出てきてよかった!あんな、小さくて息苦しい孤島から!
 スバラシイよ!人生ってスバラシイ!
 ただただ、アホウみたいに素晴らしい時期だ。10代から20代にかけて見た、桃源郷みたいに素晴らしい時代。(あぁここは、おぼろげに見えた、ユーラシア大陸?イヤ、僕はそれをさけて来たから逆側だね。ってことは、ここは、オージーか!?ドロシーがたどりついた、オズの国?!)
 モゥ、大陸さえ転がせそう。僕は、はしゃぎまくってた。調子に乗りまくってた。
 大学生だったし、島の実家が裕福なので、何も心配はなかった。

大学の授業が終わると、夜はクラブに行ったり・・・遊びまくってた。
学校に行かないで年上の友達と音楽バナシしたり?さすがトウキョウには、音楽にかなり詳しい奴等が集まってくるね。

 僕が音楽を聴き始めたのは、中学生の頃だ。
 その頃、日本ではYMOの全盛期だった。
 僕は、一番仲の良かった次兄の影響で、クラフトワーク、ディーボ、トーキング・ヘッズなどを聴いていた。同時に長兄がプログレッシヴロックを聴いていた影響で、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシス、ピンク・フロイドなどの有名どころを聴いていた。あと、一番影響を受けたのは、フランク・ザッパだな。
 これだけでも、わかるでしょ?僕がサラブレッド並の偏屈人間として培養されたこと。

 僕が行ってたクラブは、80Sのニューウェーヴ、ネオサイケから、90Sのジャンク、オルタナティヴ的な音楽を中心にかけていた。(あとノイズなんかも・・・)
 それらは、僕のもろ好みってわけじゃないけど、なんか新しい世界って感じで、クラブの空間そのものに高揚した。
 
 彼女も、そのクラブに来ていた。
 週一回くらい、そのクラブで顔を合わせることになった。
 彼女は、ソニックユースとか、マッドハニー、昔の音楽だったら、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとか、ストゥージースが好きだと言っていた。
  
 ソニックユースがかかると、彼女は音楽に合わせて踊り出す。
まるでハードルを跳び越える時のBの姿のようだった。森の中で、猟師から逃げまわる小鹿のようでもあり、音楽から追い立てられているようでもあった。

 僕は、島から出て来た、ダサい大学生だったけど、それもキャラクターだという自信はあった。だって僕は頭がいいし、島での元権力者という実績もある。正統な戦いをしなくても、ニュートンやアインシュタインやコリン・ウィルソンみたいに、中島らもや、フランツ・カフカやフィリップ・K・ディックみたいに、いずれは、伝記にもなる人間に成れると信じてた。

 その時のことを考えてみろ!
 今は、まだ、その序章なんだ!



 そのうち、彼女は、そのクラブのDJと恋に落ちた。


 わかってる。競争社会は幻想だと思ってるけど、人はとかく、その幻想にまどわされやすいものだ。
 王道の競争社会は、避けて通ったけれど、他の道でも競争なんてある。いくらでもある。

 彼(DJ)は、僕が一目置く存在だった。年は同じだったけれども・・・。
 見てくれがかっこいいってわけじゃない、きっと。少し、母性本能をくすぐる容姿っていうの?
 背は低いし、痩せてて、中性的な雰囲気で・・・。黒ずくめの“うすい”印象・・・。彼女はそういうところに、魅かれてたんだと思う。

 でも、外見の印象なんて、意味がないよ。
 彼は、故郷の××では、いけてない、さえない類だったかもしれないけど、ここ、トウキョウでは、同じ幸うすい人種が、集まってくるから、(僕を含めて)そこが重宝がられる。土着が意味をなす、故郷の土地がらとは違って、ここトウキョウでは、うつろいやすいのが魅力、消えやすいのが魅力、浮き足立ったのが魅力。
(しかし、彼女には、彼の故郷でのありようが透けてみえなかったのか?やはり、女っていう生きものは、愚かだ。思慮が浅い。ほんと、憤懣やるかたない。)

 彼(DJ)は、僕の友達だった。僕が彼を認めたのは、音楽の知識量が膨大だったからだ。僕は脱帽した。彼を認めた。それが一時的なものでもね。
 まぁ、未来の偉伝の為に必要なのは、目の前に仮想敵国を作ること。それが地道な努力かもしれない。トウキョウでは、常に二番手でいること。それが追い落とされない為の賢人のやり方だ。

 しかし、僕は落ち込んだ。
 東京に出てきて、はじめての挫折感だ。

 彼女なんて、すぐに征服できそう」だったのに。
 だって、彼女は、僕の島の友人にそっくりだったから。
 彼は、僕を見ていた。

 彼と彼女なんて、同じようなもんだ。
 一体どこが違うんだ?同じような容姿で、同じような身のこなし。

 しかし、彼女は僕を無視しているかのようだ。
 初めて会った時は、あんなに、おびえて、あんなに僕をみつめていたのに・・・。



 ある時、彼女から電話があった。どうやら、彼(DJ)に、振られたらしい。
 僕は、冷たくあしらってやった。

 女なんて・・・愚かだ。
 容姿は同なじだが、島にいるBの方がずっと美しい。高尚だ。完璧だ。ずっと、尊い。

 女なんて、大嫌いだ。
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男の子に負けたくなかった

2005-12-05 21:21:49 | 心象風景
土曜日は音楽のことで、日曜日は哲学のことで旦那さまと大喧嘩になりました。
それは、地球が壊れるような騒ぎでした。階下の方、ご迷惑おかけしました。

私が、何で、心から男の人に尽くす可愛らしい女の人になれないのか、考えてみようと思いました。

*幼い頃、テレビはキャンディ・キャンディなどの少女ものより、ウルトラマンなどのヒーローものが好きで、ヒーローになりたくて、夜眠ると、バルタン星人と戦う夢を見た。
*兄が2人居たので、家庭の中でのケンカから、ケンカのしかたを学び、学校で強い人、特に男の子をやりまかすのが好きだった。
*兄が2人居るので、自分のことを兄と同じ男の子だと思い込み、立ちションまでマネしていた。
*ヒーローになりたいので、学校の女の子(私にとっては、お姫様たち)を守ろうと毎日男の子とケンカ。あだなは男おんな。
*私の母親が田島陽子好きのちょいフェミニストである。母親の父は、山で狩りをして、海で魚つりをする自由人。母の母は、助産士で、元祖職業婦人だった。
*両兄が高学歴、私だけ大学に行っていない。そのことによるコンプレックス強し。
*討論好きで、日常的にディベートが行われるような家庭に育った。もちろん末っ子で、あまり頭の良くない私はいつも言い負かされ、くやしい思いをしていた。
*自分のことを男の子だと思い続けるのは、当然無理。思春期でつまづく。自分から出てくる女らしさにとまどった。
*初恋を経験するも、つらい失恋。つらい思いをしたのは男の人を好きになったからだ、と極端な考え方をする。もう男の人とは恋をしないと誓う。
*パンク、ロックを知り、中性の魅力を持つ、女性ミュージシャンに惹かれる。パティ・スミスを聴いて、ショックを受ける(でも、幼稚だったこの頃には、わからなかったけど、この人は母性にあふれたすごく女性らしい人だと思う。)
*学歴がないので、音楽のことでは負けたくなかった。でも協調性のない私は、バンドらしきことをはじめても長続きせず。集中力もなく、音楽探究もうまくできなかった。・・・でもなんで男の子って、あんなに音楽のことに集中できるんだろう。私は、音楽探究の仕方がわからず、結局中途半端で男の子の知識量には、勝てないままなのだ。しかしそもそも勝ち負けを考えるのがおかしいとダンナさまは言っていたのですが、勝ち負けだけではなく、私は音楽を愛しているのです!そのあまりにエキセントリックで、ファナティックで、デスペレートになってしまう。(それは、すごく理不尽で、ださくて、野暮な音楽への接し方だとはわかっているのですが・・・。)過剰反応になってしまうのは、周りに、はっきりと「所詮、女ってバカだからさぁ~。」とか言い放った前衛音楽家を自称する男の人が居たからです。(その人との戦いは、7年にわたって続きました。でも数年前に和解、今はその方の活動を応援してます。)コンプレックスのために自分をおとしめてきたのは、最近気づきましたが、やはり、私は自分の女的なDNAがいやで、勉強のできなかった自分があきらめきれないのです。
自分の女的DNAを認め、自分は頭が悪かったと認め、旦那さまに尽くすにはどうすればいいのか・・・。もうふっきれて、私は変わったんだと思い込んでいましたが、昔の性分を捨てられません。もうひとつ、私は自分の悩みを解明したいがために、独学で学ぼうとしていた、哲学という学問を、何一つ解明できないまま放り出してしまったのです。モンティ・パイソンのネタの哲学者サッカーにおけるニーチェのように、「ユリイカーーー!!!(わかったーーー!!!)」と叫び、その上でサッカー(じんせい)を始めたい。・・・でも哲学を解るのは、度量が必要なのかもしれません。私は、人生に誠実に取り組みたくて、いろいろなことを考えながら生きたいのですが、それは学問によって学ぶものではないと旦那さまに諭されました。それは、人間関係、社会生活において学ぶものだと・・・。私は長きにわたって、人を寄せ付けず、人を理解しようとせず生きてきました。女性にはめずらしく、お茶を飲みながらおしゃべりするようなお友達もいません。尊敬する女性は何人か居ます。でも、そうだと余計ひとみしりしてしまい、仲良くなれません。

・・・旦那さまが帰ってくるみたいです。旦那さまは、肉親でさえ手を焼いて、匙を投げていた厄介な私の内なる戦いを、親身になり、考えてくれた人です。時々混乱してキチガイざたを起こす私を、見捨てずに支えてきてくれました。旦那さまは、無条件に愛情をそそいで守っている私が、なんで、善意を悪意にとり、破壊的なことを旦那さまに対して言ったり、旦那さまをねたんだりするのか、わからないと言います。・・私にもわからないのです。長年自分の心の中でこねくりまわしてきた、自意識をどう処理すればいいのかわかりません。

前回の日記の時に、心ないトラックバックが付き、消去させていただきました。
ここ2日間ほど、いつものルルの調子ではない文章を載せていますが、しばらくすれば戻ると思います。私の記事を褒めてくださった、沙也歌さん、ありがとうございます。最近はこんなに暗い文章でゴメンナサイ・・・。初めてトラックバックくださった、Cottonwoodhillさん、ありがとうございます。一生懸命書いた文なので、すごくうれしかったです!音楽に対してこんなにドロドロした気持ちを持ってて、恥ずかしいです・・・。もっと修行が必要ですネ!
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