1965年、ポール・ウィリアムスは映画初出演と同時期に、新番組として企画されたテレビシリーズ「ザ・モンキーズ・ショー」の主役オーディションを受けます。しかし“背が低すぎる”ということで不合格。(他の落選者も、ステーィヴン・スティルス、ヴァン・ダイク・パークス、スリー・ドック・ナイトのダニー・ハットン、とそうそうたる面子・・・汗)しかし、運命は因縁めいていて、オーディション落選から4年後、1969年に、ロジャー・ニコルスと共に、モンキーズの為に「サムデイ・マン」という曲を作ることになります。
「サムデイ・マン」は、ポール・ウィリアムス自身の2枚目のソロシングルとしても売り出され、同名のアルバムでポール・ウィリアムスはシンガーソングライターとしてのスタートを果たします。(以上は、ポール・ウィリアムスのアルバム「A&M Greatest Hits」の日本盤ブックレットからの情報を参考にしました。)
アルバム「SOMEDAY MAN」の1曲目、「サムディ・マン」はとてもリズムが凝っていて、たびたび転調し、2分少々の曲なのでとても簡潔ですが、その中に音楽の生み出すことが出来るトキメキを凝縮したような曲です。
出だしのベースラインでこれまたノックアウト(←またかよ・・)
そして、ポール・ウィリアムスのかすれた声の持つ哀愁と、かすかな爽やかさにまたため息・・・。
私は、4曲目の「モーニン・アイル・ビー・ムーヴィン・オン」も好きです。
福音のようなトランペットの音から始まり、これまたリズムが不思議。アコギとピアノ、そしてオーケストラにより、音が複雑に構築されていて、これまた、せつなくて・・・、泣きます・・・(T_T)
真面目すぎてちょっぴり退屈気味な曲もあるので、ポール・ウィリアムスは、曲調やアレンジに遊びを持たせた曲に、発想の自由な広がりがあり、魅力があるのかな?と思いました。
でも、真面目すぎるアーティストって、私の一番好きなタイプのアーティストです。
真面目で勤勉すぎたせいなのか、ポール・ウィリアムスは、80年代から、15年もの長い間、事実上活動休止状態になってしまいます。彼は創作活動ができない間、ずっと、アルコールやドラッグに依存する生活を送っていたそうで、「こんなに、魔法のような、でも、すごく誠実な音楽を生み出す人がそんなに苦しまなければならないなんて・・・」とやりきれない気持ちになりました・・・。
しかし、ポール・ウィリアムスの「A&M Greatest Hits」の日本盤ブックレットに解説を書いた長門芳郎氏によると、1996年には、復活し、ニューアルバムのレコーディングを始め、とてもいきいきした表情の彼に再会することが出来たとのこと・・・。
15年間はすごく長かったけど、やはり、創作をしない間も彼はアーティストだったのだと思います。だから復活できた・・・。また青いこと言っていますが、美しいものを生み出すアーティストほど、なんで心に底なしの闇を抱えてしまうのか。闇の部分が深いほど強い光を放つことが出来るのだという話も聞きますが、ポール・ウィリアムスが、1974年に、音楽界の悪の黒幕“スワン”を演じていたことを考えるとなんとも皮肉めいた運命のような気がします・・・。
2006.4.14 追記:後で知ったのですが、「SOMEDAY MAN」のすべての楽曲の作曲者は、ポール・ウィリアムスの盟友である、ロジャー・ニコルスだったみたいです。このことで、私があらゆる文化を自分の中で循環するのみで満足してしまい、他の方からの情報と交流せず、正しい知識を得ようとしていなかったことが解ることができました。これからもっと勉強します。
でも、作曲者が、ポール・ウィリアムスであっても、ロジャー・ニコルスであっても、「SOMEDAY MAN」が、素晴らしい作品で、私がその魅力に夢中になってしまったのには変わりがありません。これからロジャー・ニコルスのことについても勉強しますね(^_^)