茫庵

万書きつらね

2012年07月02日 - 詩人ならラテン語くらい 1

2012年07月07日 12時34分20秒 | 詩学、詩論

詩人ならラテン語くらい 1

 先月、そろそろ始動か、と思い立ってからやっていた事のひとつがラテン語です。

 以前から度々挑戦しては撃沈する、を繰り返してきたラテン語。
 またもや挑戦の運びとなりました。最初に挑戦したのは高校生の時。38年も昔のことです。大学書林の難しい本しかなく、何やらよくわからないうちに挫 折。それから度々読み返すなどしましたが、どうにも飲み込みが悪く、そのまま放置していました。最近では時代は大分変わって、お手頃なラテン語の入門書を そのへんの書店で見かける様にはなりましたが、ラテン語そのものが変わったわけではないので、また苦戦するでしょう。

 今回は、直接のきっかけはGoetheの詩を読んでいたらラテン語の添え書きに出くわした事でした。そういえば欧州の文化人、教養人は、日本では漢文を 当たり前のように嗜む様に、ラテン語やギリシャ語に堪能なのだった、と思い出して、現在日本現代詩の源流を探る歴史探訪の旅の途中でもあるし、欧州詩から ラテン語の詩に寄り道するのも悪くない、と考えて、再度挑戦を決めたのです。

 7月2日。ついに白水社の有名なシリーズのラテン語入門書を購入。CDつき2600円。安いです。今はラテン語入門のサイトが山ほどあるので、材 料には困りません。英独仏日語で勉強できます。ほんと、すごい時代になりました。辞書も、PC用、Android用それぞれフリーのラテン語辞書をダウン ロード出来たので、あとは自分のヤル気と実行力だけの問題です。

 目標は、多少でもいいからラテン語で書かれた詩文を読みこなせる様になること。
 意気込みだけはあるのですが、日本語現代詩への道のりは遠いです。

 日本の詩は西洋言語の詩の再現(新体詩)から始まっていますし、その西洋の詩の骨格的部分で大きな影響力を持っているのがギリシャ、ラテン語の詩と詩学 なのですから、欧州言語詩の源流に触れたいなら、ここは新たなる言語世界に足を踏み入れてみることとしましょう。詩を読んだり書いたりするのが好きなだけ でいいじゃないか、という向きもありますが、狭いボキャブラリーの中で好きな言葉しか用いず、思うにまかせて勝手気ままに詩文を綴るだけなら萩原朔太郎の言う、情にまかせて 獣が吠えているのと何ら変わる事がありません。そんなものを詩と呼んで良いのか、私はとても疑問に思います。詩である以上知的操作の高い芸術でなければな りませんし、素養も下知識も必要です。そのあたり、勘違いしている人が多いと思います。特に(自称)詩人という種類の人々の中に。敷居を下げて自分の不勉 強の言い訳にするなーーと言いたいです。

 そういう考えもあって、本稿は敢えて「詩人ならラテン語くらい」としました。



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