茫庵

万書きつらね

2012年02月07日 - 日本語Stanze練習 - 川辺の曲

2012年02月07日 01時09分32秒 | Stanze

2012年02月07日 - 日本語Stanze練習

脚韵は聨ごとに変わりますがパターンはababです。
詩脚の音数は五四三五四で4聯構成です。
ずっと同じだと単調になるので一部破調になっています。


川辺の曲

あしひきの山辺の里に ひとすじの川あり
両岸の堤路(ていろ)のほとり 立ちすくす樹、二本
かたや松 こなたは桜 相慕ふ 切なり
松の精 見初めし桜 一歳(ひととせ)の変遷

にはたずみ川面(かわも)に映る 艶姿(あですがた)いとしき
青々と装い変わり 涼しげにたたずむ
茶がれてもなほまた風情 秋風のささやき
健気にも木枯らしに耐え 蕾を育む

はなぐはし桜の精が 憧れる常緑(じょうりょく)
一年の変わらぬ姿 貫きたる孤高
魂が、厳しく生きる 清らかな道ゆく
果つるまで寄り添いてこそ 魂の本望

とほつひと松また夢む いつの日か桜に
胸の内伝えてともに 漕ぎ出づる大海(おほうみ)
かなしきは樹の性ならん、縛りあり、我が地に
両の精対岸見つめ ただ見つめ 立つのみ


 この詩は以下に述べる様に、単なる悲恋の詩ではありません。

 漢詩では、松は一年を通して姿を変えないところから信念を貫く崇高な存在として描かれますが、その松に憧れる桜の四季折々に変わってゆく美しさ を、松もまた愛しく思います。樹の精である二人が本体の樹のそばから離れられないのは自ら動く術を持たない樹の性(さが)というべきもので、別に川が二人 を隔てているからではありません。二人の間を川が流れているのには別な意味があります。即ち、川は二人を隔てているのではなく、川を間にする事で二人は繋 がっているのです。松が漕ぎ出す大海とはとりもなおさず目の前の川の先にある物であり、今いる山の里から別世界へと旅立つ事は、気高い魂に相応しい壮大な 夢な訳です。

 翻って現実の世界に生きる我々はどうでしょうか。この二人を笑う事が出来るでしょうか。我々には固い絆で結ばれた相手はいるでしょうか。我々にとって、 その相手と自分をつなぐ川とは何で、松のように大志はあるでしょうか。大海とはどんな世界なのでしょうか。我々は旅立ってゆく事が出来るのでしょうか。


 あなたの心にはどんな答えが残りましたか?

 



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