茫庵

万書きつらね

占術 - おみくじ

2011年12月31日 16時59分00秒 | 占術

占術 - おみくじ

 おみくじの季節。
 寺社境内には沢山の人がごったがえして一喜一憂します。

 本来の、信心の在り方を見直す為のお告げ、という意味合いは薄れ、
 単なるひまつぶしや娯楽の類に変貌を遂げた感が拭えませんが、
 よく聞かれる事について私見ながら述べてみたいと思います。

1.吉凶の序列
 これはそのおみくじを販売している処で確認するしかありません。
 私自身は吉>小吉>中吉>大吉>大凶>中凶>小凶>凶
 と思っています。大中小は、プラスマイナスのぶれの大きさなので、
 良い半面悪い反動も大きい、という理解でいます。要は、ハイリスクハイリターン
 というわけです。従って、うまくいけばうんといい、が良いか、まあまあ
 自然に良い方向に流れるでしょう、というのを良いか、という選択で、
 私は後者を優先した、というだけにすぎません。
 もちろん諸説あります。

2.何度も引く
 昔、明智光秀が戦勝祈願に立ち寄った愛宕神社で3度も引いた、という故事が
 伝えられていますが、感心しません。このご時勢、お寺や神社は
 「どうぞ何度でも」と云うでしょうが、明智光秀が意中の籤を手中にした後
 どうなったかは歴史が語ってくれるところです。

3.樹の枝に結ぶ
 これも販売している処で確かめるのが無難です。
 よく云われるのが悪い結果だったら枝に結んでくる、というものですが、
 結果に関わらず結ぶ場合も、常に持ち帰る場合もあるようです。
 私は年初のおみくじは一年の糧とすべきものなので必ず持ち帰ります。

4.どこのおみくじが当たるか
 これは正直判断できません。
 何を以て当たりと断ずるかにもよりますが、
 言ってみればすべて当たりというしかありません。
 その寺社に行って、おみくじを引く、という事も、
 一種の縁だと考えられます。とすると、
 その時点において、そのおみくじの言葉が何らかの
 意味を持つからこそ引いた、という解釈も成り立つ訳です。
 私は自分の行為を無にしたくないのでそう考えています。

 

もひとつおまけです。

5.合格祈願
 気休めにしかなりません。
 ちょっと考えれば分かります。
 ライバルも皆同じ気持ちなのですから、
 最後にものを云うのは実力が発揮出来るかどうか、
 ということです。どんな場合でも実力が発揮出来る様に
 コンディションを整える一助になるなら意味があります。

 



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