続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

選ばれた情熱

2006-07-17 | 史学講座
 古代エジプトの王、ツタンカーメンの墓を発掘した人々が、墓の入口にあった「王の眠りを妨げる者は、死の翼に触れるべし」という碑文どおり、次々に怪死した事件は、ツタンカーメン王の呪いとして、あまりにも有名です。
 もっとも、科学的には、墓の中に封印されていたある種のカビが、人々に肺炎などを引き起こし、特に高齢者には致命的な症状を引き起こして死亡させた、というのが定説となっています。現代でも、ツタンカーメン王墓に立ち入った旅行者が、この肺炎を発症して亡くなるという事故が発生しています。

 さて、話をオカルトに持っていくつもりはありませんが・・・

 発掘のスポンサーであるカーナボン卿をはじめ、ツタンカーメンの「呪い」で亡くなった人は多数に上ります。しかしその中には、明らかに肺炎とは違う症状の者も数多くいます。また、高齢でない者も少なくありません。しかし何よりも、発掘に情熱を燃やしたハワード・カーターその人は、真っ先に死ぬどころか、生涯「呪い」を受けることなく、発掘をすべて終え、報告書をまとめたあと、66歳で死亡しています。
 また当時の発掘では、発掘者やスポンサーが、出土品を自国へ持ち帰るのは「常識」で、もちろんカーナボン卿もその一人でした。その意味では、利益に目がくらむことなく、純粋に発掘をしたのはカーターだけであったとも言えます。

 考古学の発見には、情熱の勝利と言うべき事例がたくさんあります。カーターがツタンカーメン王墓を発見したのもそうですし、ハインリッヒ・シュリーマンが、子どもの頃から夢見つづけていたトロイ遺跡を発見したのもそうです。

 私には、カーターもシュリーマンも、「選ばれた人」だったとしか思えません。カーターはツタンカーメン王に、シュリーマンはトロイ遺跡の人々に、「その情熱には負けた。お前になら見せてやろう。こっちを掘ってみろ」と選ばれたのです。
 たしかに、確率論などを持ち出してくれば、ツタンカーメン王墓もトロイ遺跡も、カーターやシュリーマンでなくとも、いつか誰かが発見したかもしれませんし、情熱を持って発掘にあたれば、発見の確率はより高くなります。しかし、そう考えるのは「畏れ」を知らぬ不遜な者です。

 先日、福岡市博物館で開催された「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」を、カミさんと見学してきました。また、早起きして福岡に駆けつけた甲斐あって、吉村教授の講演を聴くこともできました。(吉村教授にサインをもらって握手をする権利は、カミさんに譲りましたが)
 今回の目玉は、吉村教授が衛星を使って墓の位置を特定し、見事発見した、行政官セヌウの青いミイラマスクです。きっと吉村教授も、セヌウに「選ばれた人」だったと思います。

 日本の考古学史上、最大の謎は邪馬台国の卑弥呼でしょう。一体、いつ、誰が、卑弥呼に選ばれるのでしょうか?それとも卑弥呼は、永久に誰も選ぶつもりはないのでしょうか?

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