続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

ニッポニア・ニッポン、種の保存と環境保護

2010-10-26 | 社会学講座
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 ニッポニア・ニッポン(Nipponia Nippon)とは、トキの学名です。

 日本語には「トキ色」という、色を表す言葉がありますが、どんな色だかすぐにひらめく方は、おそらくいないでしょう。(ちなみに、トキが翼を広げたときに、光が透けて見える、赤に近いピンク色のことです)
 しかし、今でも「柿色」や「蜜柑色」、「葡萄色」が通じるように、昔はトキ色という言葉が通じていたこと自体、日本人なら誰でも、「トキ色」と言われれば、「ああ、あの色か」と合点がいくほど、トキはどこにでもいる鳥だったのです。

 トキは、佐渡トキ保護センターをはじめ、数個所で繁殖・飼育が続けられ、2010年現在、約170羽にまで増えたそうです。
 ただしこれらは、みな中国産トキの子孫であり、純日本産のトキは、2003年に推定36歳の「キン」が死んだことで、完全にいなくなりました。
 もっとも、中国産と日本産に分類学上の違いはありませんから、まだ種としては「絶滅」というわけではありません。

 地球上に存在した種の99%は、既に絶滅しています。
 恐竜のように、地球外の要因によるものもありますが、多くは、環境の変化に適応できなかったり(恐竜もそうですが)、捕食者によって絶滅へ追い込まれたり、より強い生物にエサを奪われ、取って代わられたり、といった理由によるものです。

 絶滅する種は、種としての寿命が尽きているのです。
 それは、他の99%の種と同じく、環境や捕食といった要因が、その種を栄えさせる時から、その種を絶滅させる時へと移ろっただけのことです。
 それが地球の歴史であり、自然なことです。
 無論、人間もトキも例外ではなく、いつかは99%の内に入ることでしょう。

 さて、そうであれば、絶滅しつつある種を保護するのに、どんな意味があるのでしょう?

 「人間が、環境を変えてしまったり、乱獲したせいで、その種が絶滅の危機を迎えている。だから、人間の手で回復しなければならない」という考えかたは、一応、もっともです。

 アメリカで、最盛期には空が真っ黒くなるほどの個体数を誇ったリョコウバトは、みな、ステーキになってしまいました。
 日本でも、島を埋め尽くすほどのアホウドリは、羽毛布団になってしまいました(まだ絶滅はしていませんが)。
 トキも、乱獲や、農薬の影響などで、水田でトキの餌となるドジョウやカエルがいなくなったことが原因で、気がついた時には、トキは、自然界で繁殖が継続できる個体数を下回ってしまったのです。

 このほか森林の減少、炭酸ガスによる地球温暖化、その他人間が原因となって、絶滅または絶滅の危機に瀕している種はたくさんあります。

 しかし人間とて生態系の一部であり、人間自身が生き延びるためには、他の生物を、食料にしたり、衣服にしたりと、必要があって動物を殺したり、環境を変えてきたのであり、それが悪いと言われても、人間としては、食うものも食わず、着る物も着ずに生きていくわけには行かないのです。

 ただそれが、文明の力を用いて、ゆったりとした地球の時間の流れに比べれば、はるかに短い時間で、劇的な、それこそ絶滅に追い込むほどの変化をもたらしたため、人間は自らの行為を、「これはひどい」と評価するわけです。

 でもよく考えてみれば、今この瞬間にも絶滅してゆく種があるわけですが、それらのほとんどは、人間の行為など関係なく、種としての寿命が尽きたものたちです。

 だからと言って、「人間の手で種を絶滅させてもかまわない」というつもりはさらさらありません。
 人間には、過去を振り返り、将来の展望を拓く知恵があります。種の絶滅を、自分たちの行動の評価指標として、環境や生態系保護を行おうというのは、決して悪いことではありません。

 間違っていただきたくないのは、大目的は環境保護であって、種の保存は手法の一つだという点です。
 そして、環境を保護することで、結果として種も保存されれば、もちろんそれに越したことはありません。

 しかし、それでもなおかつ絶滅してしまう種は、環境の変化に弱いとか、捕食者から逃げるのが下手であるとか、元々、種としての長寿を保つことができない進化をたどったもので、人間の手によらなくても、いずれ近いうちに絶滅する種だったかもしれません。

 スマトラ・ボルネオ島では、森林の減少により、オランウータンの絶滅が危惧されています。

 森を回復することで、オランウータンが絶滅の淵からよみがえれば、それが最も望ましいことです。
 しかし、オランウータンを檻に入れて「保護」し、森林の減少には歯止めをかけない、というのであれば、全く話が逆です。

 また中国では、ジャイアントパンダの保護に力を入れていますが、ジャイアントパンダは生殖器に異常があり、種としての存続は、自然の中では絶望的です。
 それなのに保護しようとするのは、ジャイアントパンダが非常に愛らしい動物であるとともに、中国としては格好の「売り物」だからです。

 トキにしろオランウータンにしろジャイアントパンダにしろ、彼らを「保護」するのは、人間のご都合主義、もしくは自己満足に過ぎないと思いませんか?
 その証拠に、愛らしくもなく売り物にもならない他の種は、絶滅するに任されているではありませんか。

 生物多様性条約?
 今まで散々環境破壊をしてきた先進国の考えることなど、どうせ本音は、最終的には、人間にとって役に立つ(愛玩も含む)生物、「カネになる生物」が対象です。

 さて、話をトキに戻しますが、私は、日本のトキ保護センターは設立すべきでなかったと思っています。

 必要があったからトキを殺したのは仕方がないとしても、繁殖の限界を下回るまでに殺し続け、生息環境を奪ってしまったことは、日本人が愚かだったと認めざるを得ません。
 こうして我々は、ニッポニア・ニッポンの学名を持つ純日本産のトキを、とうとう「絶滅」させてしまいました。
 それは、中国からトキを輸入し殖やすことぐらいでは、到底回復できない罪です。

 そのことを我々は、トキの剥製を見るたびに思い出し、新たな自然保護への決意としたほうが、これから先、生半可な自然保護を謳うより、はるかに有効であるとともに、我々の手にかけられて死んでいった純日本産トキへの、せめてもの供養になると思うからです。

 「代わりのトキがいるからいいんだ」では、純日本産トキが浮かばれません。

 さもなければ、ニッポニア・ニッポンの次に絶滅するのは、ニッポンジンだということになるかもしれませんよ。
 そうなってしまっても、純日本産でなくてもホモ・サピエンスに違いはないから、ということで、他国から「輸入」して殖やしますか?

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