続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

免許とプロの責任・矜持、故意か過失か未必の故意か

2011-01-03 | 社会学講座
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 車は、免許がなければ、公道上で運転してはいけません。

 これが、塀で囲まれた私有地の中などであれば、道路交通法の適用がありませんから、免許なしで運転しても構いませんが、公道で運転する場合に、自分勝手な運転をされたのでは、他の車や歩行者に危害を加えるおそれがあります。
 ですから、車を確実に運転する技術や、安全な運行をするための知識を備えた者にだけ、免許が与えられているのです。

 さて、人間は誰でも過ちを犯します。ですから、過ちならまだ許せますが・・・

 幼児が、赤信号で横断歩道を渡ったとしても、幼児は交通ルールを知らないのですから、幼児を責めるのは間違っています。
 小学生が、赤信号なのについ道路へ飛び出したとしても、小学生ぐらいでは、まだまだしっかりした注意力が備わっていませんから、学年に応じて叱られるぐらいでしょう。

 しかし、大人が赤信号を無視したらどうでしょう?
 さらに、免許を持って運転している車で、信号無視をしたらどうでしょう?
 その大人は、全面的に責められても仕方ありません。

 なぜなら、大人は交通ルールを知っているという前提で、社会が成り立っているからです。
 さらに、車を運転する人は、交通法規を知っているという前提で、免許が与えられています。
 では、交通法規を守らなかったらどうなるか、これまた免許保持者は知っています。

 知らないでやってしまったことに罪はありません。(知らないことそのものが不注意である場合を除いて)
 また、不注意でやってしまったことは、罪ではあるけれど、少しは同情すべき点があります。

 しかし、知っててやったことや、やってしまった結果がどうなるか分かっていたことは、故意であり、過失ではありません。
(明らかな故意がなくても、結果が分かっていたことや、普通の人間なら予測して当然のことは、「未必の故意」と言って、故意と同等に扱われます)

 車で事故を起こして、他人を死なせたり怪我をさせれば、過失として、刑法第211条:業務上過失致死傷罪に問われます。
 飲酒や暴走など悪質な場合は、刑法第208条の2:危険運転致死傷罪に問われます。

 しかし私は、故意、もしくは未必の故意による犯罪であれば、刑法第199条:殺人罪でもおかしくないと思うので、わざわざ殺人罪より軽い罪である、危険運転致死傷罪を規定している理由が判りません。
 おまけに、裁判所はなぜか重い刑を科するのに及び腰で、業務上改質致死傷にしても、危険運転致死傷にしても、最高刑を科すことは滅多にありません。
 一体、飲酒運転や暴走運転の、どこに情状を酌量して、減刑する余地があるというのでしょうか。

 脆弱なビルはたやすく崩壊して、死者を出してしまう。だから法令で定められた建築基準を守らなければならないことぐらい、プロの建築士なら知らないわけはありません。
 知ってて違法な建築をしたのなら、殺人罪に問うてもおかしくありません。

 食品の消費期限を偽装すれば、食中毒になったり、最悪、死者が出る場合もありえます。
 プロの食品業者が、知っててやったのなら、殺人罪や傷害罪でもおかしくありません。

 知らなかったとしても、それぐらい知らないのはプロとして失格で、過失を通り越して故意(もしくは未必の故意)と認定してもいいのではないでしょうか。

 さらに、免許が必要な車の運転などには、その技能と知識があるから免許を与えられているわけで、これもまた、過失ではなく、故意もしくは未必の故意として、道路交通法ではなく、刑法の条文を適用するべきでしょう。

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