ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください
土芥寇讎(どかいこうしゅう)。読めました?
私も、まあ、知っているから読めますが、書けといわれても書けません。
この土芥寇讎という言葉自体、江戸の元禄期に編纂された「土芥寇讎記」という書物以外、たぶん他にはないでしょう。
さて、語源は『孟子』で、その一節に
「君の臣を視ること土芥の如ければ 則ち臣の君を視ること寇讎の如し」
とあります。
意味は、
「君(殿様)が臣(家来)を土や芥のように視て(取扱って)いれば、臣は君を仇のように視る」
というものです。
下の立場にある者が、上に立つ者をどう見做しているかは、偏に、上に立つ者の態度如何による、というのは、これは理解できます。
ところがここで、上の者が、下の者を土や芥のように冷遇していれば、下の者は、上の者を「仇」とまで思ってしまう、というのは、なるほど、指摘されてみれば、そこまで憎く思ってしまう気持ちも、さもありなんと思えます。
では、「仇」がいるなら、次にとるべき行動は何でしょう?
言わずもがな、「仇討ち」です。
無論、現代社会では、仇がいるからといって、そう短絡的に、仇討ちという実力行使に打って出るわけには行きません。現実的には、合法的な方法で、たとえば警察力を頼んで「仇」を特定・拘束し、司法の場で、相応の「仕置き」を与える、というのが、秩序を維持する上でも、最も妥当な方法です。
「土芥寇讎」の語源をみても、上司が部下を殴打したり、パワハラやセクハラの類があれば、これは司法の場で白黒つけることもできます。
しかしその「仇」に、違法性がなかった場合は、どうしたらいいのでしょう?
当然ながら前述の方法は採用できませんから、「仇」がいるとしても、さまざまな状況判断により、涙を呑んで諦めるのが、まあ、賢い選択といえます。
それでも、耐え難きに耐え兼ねたら・・・
冷凍食品の農薬混入事件では、もちろん、無関係な不特定多数の消費者に危害を及ぼした犯人の行為は、断じて許されるべきものではありません。
しかし事件の深層を思いやるに、派遣切り、雇い止め、賃金の実質的減額、その他の合法的な「労働者いじめ」とも言うべき事例が巷間に跳梁跋扈するご時世、この事件で、最も検証されなければならないことは、「君の臣を視ること土芥の如」くではなかったか、もしそうであれば、「臣の君を視ること寇讎の如」きであったとしても、何ら不思議はありません。
さらに、非合法と知りつつも、何らかの形で「仇討ち」を試みようとする者が現れるのも、時間の問題であったといえるでしょう。
願わくば、模倣犯が続きませんように。
冒頭の、「土芥寇讎」の語源となった孟子の一節には、実は前段があります。
「君の臣を視ること手足の如ければ 則ち臣の君を視ること腹心の如し」
意味は、
「殿様が家来を、手足のように体の一部だと思っていれば、家来も殿様を、体の中心と思って大切にする」
ということです。
孟子の教えは、だてに2300年も受け継がれているのではありませんよ。
土芥寇讎(どかいこうしゅう)。読めました?
私も、まあ、知っているから読めますが、書けといわれても書けません。
この土芥寇讎という言葉自体、江戸の元禄期に編纂された「土芥寇讎記」という書物以外、たぶん他にはないでしょう。
さて、語源は『孟子』で、その一節に
「君の臣を視ること土芥の如ければ 則ち臣の君を視ること寇讎の如し」
とあります。
意味は、
「君(殿様)が臣(家来)を土や芥のように視て(取扱って)いれば、臣は君を仇のように視る」
というものです。
下の立場にある者が、上に立つ者をどう見做しているかは、偏に、上に立つ者の態度如何による、というのは、これは理解できます。
ところがここで、上の者が、下の者を土や芥のように冷遇していれば、下の者は、上の者を「仇」とまで思ってしまう、というのは、なるほど、指摘されてみれば、そこまで憎く思ってしまう気持ちも、さもありなんと思えます。
では、「仇」がいるなら、次にとるべき行動は何でしょう?
言わずもがな、「仇討ち」です。
無論、現代社会では、仇がいるからといって、そう短絡的に、仇討ちという実力行使に打って出るわけには行きません。現実的には、合法的な方法で、たとえば警察力を頼んで「仇」を特定・拘束し、司法の場で、相応の「仕置き」を与える、というのが、秩序を維持する上でも、最も妥当な方法です。
「土芥寇讎」の語源をみても、上司が部下を殴打したり、パワハラやセクハラの類があれば、これは司法の場で白黒つけることもできます。
しかしその「仇」に、違法性がなかった場合は、どうしたらいいのでしょう?
当然ながら前述の方法は採用できませんから、「仇」がいるとしても、さまざまな状況判断により、涙を呑んで諦めるのが、まあ、賢い選択といえます。
それでも、耐え難きに耐え兼ねたら・・・
冷凍食品の農薬混入事件では、もちろん、無関係な不特定多数の消費者に危害を及ぼした犯人の行為は、断じて許されるべきものではありません。
しかし事件の深層を思いやるに、派遣切り、雇い止め、賃金の実質的減額、その他の合法的な「労働者いじめ」とも言うべき事例が巷間に跳梁跋扈するご時世、この事件で、最も検証されなければならないことは、「君の臣を視ること土芥の如」くではなかったか、もしそうであれば、「臣の君を視ること寇讎の如」きであったとしても、何ら不思議はありません。
さらに、非合法と知りつつも、何らかの形で「仇討ち」を試みようとする者が現れるのも、時間の問題であったといえるでしょう。
願わくば、模倣犯が続きませんように。
冒頭の、「土芥寇讎」の語源となった孟子の一節には、実は前段があります。
「君の臣を視ること手足の如ければ 則ち臣の君を視ること腹心の如し」
意味は、
「殿様が家来を、手足のように体の一部だと思っていれば、家来も殿様を、体の中心と思って大切にする」
ということです。
孟子の教えは、だてに2300年も受け継がれているのではありませんよ。