焼津名物 “炎の弾丸男!!”    【富士山通信 Vol.2】

“百見は一体(体験)に如かず”を信条とし、持続可能な人類、世の中を目指し、人間性の向上と楽しい人生を目指すパワフルな鮪屋

あなたならどちらを選択する??

2008年04月08日 | ひとりごと!
毎度 焼津名物 炎の弾丸男!!でござる。

昨日最後に触れた護岸工事について書きたいと思う。

まず以下の画像をご覧下され!

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 ばーーーーーーーかぁ! アホがみる!!

 おっと、失礼いたしましたぁ、最近嘉門達夫が乗り移ってましてぇ。

 真面目なお話をと思ったんですが、ついつい・・・。


 ところで、
 ご覧頂いた写真は、同じ川を上流から下流に向けて花見がてら歩いた時に収めた写真なのである。

 その距離1kmぐらいでしょうかぁ?

 この地域は今まさに都市計画による区画整理などが行われ、
 それに伴い川幅の拡張及び護岸工事が下流から行われております。

 
 整備がなされた後の川は、余りにも無機質になりすぎてはいないだろうか?

 せっかく大きく育った桜の木を切ってしまい、新たな街路樹を植えるのは何故?
 
 土や植物を踏みしめる感触や、四季折々の姿や香りといった自然とのつながりを断ってしまうのは何故?

 防災などを考慮し川幅の拡張やコンクリートでの護岸は必要かも知れない。
 
 土手や、雑草、桜も花がちり葉が落ちてその処理にコストがかかるのかもしれない。

 いまのご時勢、行政の事務的な仕事に関してはコスト効率などといったことを強く意識しなければならないことは確かだと思う。

 当然まちづくりもコストや効率などと言うようなことを全く無視することはできないと思うが、

 まちづくりの目的を童門冬ニ 氏が言うように
 
 ・いま住んでいる市民が、その地域に生き甲斐を感ずること。
  さらに死に甲斐(ここでなら死んでもいい。)も感じること。
 
 ・いま住んでいる市民の子孫も同じように生き甲斐、死に甲斐を感じるような
  魅力を生むこと。

 ・他地域に住む人へ「このまちにいらっしゃい」と誘い込めるような魅力を
  生むこと。

  と考えると、このような人間の一方的なエゴによる無機質な護岸工事はどうなのか?

 4番目の画像のように、桜の花の下をお祖父ちゃんと孫が会話をしながら犬の散歩をしている姿など、なんとほのぼのすることか。

  
 昨日のアスファルトを突き破り顔を出す雑草もそうだが、いくらコンクリートで固めたところで雑草は必ず生えてくる。

 同じ草でも護岸工事前の川でのそれは目にやさしい“みどり”として映るのに、 護岸工事後のそれは単なる“雑草”でしかない。

 現在の建築土木の技術なら十分に多くの植物とのwin-winの関係(災害対策をしながらも雑草などを上手く“みどり”として生かす。共生)も可能なのでは??

 人間よりもずーーーっと長くこの世に生存している植物、
 彼らは地球の環境の変化に対応していき続けている。
 
 それに引き換え、人間は見方によっては地球環境さえも変えてやろうといわんばかりの暴挙に出ている気がする。

 ダーウィンの進化論で、
“適者生存”この世に行き続けられるのは強いものでもなく、大きなものでもなく、多いものでもなく、地球環境を変える者ではなく、環境変化に対応できる者であることは実証されている。

 20世紀の延長のまちづくりではなく、21世紀のまちづくりを今一度考えてみることは必要かと。

 なーーんて言ってみたものの、我輩にはその知恵がないので、
 是非専門家の皆様知恵を出してくだされ!

 では・・・
コメント (4)
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