麻生平安名の変な喫茶店 その時俺様が動いた

ここは公権力の不正を放置せず、「悪いことは悪い」との批判を失わず、判断能力を常に持つことを呼びかける喫茶店(日記)です。

我が友

2011年05月27日 | 日記

先ほど、東日本大震災において消息が不明だった親友が亡くなったことを知った…。

知ったのは警視庁の情報から。住所年齢からして間違いない。彼の家は海岸に近く、震災時の情報では船で海に出ていたとの記録があり、後に消息が知れず安否を気遣っていた。ただ、まれに遠出する癖もあったから「もしかして」といった期待もしていたのだが、皮肉にもこんな形で彼の消息を知ることになろうとは思わなんだ。

彼とは27年前にボーイスカウトを通じて知り合い、胸襟を開いて語り合う仲になった。学び舎が同じなだけでなく、塾やサークル、果てには職場まで一緒になったことがあるほど付き合いは長い。住まいが離れても、ちょちょく連絡を取り合っていた。2008年3月3日に祖母が亡くなった時に帰郷しての再会。それが彼と会った最後となった。
自分にとって親友であり、悪友でもあり、サークル仲間でもあり、会社の同僚でもあり、同級生だった男。彼は間違いなく自分にとって同じ時を過ごした中で最も誇れる「友」"だった"。過去形で述べなければならないこと非常に忌々しい!

昔。こんな言葉を聞いたことがある。「良い奴ほど早く死に。悪い奴ほど長生きする」と。俺らは長生きする側だろうなと互いに笑いながら語り合っていたものだ。ところがどうだ。自分は生きていて、彼は亡くなった。こんな馬鹿な話があろうか。何故に亡くなったのだ。奴は良い奴では断じてないぞ。おかしいだろう。俺様の方がいい奴な筈なのに!

…。

正直かなり辛い。だが親友が亡くなった現実は揺るがない。かくなるは彼の分まで生きるとしよう。「いい加減にくたばれ」と周りから言われるくらいにな(苦笑)。

 


我が友に心より哀悼の意を表します。



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