麻生平安名の変な喫茶店 その時俺様が動いた

ここは公権力の不正を放置せず、「悪いことは悪い」との批判を失わず、判断能力を常に持つことを呼びかける喫茶店(日記)です。

自分と高速機動隊と交通ルール

2009年02月02日 | 日記
会社の寮に帰宅しました。帰宅途中に高速機動隊のお世話になりまして、交通違反3点と反則金25000円切符をいただきました。今後は安全運転を心掛け、交通ルールを守りたいと思います。



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そんなことを思うわけありませんね。こんな理不尽な事に納得できる訳がない!

交通ルールを守らなかった。だから捕まった。これには納得できるし、素直に受け入れられる。しかし、受け入れるのはここまでです。 自分は非があるとは思っていない。なぜならば交通ルールそのものがおかしいからであるし、取り締まりの定義からして納得性のあるものでないからである。
高速道路で80キロ規制を113キロで走り捕縛対象になった。これについては異議はありません。だから今回は素直に警察の言うがままに従った。しかし、80キロ規制を守っていないのは自分だけでないのです。たまたま覆面パトカーを横切り、捕まりやすい環境下に自分がいて、選ばれただけなのです。そんな理由で「違反です」と警察から言われても納得できるわけがない。これは取り締まりで捕まった人間は誰しも思うことだと思う。

実際に納得がいかず、自分は警察と何度かもめたことがあるが、警察が出す結論は決まっている。「違反は違反」と言うのだ。地上げ屋が「どんなことをしてでもやる」と言っているのと同じです。一方的な押し付けであり脅迫なのです。

「違反は違反」。その考えも自分は異議はない。ただし、そのような考えであれば全てを取締りの対象にすべきであろう。十人違反者がいたら十人捕縛すべきなのに、警察の生贄的に一人選ばれて、九人は対象外としている。こんな考えで警察は秩序や正義を振りかざす。そして歪んだルールを押し付けられるのだから堪らない。捕まった違反者はそんな歪んだ交通ルールを押し付けられ、交通ルールを今後順守しようと思うでしょうか?もし順守すると宣言する方がいたら、このように述べようぞ。「貴方はイエスマンですか」と。

警察の取り締まりで捕まるは"警察の前で違反"したから捕まったからであり、逆に言えば"警察の前でなければ違反をしてもよい"という定義なのだ。この考えは社会ルールでも当てはまる。脱税・偽装・汚職・談合等などがそうです。つまりは…

「ばれなければ"問題なし"、ばれれば"捕まる"」という事。

ばれなければ何をしても良い。こんな考えが浸透している社会。そんな社会に対し議論もせず、たとえ議論しても有耶無耶な展開で終了してまた同じことの繰り返し。おかしいとは思いませんか?自分はおかしいと思いますけどね。


自分は交通ルールに関しては守らない。これからも。マナーは守るがルールは守らない。たとえこれから先、警察に捕まっても。今回もそうだが自分は警察に「すみません」「気を付けます」等のセリフは一切使っていない。自分に非があるとすれば交通ルールの枠組みのみであり、警察に頭を下げる理由がないからである。
自分は警察を憎み続ける。これからも。こんな歪んだルールを押し付ける警察に感謝することはないだろう。後出しジャンケンしか出来ない警察は警察とは言えない。"犬"である。自分は犬に決して頭は下げない。


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