PEKOのTea Time

PEKOこと山崎浩子のブログです。
新体操の選手と同姓同名ですが、全くの別人です。

村上恒誓さん亡くなりました!?

2020-03-21 22:47:57 | Weblog
城北ライダースを長きに渡って率いてきた、
村上恒誓さんが3月15日(日)に亡くなりました。
74歳でした。
病気で患っていたわけではなく、
突然の急死でした。

以下は城北ライダースのHPから抜粋です。
「1968年、23歳で城北ライダースに加入。
鈴木誠一や久保和夫らが東名自動車を立ちあげて四輪に転向したあと、
矢島金次郎とともにチームを盛り上げた。
1980年に矢島からチームを引き継ぎ、2011年まで城北ライダースを率いた。
現在はチャンバー製作で有名な『城北ムラカミ』の代表でもある。」

村上さん自身も、モトクロスの元A級ライダーでした。
私がモトクロスを始めたきっかけも、
毎年開催されていた「城北カップ」でした。

村上さんは城北ムラカミという、
チャンバー製作を行っていましたが、
溶接や色々な部品の製作では、
その技術力は秀でたものがあり、
その技術を継承できなかったことも、大変残念に思います。
私たちの世界では、人間国宝並みの方でした。
その知識や経験値は、尊敬に値するものです。

私はかつてモトクロスの選手時代の全盛期は、
話にしか聞いていないため、よく存じ上げませんが、
赤ゼッケンで走り、練習走行では近づくこともできなかったと、
岩瀬が言っていました。
雲の上の存在だったそうです。
私が初めてお会いした時は、作業服を着たおじさんで、
まさか若い頃に、そんなにすごい選手とは知りませんでした。

職人ではありましたが、
唐辛子やぶどう、メダカの飼育にも凝っていて、
その部分では、大変気が合う不思議な共通点がありました。
白黒、はっきりさせることが信条で、
正義感も強く、真面目で頑固で、時には毒舌家でもありました。
最近は、疑問があると何でも知りたがり、
村上さんに言われて、年中スマホで調べものをしました。
いつもいたずらっ子のように笑う顔が、
思い出されます。
村上さんに伺うのは、いつも夜、仕事が終わってからで、
昔の話など、聞く話はいつも新鮮で、楽しい時間でした。
私の個性を認めてくれて、
本当に可愛がっていただきました。

今日はお通夜でした。
そして、明日は告別式です。
明日が、最後のお別れになるので、
行ってこようと思います。
今日のお通夜も、数百名の方が参列されていました。
今でも信じられません。
岩瀬もかなりガックリきています。


最初の写真は昨年の11月のモトクロスの表彰式で、
北海道の高野さんと一緒に写っているもの。
右側が村上さんです。
2枚目の写真は、今日のお通夜の時に、
入り口に飾られていたものです。
高野さんも北海道から来ていました。

本当にお疲れさまでした。
まだまだやりたいことも多かったようなので、
心残りもたくさんあったかと思います。
でも、もうゆっくり休んでください。
ご冥福を心よりお祈りいたします。











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