元毎日新聞の「立川 汎」さんが、7月26日(土)に逝去されました。
今年の初め頃から、病気療養中でした。
7月29日(火)に密葬にて葬儀は済ませたそうです。
立川さんといえば、
「グラチャン」「F-1グランプリ」「WRC世界ラリー選手権」など、
日本で開催に尽力をされた方でした。
正確には開催のきっけを作った方・・でしょうか。
立川さんがいたから、日本で開催できた・・・というのは過言ではありません。
でも、尽力をされていながら、最後には身を引いてしまうという性格の方だったとの事で、
歴史に名を残すことはなかったのかも知れません。
私たちが立川さんと初めてお会いしたのは、
1993年の「サファリラリー」。
岩瀬がTTEのワークスカーで参戦をし、岩瀬が4位入賞を果たした年でした。
ケニアに取材に来られました。
北海道にWRC誘致のために、尽力されました。
北海道で最初の年は「インターナショナルラリー」、
そして翌年は「アジア・パシフィックラリー選手権」、
その後「WRC世界ラリー選手権」と昇格でき、
ラリーのために、本当に尽力をされたと思います。
私たちも北海道のラリーでの広報活動の部分では、
微力ながらほんの少し、お手伝いをさせていただきました。
私はそれとは別に、立川さんがドライバー、ヤマザキがコ・ドライバーで、
「ヴィッツ・ラリー」にも参戦していました。
全戦はムリでしたが、2年くらい出ていたと思います。
そして、私たちの主催の「スピリッツ・オブ・ラリー」のイベントも、
開催には色々と、お手伝いをしていただきました。
思い起こせば、話は尽きない・・・と言ったところです。
独特な風貌に、常に揺るがない信念を持った方。
とはいえ、お酒が好きで、人懐こく、
何があっても憎めない・・・そんな存在の方でした。
今までに二度、死にかけるほどの大病を患いましたが、
二回共、奇跡的に生還。
今度も体を直して復帰すると、頑張っていたそうですが、
残念ながら、逝かれてしまいました。
写真は9年ほど前に、ご自分で撮影をされた写真だそうです。
ご家族が遺影に使われていたものを撮影してきました。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
今年の初め頃から、病気療養中でした。
7月29日(火)に密葬にて葬儀は済ませたそうです。
立川さんといえば、
「グラチャン」「F-1グランプリ」「WRC世界ラリー選手権」など、
日本で開催に尽力をされた方でした。
正確には開催のきっけを作った方・・でしょうか。
立川さんがいたから、日本で開催できた・・・というのは過言ではありません。
でも、尽力をされていながら、最後には身を引いてしまうという性格の方だったとの事で、
歴史に名を残すことはなかったのかも知れません。
私たちが立川さんと初めてお会いしたのは、
1993年の「サファリラリー」。
岩瀬がTTEのワークスカーで参戦をし、岩瀬が4位入賞を果たした年でした。
ケニアに取材に来られました。
北海道にWRC誘致のために、尽力されました。
北海道で最初の年は「インターナショナルラリー」、
そして翌年は「アジア・パシフィックラリー選手権」、
その後「WRC世界ラリー選手権」と昇格でき、
ラリーのために、本当に尽力をされたと思います。
私たちも北海道のラリーでの広報活動の部分では、
微力ながらほんの少し、お手伝いをさせていただきました。
私はそれとは別に、立川さんがドライバー、ヤマザキがコ・ドライバーで、
「ヴィッツ・ラリー」にも参戦していました。
全戦はムリでしたが、2年くらい出ていたと思います。
そして、私たちの主催の「スピリッツ・オブ・ラリー」のイベントも、
開催には色々と、お手伝いをしていただきました。
思い起こせば、話は尽きない・・・と言ったところです。
独特な風貌に、常に揺るがない信念を持った方。
とはいえ、お酒が好きで、人懐こく、
何があっても憎めない・・・そんな存在の方でした。
今までに二度、死にかけるほどの大病を患いましたが、
二回共、奇跡的に生還。
今度も体を直して復帰すると、頑張っていたそうですが、
残念ながら、逝かれてしまいました。
写真は9年ほど前に、ご自分で撮影をされた写真だそうです。
ご家族が遺影に使われていたものを撮影してきました。
心より、ご冥福をお祈りいたします。