Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

麦の穂①

2007年06月19日 | Weblog
ねむの木の建物には全て絵が描かれていたように見受けられたが,その中でもまたひときわステキなのがこの麦の穂。ねむの木こども美術館の建物の真っ白な外壁に描かれた真新しい麦の穂たち。子どもたちがみんなで描いたそうだ。

何がステキって,それは歌っているからだ。敢えて言っておくが,これは比喩ではない。本当に歌っている。身体を揺らしながら麦の穂が歌っているのだ。物理的にあり得ないと反論されればそうかもしれないが,百歩譲ってもそう錯覚させ,確かに歌っているように知覚された。間違いない。

造形にリズムやハーモニィがあるように,音楽にも同様のものがある。リズムやハーモニィは,本来造形とか音楽とか,そんなふうに分けられるものではなく,人間の生命から滲み出た不可分一体のものなのだろう。ねむの木ではこれらが一緒に働いたり,双方がもう片方の働きを補ったりしているように感じられる。その姿が目の前で確かに現れる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木こども美術館の小径

2007年06月19日 | Weblog
「ねむの木こども美術館」と書かれた門扉様(よう)の敷地入り口から小径の歩みを進めると,美術館の建物の中に導かれ,そして何とそのまま美術館を通り抜けて外へ出てしまう。

美術館を通り抜けた小径は何事もなかったかのように伸び進み,緑の絨毯を大きく左に曲がって,再度美術館に戻ってくる。

美術館の建物を通り抜けて描く弧の端から美術館を眺めると,写真のようになる。こちらも魅力的な佇まいを見せてくれるので,どちらが美術館の正面なのか裏手なのかが分からない。尤も,そんなことを決めようとすること自体が意味のないことなのかもしれない。この小径には,なんでこんなに回り道するの?なんでこんなに回り道しないの?と問いかけられているよう。その問いに対して答えを見つけられそうな気もする。

最短で結ぶだけが方法じゃない。最短でない結び方だけが持つ魅力ってあるんじゃないかな。そんな考えがふと頭をよぎる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木こども美術館

2007年06月19日 | Weblog
先ほどのきのこ?が見えて歩みを数十歩進めると,ついに全貌にたどり着いた。ここからの眺めが正面と言ってよいのだろう。牧歌的な風景だ。芝生が一面に広がる。

左手に見える白い壁のようなものには「ねむの木こども美術館」と黒大理石?に彫られている。「新日曜美術館」で紹介された麦の穂の絵が,建物に描かれているのと同じように描かれている。麦の穂は,風に身体を揺らしながら本当に歌を歌っている。

右手に見える植樹がちょうど正面からの眺めを妨げ,外観の全てが一望できる状態にはなっていない。これが一見残念な気もした。しかし,たぶんこの木には私には知り得ない何かの意味が託されているのだろう。職員の方に伺ってみればよかった・・・。

緑の絨毯に鮮明に映える小径は右手の美術館の建物に向かって緩やかに曲線を描く。この空間には心地よい曲線が多いように感じられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「どんぐり」か「きのこ」か

2007年06月18日 | Weblog
吉行淳之介文学館を過ぎてまた少し緩やかな坂道を上っていくと,写真のようにひょっこりと頭を現す目的の建物。

「どんぐり」とWebsiteには書かれていたが,どんぐりと言うより「きのこ」かな。実にいい。設計は新日曜美術館で東京大学の藤森照信教授であると聞いた。

この最初に目につく焦げ茶色の丸屋根は,実は銅板を曲げ重ねてつくられているのだ。曲線が優しく,力強い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木学園周辺の地図

2007年06月18日 | Weblog
この地図を最初から見ていればあちこち迷わずにすんだけど,この地図を最初から見ていなかったから,あちこちを見ることができた。あちこちに歩みを進めることは決して無駄ではない。人生とて同じなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喫茶MARIKO

2007年06月18日 | Weblog
広大な敷地(といっても点在するように見受けられたが,)には,いくつかのお店がある。

「ねむの木学園のお店-こどもたちのお店」と称し「雑貨屋さん」「毛糸屋さん」「がらす屋さん」などが見つかった。ちょうどどれも閉まっていたので入れなかったが,外から除くと中には子どもたちがつくったのであろう素敵な作品が目に入った。

「喫茶MARIKO」は開店中。美術館への歩みを急いでいたので行きには寄らなかったが,帰りに時間があれば寄ろうって思って,戻り道に「ゆずジュース」をいただいた。汗ばんだ身体に,ちょうどよい甘みがしみこんだ。対応してくれた方々の心遣いもうれしかった。喫茶内にはねむの木の子どもたちが描いたステキな絵をプリントしたガラス皿等もあった。数点購入。宝物だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木学園に咲く花

2007年06月18日 | Weblog
何の花だか知らない。とても優しい色と優しい顔をしている。いいなと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木のどかな家

2007年06月18日 | Weblog
駐車場から右手に上がった坂道の左手にある最初の建物が「ねむの木のどかな家」。建物の壁には実に素敵な絵がいっぱい描かれている。もちろんこれだけではない。ねむの木の敷地内にある建物という建物には全部(だと思うが)絵が描かれているのだ。素朴だが,実に美しく,心地よい。このような絵を見るにつけ,アートには力があるのだと本当に理解できる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駐車場からすぐ右へ坂を上がる

2007年06月18日 | Weblog
駐車場からすぐ右に上がる坂道がある。左側から来たから当然右方向だろうと思ってそちらに向かうが,バスに同乗だった方々も,どうやら小生と同じように不案内の様子。行く手の坂の上にカラフルな色が見える。絵の一部のようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木学園への行き方③

2007年06月18日 | Weblog
バスに乗ってしばらくすると緑多き田舎の風景に囲まれ,20分ほどバスに揺られてねむの木学園バス停に到着。460円(だったと思う)。ちょうど駐車場になっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木学園への行き方②

2007年06月18日 | Weblog
北口のロータリーを少し進むと,写真のような黄色い「掛川バスサービス」のバスに乗る。ちなみに平日・土曜日だと桜木線「ねむの木学園・坂下行き」掛川駅発が712,807,940,1150,1425,1525,1630,1735,1855(平成19年6月15日現在)の9本しかない。

もう一つちなみに,決して道が荒れているわけではないのだが,このバス,実に乗り心地がレトロだ。タイヤがサイコロなのかと思ったほど。面白いと言えば面白い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木学園への行き方①

2007年06月18日 | Weblog
ねむの木学園へはJR掛川駅についてから北口に出る。木造のユニークな外観。ちなみにJR掛川駅は新幹線ではJR静岡駅とJR浜松駅との間に位置し,「こだま」しか止まらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねむの木こども美術館

2007年06月16日 | Weblog
第一回ペスタロッチー賞受賞の宮城まり子氏が今年4月静岡県掛川市ねむの木学園にオープンさせた美術館をやっと訪問。作品からはこどもたちの生命を、周囲の環境からは宇宙の営みを強烈に感じる。今日は携帯からupload。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全席優先席

2007年06月13日 | Weblog
広島電鉄のバスは全席「ゆずりあいの席」,すなわち優先席だと。ヒロデン,ナカナカヤルナと感動。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝る子はソ・ダ・ツ。寝ぬ(ん)子はソ・ザ・ツ。

2007年06月06日 | Weblog
今日は若いお父様お母様方へのメッセージ。新しい学校や新しい学級が始まって少し経つが,お子様の生活習慣はどのような状況にあるだろうか。

「寝る子は育つ」・・・よく耳にする言葉だろう。子どもは寝たり泣いたりするのが一番の仕事だとも。また実際に,人間は寝ている間に成長するので,単なる根拠のない言い伝えと言うより,科学的な事実に基づいていることが最近分かってきた,らしい。もちろんここで言いたいのは身体に関することというより,むしろ心の面での必要に関することだ。十分な睡眠時間を子どもに確保・保障しよう。しっかりと活動し,しっかりと寝ている子どもは心が安定し周りの人に対しても優しく暖かく接することが出来る。心の閾値(しきいち・いきち)が高いとでも言ったらよいのだろうか。子どもを育てるならこうありたい姿の一つがこの言葉に現れている。

「寝ぬ子は粗雑」・・・寝ない子が必ず粗雑になると言うわけではもちろんない。誤解なきように。ここでは大人の指導不足・配慮不足などの結果として子どもの睡眠時間が十分確保・保障されないことが,粗雑な行動傾向や精神的な不安定を生む危険性を指摘している。眼差しはむしろ大人に対するものだ。考えてみれば,睡眠不足に由来する望まれぬ状況は,決して子どもに限ったことではない。我々大人だってそうなのだ。睡眠時間が少なければ判断力が鈍ったりイライラしたり,はてはさまざまなトラブルを起こしやすくなったりする。子ども時代の生活のありようはその一時期にとどまらず人生の在り方さえ大きく左右し決定づけることを十分認識していたいものだ。

良くも悪くも親の生活環境の影響は大きい。大人の生活のすべてを子ども中心に合わせるべきだとは言わないし思いもしないが,親が夜遅くまで夜更かしをしていると,いくら言って聞かせたって,子どもは寝ることができない。前にも書いたことがあると思うが,「子どもは親の言うとおりになりはしない。親のしているとおりになる。」のだから。意志決定や行動決定ができない発達段階の子どもには,大人の行き届いた配慮が全てなのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする