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Hei!(「ヘイ」って読んで「やあ」って意味)~義務教育世界一の秘密

義務教育世界一の国の教師養成の実態を探る旅。フィンランドの魅力もリポート!その他,教育のこと気にとめた風景など徒然に。

井上康生氏の学び

2007年02月16日 | Weblog
昨年末に飛行機に乗ったときのこと,見るともなしに機内誌をペラペラとめくっていると,ある記事に目が止まった。ノンフィクション作家の小松成美氏による「アスリートインタビュー第20回 井上康生 鍛錬」,言わずもがな,主人公は2000年シドニー五輪柔道で金メダルを獲得した井上康生氏である。そこには,次のような内容が書かれていた(JAL機内誌『SKYWARD』2006年12月号,以下一部の概要,敬称略)。
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康生が柔道を始めたのは5歳の時,父井上明が警察官として勤務する宮崎県延岡署の柔道教室だった。幼稚園児の康生が「柔道をやりたい」と言い出した時,一番喜んだのは父であった。康生は小学生になって年上の中学生を相手にしても負け知らずで,その強さは抜きん出ていたが,父は容赦なく中学生以上の練習量を康生に課していた。

康生が小学4年生になったとき,突然父が稽古中の態度を一変させた。「お父さん」と呼んでも突然ゲンコツを見舞われる。訳が分からない。その時康生は,子供ながらに3ヶ月も悩んだ挙げ句,あることに気づいたのだ。その時のことを次のように語っている。

「ある日,兄が父を『先生』と呼んでいるのを見てはっと気がついたんです。それで僕も『井上先生』と呼ぶと,父は黙って稽古をつけてくれた。道場では師弟関係でなければならない。僕が自分でそのことに気づくまで父は待っていた。」
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父明氏は,年端もいかない子供なのに懇切丁寧に道場の掟を教えたりはしなかった。しかし教えなかったからこそ,結果として康生氏の深い学びの力を引き出すことに成功したのではないか。3ヶ月「も」かかってしまったのか,3ヶ月「しか」かからなかったのかは評価の分かれるところだが,この学びは康生氏にとって終生忘れることのできない,人生最大の学びになったはずだ。

彼はこの学びによって,周囲の誰が何をどのようにしているかにしっかりと目を配り観察する人物になっただろう。自分がどうかというだけでなく,周りがどうしているかに目を向け自分を相対化して情報を集める力を身につけただろう。おそらくたったこの一度だけで,「周りをしっかりと見なさい」と百万遍言われるよりもずっと身に沁みて「そうしたい」「そうしなきゃ」と思ったのではないか。自分で気づいた学びは何より大きい。康生氏が学んだのは,「父でさえ井上先生と呼ぶこと」などといった矮小なことではない。周囲にしっかりと目を配り「観察する」こと,つまり,あらゆる学びに転化可能な,学びの基本中の基本である。

父明氏が行ったような乱暴でわかりにくく時間のかかる教育による学びはただただ旧臭く,決して良いと言い切れるものではないだろう。二人が父子関係にあったことや武道の学びであったこと,何より康生氏自身に柔道を学びたいという強い意欲があったことなどの事情が大きく関わっていることもよく分かる。しかし,このような教育による学びを徹底排除する雰囲気が市場原理の台頭によって教育界を席捲するのならば,学びとは決してそれだけではないということを,我々は頭の隅に少し置いておいてよいのかもしれない。
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