小学生の頃、NHKラジオで毎夕「緑のコタン」というドラマを放送していた。
確かポンションというアイヌの若者が主人公だった。内容はすっかり忘れてしまっている。
ただ、その登場人物のなかに奇妙な(と、その時は思った)名前のがいたのが今も記憶に残っている。新島しめた(七五三太)。しめた?
後日よもや自分がその奇妙な名前の若者が成人して創設した大学に入ることになろうとは、予想もしなかった。新島七五三太(後の新島襄)が函館から出国した様子も放送されていたように記憶している。1985年に仕事で数ヶ月ロサンゼルスに駐在したことがあったが、その時出向した米国の合弁会社の米国人同僚が、新島襄もアマースト大学に留学していたこともよく知っていて驚いたものだった。
故郷の能登の地名の由来がアイヌ語であり、地元の市にある神社(須須神社-源義経が奉納したと云われる蝉折の笛がある)の神体はアイヌの文化を受け継いだものと云われている。アイヌの血を受け継いでいるものもいるようで、友人は日本人らしからぬ彫りの深い顔立ちである。弘法大師の頃まではアイヌは能登に住んでいたとも聞く。
アイヌも新島襄も何かの縁を感じる。
確かポンションというアイヌの若者が主人公だった。内容はすっかり忘れてしまっている。
ただ、その登場人物のなかに奇妙な(と、その時は思った)名前のがいたのが今も記憶に残っている。新島しめた(七五三太)。しめた?
後日よもや自分がその奇妙な名前の若者が成人して創設した大学に入ることになろうとは、予想もしなかった。新島七五三太(後の新島襄)が函館から出国した様子も放送されていたように記憶している。1985年に仕事で数ヶ月ロサンゼルスに駐在したことがあったが、その時出向した米国の合弁会社の米国人同僚が、新島襄もアマースト大学に留学していたこともよく知っていて驚いたものだった。
故郷の能登の地名の由来がアイヌ語であり、地元の市にある神社(須須神社-源義経が奉納したと云われる蝉折の笛がある)の神体はアイヌの文化を受け継いだものと云われている。アイヌの血を受け継いでいるものもいるようで、友人は日本人らしからぬ彫りの深い顔立ちである。弘法大師の頃まではアイヌは能登に住んでいたとも聞く。
アイヌも新島襄も何かの縁を感じる。