八国山だより

ノーサイレントマジョリティ!ごまめの歯ぎしりといえど、おかしいと思うことはおかしいと自分の意思を発信しなければ

純喫茶 夜の窓 河原町六角東入る - 備忘録その3

2012-09-19 15:54:53 | ひとりごと
 新聞社奨学生は結局2年で辞めることになった。配属が大阪(高槻市)で大学が京都上京区と、ほぼ職場と学校の往復という生活だったので自由になる時間が欲しかったためだ。
京都市内に引っ越し(最初は山科区日ノ岡、次に左京区一乗寺)、河原町三条六角にある味ビルというところでアルバイトを始めた。現在とは異なる経営母体で、当時(1973年)は地下に居酒屋、1階が流れる滝、2階が椅子席の和食(鍋料理を含む)、4階が宴会場、5階が個室、6階がしゃぶしゃぶなど肉料理という陣容だった。

 そのバイト先には大学から京都御所を抜けて歩いて赴いたが、時間が定刻よりまだ早いときは首記の喫茶店で時間つぶしをしたものだった。ネットで検索するとマッチ箱は他に2つの色柄が見られる。
 
昭和30年前後(1955頃

坂ノ下さんのお出かけ日記

この緑のはいつ頃のものなのだろうか。

 夜の窓は通常の椅子席のほかにパティオがあった。確か運がよいときには舞妓さんがそこにみえていることがあり、一度だけ遭遇したように記憶している。


 


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