八国山だより

ノーサイレントマジョリティ!ごまめの歯ぎしりといえど、おかしいと思うことはおかしいと自分の意思を発信しなければ

『男たちの大和』

2006-09-04 04:36:00 | 映画
 遅まきながらDVDで『男たちの大和』を見た。
内容や演技のことはさておき、戦争とは、国を守るとは何かいろいろ考えさせられた。 象徴的な言葉があった。

 「死ニ方用意!」
大和の最期の出航時に水兵たちの集う場所に書かれてあった。
1機だに援護の飛行機もなく死ぬことがわかって出て行く。命令なので従わざるを得ない。

 「日本は進歩ということを軽んじすぎた。日本は敗れて目覚めるしかない」。自分 たちの死ぬ意味がどこにあるか水兵同士でのいさかいを止めた下士官の言葉だ。

 「あんた、ぬけぬけと生き残ってよう帰れたな」
戦死した友の母親を訪ねた際に主人公が冷たい言葉を投げかけられる。昨年他界した父も駆逐艦に乗っていて魚雷で撃たれ、海に投げ出されたが生き残った。父もそのような言葉をかけられたのだろうか。戦争のことはいっさい語らなかった、よほど思い出したくなかったのか。この母親は後で泣いてわびる主人公に「生き抜いて」という言葉をかけた。初めの言葉はおそらく(なぜ我が子が召されて…)という想いから出た言葉で100%心からそう思ったのではなかろう。


 「自分たちは命を投げ出して戦ったのに、(空襲や広島・長崎の原爆などで)仲間や家族、いや何も守れなかった」
生き残った主人公が戦争を振り返って60年後にもらした言葉である。

 国を守るために戦うといえば聞こえはいいが、本当に人として正しいのだろうか。国敗れて山河あり。国が滅びても人は残る。それならば、たとえ国がなくなっても戦争をしないほうが大切ではないのか。

戦う敵も人間である。自分と同様に国に帰れば家族や恋人がいたりするだろう。国や愛する人々を守ることと引き換えに彼らを殺さなければならないのだとしたら…。


 今度戦争が起これば兵器の破壊力は格段に強くなり、核兵器による被害は広島・長崎をはるかにしのぐものだろう。生き残っても放射能によって生が脅かされる危険性が高い。狭い日本のことだ。どこにも逃げ場がない。有事法制で敵から攻撃を受けた際に国民をどう守るかが議論され避難訓練も行われているようだが、そういう事態にならないような外交的努力が何よりも必要だろう。
 
 あるいはアメリカの手足として使われて異国で命を失う者もいるかもしれない、集団的自衛権を容認すれば。


 先の太平洋戦争ではなぜ戦争をしているのかその意味も分からずで命を落として行った方もいたことだろう。国のためにと、あるいは国を信じ何も知らず死んで行った者はなぜ死ななければならかったのか、政治家、官僚、マスメディアなど責任ある立場にある人はぜひ考えてほしいものだ。特に安部晋三君、君にはこの映画はぜひ見てほしい。