チャイコフスキー イタリア奇想曲
稼ぎが薄いうえに仕事量は多いので出かけれない。
といって、せっせと労働に励む勤勉さも持ち合わせてない。
11時に起きてTVを観ながら煎餅を焼く……はずが、
TVだけにしか気が向いてない。正午、
今日の「ウチくる」はつまらなそうなのでチャンネルをザッピングしてると、
5月に放送したものの再放送らしいが見のがしてた「BS歴史館」の
「ハリウッド100年/ローマの休日/赤狩りの嵐の中で」をやってた。
この映画はTVで観たの初めだったが、
オードリー・ヘップバーンが嫌いな私は、映画館では、二十歳過ぎてから、
船橋のララポートで観たことがあるだけである。それはともあれ、
語り合うのは、物書き中村うさぎ女史、
東大大学院教授の藤原帰一、女優斎藤由貴女史、そして、
「レッドバージ・ハリウッド」という著作がある映画評論家の上島春彦、
という布陣だった。要点は、共産主義者の
脚本家Dalton Trumbo(ドールトン・トランボウ、1905-1976)、
いわゆるダルトン・トランボと、非共産主義者ながら
リベラルな思想の監督William Wyler(ウィリアム・ワイラー、1902-1981)との、
友情のお話を、とくにモーモン教徒の斎藤女史が穿った意見を出し、
みながそれに対話してく、という番組である。この中で、
「トランボウはしばしばバスタブの中で脚本を執筆してた」、
ということについて中村女史が懐疑的な発言をした。すると、
東大大学院教授は「湯につかるといいアイディアが出るんじゃないですか」
と応じた。まだ、中村女史の
「ポウズじゃないかと思う」という感受性のほうがましである。
いずれにせよ、なぜ、トランボウがバスタブで執筆してるポウズをとったのか、
この4人は知らないようだった。とくに、東大大学院教授ともなれば、
[活動不能、バスタブ、執筆]
といったらすぐさま、
「ジャン・ポール・マラー」
を想起しないようでは情けない。
急進的革命派(ジャコバン派=共産主義の原点)だったマラーは
"持病の皮膚病"のために革命活動ができなくなって、
自宅で一日じゅう入浴してたのである。そして、
手紙を書いてる最中にジャコバン派と敵対してた
ジロンド派支持者のシャルロット・コルデー女史の訪問を受け入れ、
刺殺されたのである。刺殺はともかく、無学歴の
トランボウがマラーの故事を模したことも、
高学歴の先生には解らないらしい。
それに加えて、
"Roman holiday"という「原題」についても、
「"Holidays in Rome"ではなかったんですね」などと、
東大大学院教授は触れながら、その意味を解してなかった。
トランボウは低学歴でもコミュニストのインテリである。これは、
Sixth Baron, George Gordon Byron
(第6代バイロン男爵、ジョージ・ゴードン・バイロン、1788-1824)
の長編詩である
"Childe Harold's Pilgrimage(チャイルド・ハロルドの巡礼)"
の中の一篇に出てくる有名な言葉なのである。
"He heard it, but he heeded not - his eyes
Were with his heart, and that was far away;
He reck'd not of the life he lost nor prize,
But where his rude hut by the Danube lay,
There where his young barbarians all at play,
There was their Dacian mother - he, their sire,
Butcher'd to make a Roman holiday -
All this rush'd with his blood - Shall he expire
And unavenged? Arise! ye Goths, and glut your ire!"
(カタカナ読みは省略)
「(拙大意)
彼の耳にはそれが聞こえた。が、心には響いてなかった。彼の目は
心とともにあり、遠く離れたところにあった。
彼はかまわなかった。自分の命がなくなろうと勝負に勝とうと。
が、ドナウ川近くの彼の粗末なほったて小屋が建つところに、
遊び回る彼の素朴な子供たちと、
そのルーマニア人の母親がいることしか頭になかった。その父である彼が、
されて、ローマ人流の休日の娯楽のためにならねばならないのだ。
そうしたことすべてが一瞬にしてこみあげてきた、血が噴き出すとともに。
彼は死ななければならないのか? 復讐の機会も与えられないままに。
立ち上がれ! 汝らガリア人。汝らの怒りをぶつけろ!」
つまり、古代ローマではコロッセオで猛獣相手に、あるいは、
菅原道真が894(ハクシ)に戻そうよと建議してくれるわけもなく、
同じく剣闘士どうしで殺っせお合うことを余儀なくされた
グラディエイター(グラディアトール)らの犠牲、死が
ローマ市民の娯楽だったのである。おなじ人間なのに、
彼らの命は虫けらのように扱われ、見せ物とされてた。そして、
それは現在でもローマ観光などという
脳天気な遊山の種のひとつとなってる、
ということへの憤りをトランボウもしくはワイラーは皮肉を込めて
タイトルにしたのである。一般市民から搾取して巨万の富を築き、
贅沢三昧してる特権階級に対するルサンチマンでもある。だから、
コミュニストは自分が権力を手にすると、思想とは裏腹に、
豪奢な生活をし、私腹を肥やすのである。ともあれ、
バイロンが生まれつきのclubfootだったことと、
いま話題のお荷物国家ギリシャがトルコからの支配を脱するために
私財をなげうって支援したことも、彼らコミュニストの
シンパシーを得たのかもしれない。私は
シンバシの安飲み屋からも信用されないツケがきかない低所得者だが。
ともあれ、
マラーは湯につかりながらカップッチーノは飲んでなかったかもしれないが、
ジャコバンというのは彼らが拠点としてた修道院の名である。ところで、
cappuccinoという飲み物の名は、カプチン・フランチェスコ会派の
修道服の頭巾(cappuccio=カップッチョ)に由来するらしい。この
cappuccioという語はcapo(カーポ=頭)から派生した語である。
ラテン語ではcaput(カープト)、ゲルマン系では、
ドイツ語でHaupt(ハオプト)、英語でhead(ヘッド)である。
音楽におけるcapriccio(カプリッチョ)も同様で、
capro(カプロ=山羊/複数形capriは青の洞窟で有名な島名)
+riccio(リッチョ=曲がり)、つまり、
山羊の角のように不規則に曲がってるさま、気まぐれ、を表す。
ソナータのようにお決まりの形式でなく、いくつかの主題が好き勝手に
闊歩する曲である。というわけで、
決まりきった形式でないので、どのような構成になってるか
見当がつかないこともありがちなので、よく耳を
カッポじって聴かないといけない。
さて、
現行暦換算で11月6日が命日であるチャイコフスキーは、
"1880年またぎ"でその"元旦"をユリウス暦にせよグレゴリオ暦によ、
ローマで迎えた。すなわち、
1879年12月8日(現行暦換算12月20日)から
1880年2月25日(現行暦換算3月9日)まで、
の3箇月弱のローマ滞在である。そこで、
ジェラートを食ったり髪を短くしたり
スクーターに二人乗りはしなかったかもしれないが、
父イリヤーの死の知らせを受け取る。その数日後から、
<民謡からなる>"Capriccio italiano(カプリッチョ・イタリアーノ)"
"Итальяанское каприччио
(イタリヤーンスカエ・カプリッチョ)"
「イタリア奇想曲」(op45)の作曲が始まった。
イリヤーとイタリヤー。似てないかい?
スケッチは1週間ほどで書き上げられた。管弦楽配置は、
ペテルブルクの亡き父の墓参りをしてからモスクワに戻り、さらに
妹のカーメンカに着いてから5月に仕上げられた。一般には、
(チャイコフスキーにはめずらしく)"楽しい"曲、
という一面で捉えられてる。
[Andante un poco rubato(アンダーンテ・ウン・ポーコ・ルバート)、
八分音符=132、6/8拍子、3♯(実質ホ長調→実質イ短調)]
E管のトランペット2管の完全ユニゾンのソリがファンファーレを奏する。
♪ドーーーーー・>ソーーーー<ド│<ミーーーーー・ーーーーーー│
ミーーーーー・<ソーーーー>ミ│>ドーーーーー・<ミー>ドー<ミー│
>ソーーーーー・ーーーーー<ド│ドーーーーー・ドーーーーー│
ドーーーーー・ーーーーーー♪
和声附けはないが、ホ長調である。このファンファーレは、
投宿先のオテル・コンスタンツィの窓辺を通して毎朝聞こえてきた
兵舎の朝礼ラッパにインスパイアされたものだとされてる。これに、
オーボエ2管+クラリネット2管+ファゴット2管+ホルン4管が
ハ長調主和音の合いの手を入れ、
それに加え、コルネット2管+トロンボーン3管が(ホルン4管は退き)
ハ長調属和音の合いの手を差し、
上記に加え、フルート2管+コルノ・イングレーゼ+
ホルン4管+トランペット2管(トロンボーン3管は退き)が
イ短調の主和音の合いの手を加え、
管楽器すべてがホ長調の主和音で締めくくる(ティンパニも加わる)。
次いで、
ファゴット2管+ホルン4管+トランペット2管+トロンボーン3管が、ホ長調の主和音を
♪●●●●タタタ・ター●●タタタ│ター♪
という「運命の律動」を吹奏する。これに導かれて、
両翼vnとそのオクターヴ下のヴィオーラ+チェロがユニゾンで、
♪ミー<♯ファー<♯ソー│<ラーーーーー・ーーーーーー│
ーーーー>♯ソー・(<シ>)ラーー>Nソ>ファー│>ミーーーーー・ーーーーーー│
ーーーーーー♪
という実質イ短調の主題を擦りだす。ということで、
「運命の律動」(ホ長調の主和音=)が実は
イ短調の属和音だったことがわかる。
この主題が発展したのち、冒頭のファンファーレが
A管コルネット2管+トランペット2管の完全ユニゾンで
マルカティッスィモで奏され、シンバルが打ち鳴らされる。すると、
イ短調の主題が今度は
コルノ・イングレーゼ+オクターヴ下のファゴット1管のユニゾンで再奏される。
→
[Pochissimo piu mosso(ポキッスィモ・ピウ・モッソ)、
八分音符=144、6/8拍子、3♯(イ長調)]
オーボエ2管が3度ハモでイ長調の主題を吹奏する。
♪ミー、│<ソーーー、>ミー、・<ソー>ファー、>ミー、│
>レーーー、<ミー・<ファーーー、<♯ファー│
<ソーッ、>ミーーー♪
これは"Bella ragazza dalle trecce bionde"
(ベッラ・ラガッツァ・ダッレ・トレッチェ・ビヨンデ
=三つ編みの金髪のカワイイお嬢ちゃん)
という民謡をほぼ原曲に近い形で用いたものだそうである。
この主題が展開されるが、ここでも
「運命の律動」がさかんに刻まれる。
→
[Allegro moderato(アッレーグロ・モデラート)、
四分音符=120、4/4拍子、5♭(実質変ホ長調→変ニ長調)]
vnセコンド以下の弦4部が変ホ長調の主和音を、
「悲愴交響曲」第1楽章で回帰させた
♪ターッタッタッ・ターッターッ♪というリズムで、
サルタンド(弓を弦の上で踊らせるように弾ませる奏法)で弾き、
それに導かれて、フルート3管+vnプリーモが完全ユニゾンで、
♪ソー│<ドーーー・ーーーー・・ーーーー・ーーーー│
ーーーー・ーーーー・・ードッドッ<ミッ・>レッ>ドッ>シッ>ラッ│
<シ>ソソー・ーーーー・・ーーーー・ーーーー│ーーーー♪
という動機を奏する。ホルン1管がマルカティッスィモで
オッブリガート的な長音価の分散和音を吹奏する。
上記動機をコルネット1管がソロで繰り返し、
3度ハモをオクターヴで重ねる変ニ長調の魅惑的な主題を擦る。
♪●●レー・<ミー、<ファーッ、│
<ソーーー、・ソーーー、・・ソーーー・<ラーッ、>ミーッ、│
<ソーーー・ーーーー・・●●>レー・<ミー、<ファーッ、│
<ソーーー、・ソーーー、・・ソーーー・<ドーッ、>ラーッ、│
<シーーー・ーーーー♪
ハープとタンバリンが効果的に伴奏に加わるが、
タンバリンにはここでも「運命の律動」を叩く。
♪●●レー・<ミー<ファー、│
<ソーーー、・ソーーー、・・ソーーー、・<ミー>レー│>♯ドー♪
という主題の推移がコルノ・イングレーゼ+チェロで奏されるが、
それに呼応する
♪♭シー・>ソー>ファー・・>ミー、>レー・>♯ドー、>♭シー│
>ラー、>ソー・>ファー、>ミー・・>レー、>♯ドー・<レー<ミー│
<ファー・ーー・・ー♪
以下の弦楽4部のハモリがじつに感動的な箇所である。
この間のハープのアルベッジョがまた効いてる。
変ニ長調の主題が木管群で繰り返され、それが
ホルン2管のハモリに受け継がれ、
→
[Andante(アンダーンテ)、八分音符=132、6/8拍子、5♭]
「運命の律動」に導かれてイ短調の主題がここでは
変ロ短調で戻ってくる。ひととおり奏されて、
vnプリーモとヴィオーラの♪ファ>ミ>♯レ♪のゼンクヴェンツが
オクターヴ・ユニゾンでストリンジェンド(だんだん速く)して、
→
[Presto(プレスト)、
付点四分音符=192、6/8拍子、無調号(イ短調)]
そのvnプリーモとヴィオーラの♪ファ>ミ>♯レ♪に被せるように、
木管群によってタランテッラ(舞曲)の主題が吹奏される。
♪ラ●<シ│
<ド●ド・>ラ●<シ│<ド●ド・>ラ●<シ│
<ド>シッ>ラッ・>ソッ●ファ│>ミーー・ーーー│
ーーー・ーーー│ー●ミ・>ファ●ファ│<♯ファ●♯ファ・<♯ソ●♯ソ│
<ラ♪
コルネットがタランテッラの律動を主音aのオクターヴ・ユニゾンで
高速吹奏する腕のみせどころも用意される。
このタランテッラ主題が舌を巻くようなお見事な、
タンバリンのような打楽器使いの名人でもある
チャイコフスキーの技で展開される。途中、
オーボエ2管の3度ハモリで繰り広げられるあたりでは、
このタランテッラの主題とと「三つ編みお嬢さん」の節が
絶妙にミックスされてることがドヤ顔で示される。
→
[Allegro moderato(アッレーグロ・モデラート)、
四分音符=144、3/4拍子、2♭(変ロ長調)]
トランペットのオクターヴ・ユニゾンとタンバリンが
♪タタタ・ター♪という「運命の律動」を刻む中で、
ハープも加えた全奏が「三つ編みお嬢さん」の節を
fffで歌い上げる。
♪ミー│<ソーーー>ミー│<ソー>ファー>ミー│
>レーーー<ミー│<ファーーー<♯ファー│<ソー>ミーーー♪
→
[Presto(プレスト)、6/8拍子、3♯(イ長調)]
タランテッラ(舞曲)の半ば長化された型を、
クラリネット1管が弱音のシャリュモーで吹奏する。
チャイコフスキーに特有の、「最後の大盛り上がり前の予兆」である。
次第に音量が増して、
→
[Piu presto(ピウ・プレスト=もっと急速に)]
→
[2/4拍子]
実質変ホ長調で、
♪ミー・ミミ│ミー・ミミ│ミー・ミミ│ミー・ミミ│
ミー・●●│>レー・●●│>ドー・●●│>シー・●●│
>ラー・●●│<シー・●●│<ドー・●●│<レー・●●♪
→
[Prestissimo(プレスティッスィモ)]
2段階の加速をして、調号どおりのイ長調に転じて、
fffを貫きとおして、強烈なフィナーレとなる。
この作品から、チャイコフスキーは
イタリア語の速度標語に加えて、
メトロノームによるテンポ表示を併用するようになった。
オーケストレイション前にカーメンカから
出版者のユルゲンソンにメトロノームを送るように要請してる。
直近の「組曲第1番」「ピアノ協奏曲第2番」までは
イタリア語の速度標語のみなのである。いっぽう、
「イタリア奇想曲」以降、ほとんどの管弦楽作品において、
チャイコフスキーはイタリア語の速度標語とともに
メトロノームのテンポを併記したのである。
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