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チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『1812年』の【嘆息音型】」

2009年05月21日 01時00分34秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


浜崎あゆみ女史、倖田來未女史、大塚愛女史、などの関西での
"コンサート"が、新型インフルの流行の兆しをうけて、
エイヴィックス・ヴェポラッブでは対処できないという判断で、
中止されることになったそうである。
大塚愛というよりは池袋愛、巣鴨愛、
赤坂小町よりもプリプリなおねえさんが好きな私であるが、
古今集に収録され百人一首にも採られてる、
小野小町の作と言われてる和歌に、
「鼻の水は、うつりにけりな。
 いたづらに、わが身タミフル、ながめせしまに」
というものがある。小町女史は、
「フル」と「降る」と「経る」、「長雨」と「眺め」
という掛詞を配してるいっぱしの和歌テクニシャンである。いっぽう、
オウ、ノウ!のコマッヂった輩がいる。時事通信によれば、
<5月11日から18日まで、国連の関係機関が主催する
国際会議に出席するため、同級生5人らとともに、
ニューヨークに滞在していた
川崎市高津区の洗足学園の2年に在籍する
八王子在住の女子高生が新型インフルを発症した>
そうである。帰国の機内で発熱してた由。
国連などという、日本やドイツなどを
敵国条項で未だに敵国としてるものが主催する会議に、
世界を担うほどの頭脳でもないだろうに、こんな時期に、
学期中にもかかわらずおめおめと出かけてった
お目出度い輩である。そんなのが、
ウィルスをもらってきて日本にバラマク役を担うのである。
ナポレオンはロシアに侵略しようと目論んで失敗したが、
新型インフルは、自粛、という言葉を知らない
思慮に足りないむきを大陸間弾道弾として
運搬させることに成功した。この
「新型インフル」はたいしたことがないようだが、
一事が万事、バンバンジー。新型トリインフルは、おそらく、
こんな手ぬるいもんではない。そんなときでも、
自分だけの権益を優先する輩は、
他人様のための検疫などしったこっちゃなく、
平気な神経で海外渡航することだろう。それにしても、
ウィルスとはてめぇ一人では増殖もできず、大脳ももたない身ながら、
よそ様の細胞を利用するたいした「頭脳」である。ところで、
「イエズス会」によるカトリック世界制覇日本植民地化の先兵たる
宣教師阻止、以外に、徳川幕府が
鎖国政策を採った理由のひとつに、「梅毒」がある。
黒田孝高、加藤清正、浅野幸長、
などの死因だとされてる。梅毒はウィルスではないが、
家康が次男の(結城)秀康を疎んじたのは、秀康が
先天性梅毒に罹患してハッチンスン歯様を呈してたためではないかと、
私は考えてる。後年の家康の「後家好き」は、熟女マニアという
本能に根ざすものというより、病気持ちでない確証を得やすい、
という理由だったのだろう。いずれにしても、
女子高生などの「濃厚接触者」になりたくなかったことは
明白である。ともあれ、
ウィルスの感染経路というのは、ウィルスの体内での増殖過程と
まったくおなじフラクタル構造である。すなわち、簡単にいえば、
ウィルスに感染した細胞内で増殖したウィルスは、その細胞から
大量放出されて他の細胞に巻き散らかされ、
さらにウィルスを増殖させるのである。発生地帯から、
各地にばら撒かれてく経路とソックリである。ちなみに、
この過程で、その「増殖」「放出行為」を可能にする
ノイラミニダーゼの働きを阻害するのが、
「リレンザ」や「タミフル」である。
「薬くそ商売」という言葉があるように、薬は儲かる。
グラクソ・スミスクライン社やロシュ社など、
ガメツイ英国やスイスの製薬会社は丸儲けである。ともあれ、
タミフルの成分はシキミ酸から精製されるのだが、仏前に供える
「シキミ」から発覚も八角も発見もされたものである。
クスリだからもちろんリスクがある。薬と毒とは紙一重。
シキミの実には猛神経毒のアニサチンが含まれてるのである。
「悪しき実」→アシキミ→シキミ、である。
ヴィオーラ2棹+チェロ4棹=計6棹ソリによって奏される
「タミフルよ、おバカなツアー痢をまもりたまえ」という
ロシア正教の聖歌で始められたチャイコフスキーの
「1812年」の冒頭A部ラールゴは、
23小節めから、変ホ長調の平行調ハ短調で、
木管群の合いの手が入る。
ここらへんの弦ソリとのやりとりは、
じつに感動的である。やりとりはクレッシェンドされ、
ついに第34小節でソリから弦楽合奏になる。
弦楽合奏がハ短調の属和音をトレモロで分散させる向こうで、
木管群(+ホルン4管)は、
***♪●●・【ファー>ミー│ーー・ミー・ミー】│>ラ♪
という【嘆息音型】を属7の和声で強奏する。そして、
独奏オーボエが、ハ短調で、
***♪●●・【ファー・ー>、ミ】│>ラ、<シ・<ド>シ・、ラ>ファ│>ミ♪
という節を吹く。2小節前の木管群の【嘆息音型】は、
この「露払い」だったことが解る。さて、
このオーボエのソロには、
"piangendo(ピアンジェンド) e(エ) molto(モルト) espr.(エスプレッスィーヴォ)"
という指示がなされてる。ノッチと山口良一の区別もおばまつかない、否、
おぼつかない拙脳なる私にはイタリア語の意味が解るはずもないが、
e(エ)=and、molto(モルト)=much espr.(エスプレッスィーヴォ)=expressively、
みたいな意味であることは言うまでもない。それより、
piangendo(ピアンジェンド)である。これは、
動詞piangere(ピアンジェレ=泣き嘆く)の
gerundio(ジェルンディオ=この場合は、動詞が副詞化したもの、
とでもとりあえずは思っといていただきたい)、つまり、
「泣き嘆くように」である。したがって、
この♪【ファ>ミ】♪=嘆息音型によるオーボエのソロによって、
(主の、聖母の)「嘆き」が初めて歌われてしかるべきなのである。
一部思慮に足りないむきが解説してるようには、冒頭の
「ロシア正教の聖歌」が「民の嘆きを表してる」、
というわけではない。また、チャイコフスキーの作品に多様されてる
「ファ」で始まる主題のうちの♪【ファ>ミ】♪=嘆息音型が、
「いやいや作った」という言葉を鵜呑みにするむきも多い
この「1812年」に使われてる、というのもなんとも不思議だ、とは、
大砲は実弾がいい、大鵬の45連勝大鵬の45連勝白鵬の30連勝よりがいい、
とんかつは目黒の大宝より恵比寿のウスギリミルフィーユな安っぽいキムカツがいい、
なんていうむきには思いもよらないことなのだろう。いずれにせよ、
この「ラールゴ」部の【嘆息音型】は、あとに出てくる
「ソナータ部」の主要主題の「前触れ」なのである。
****♪ファー│<【ファーーー・ー>ミ】>レ<ミ・・>レ>ド>シ>ラ・♯ソー♪
ときに、NHKに勤務してる合コン仲間の話だと、最近、
「世界ふれあい街歩き」が"静かな人気番組"だという。つまり、
放送形態・放送時間帯の割には視聴率がいいのである。
その音楽を担当してる村井秀清なる人物は、
この【嘆息音型】を本来の意図からは大きく方向変換して、
****♪【ファ│>ミーー】>ソ・ーー●<【ファ│>ミーー】>ラ・ーーー●│
      ●<シー<ド・<レ<ファーー│>ミーーーー・ーー●♪
と、「おだやか」で「大衆受け」しそうな曲想にしてる。ただ、
この♪『ファ│>ミーー>ソ』♪という動機は、チャイコフスキーの
「眠れる森の美女」の(第3幕)第24曲「パ・ド・カラクテール」、
「ル・シャ・ボテ・エ・ラ・シャト・ブランシュ(ブーツを履いたオス猫と白いメス猫)」の
****♪●●●『ファ・>ミーーー・>ソーーー』♪
という動機が「頭に残って」て、それが時を経て
「自作」として「放出」したもの、だと思われる。いずれにせよ、
「猫」は「大衆受け」するネタなようである。まぁ、
「世界」と「ふれあう」のもほどほどにしとくのが得策である。
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「チャイコフスキー『1812年』冒頭の聖歌」

2009年04月26日 21時56分41秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


ブタ・インフルが"メキシコ合衆国"では
カチクの勢いで広まってるらしい。
メヒコといえば、数年前にFTAが成立したが、
これで豚肉の輸入が禁止にでもなったら
身もフタもブタもなくなってしまう。それはともかくも、
ナポレオンのロシア遠征の失敗の一要因に、
赤痢・腸チフス・発疹チフスなどの伝染病がある。
平原とはいえ、湿地である
ポーランドを通過しなければならない。また、
ロシアという国自体も、貴族以外は奴隷みたいな特殊な
後進国で市街が不衛生だった。
伝染病の巣窟である。ちなみに、
なぜナチスがアウシュヴィッツに収容所を敷設したかといえば、
湿地なためにおもに発疹チフスが蔓延する
土地だったからである。

ナポレオンがロシアに攻め入ったとき、当初は
仏他交えて60万人だった兵力は、
ポーランドを越えて帝政ロシア領リトアニアの
ネムヌス川を渡ったときすでに、47万人。
退却戦術を採った20万人のロシア軍を
ゼンソク力で追ってスモレンスクに到達したとき、
15万人にまで減少。そして、初めてともいえる
戦闘で約1万人の死傷者を出し、
退却をつづけるロシア軍に引きこまれるように進んだ
ボロヂノの戦闘では3万人の死傷者で、
残存兵力は11万人。
「めでたく」もモスクワに入るも、ロシア軍の焦土作戦によって、
もぬけのから、焼けの原で、ボナパルトはヤケの腹。
おおざっぱにいえばポーランド→ロシアという
「プレイン」な進路をたどってきたものの、
「兵站」補給の路地スティクスは
「平坦」ではなかったようである。
たった1か月のモスクワ「滞在」でも、兵は10万人に。
退却が始まると、それ待ってたとばかりに、
ゴキブリみたいに隠れてたロシア兵に追撃されて、すぐに
半減。ヨウ素よりも半減期が短いゆえ、我々エセ歴史学者は、
ロシア軍による「ヨウド作戦」と呼んでるのである。
這う這うの体でたどりついたスモレンスクでは、3万5千。
ベラルーシのベレジナ川に追い詰められたナポレオン軍は、
凄惨な犠牲を払ってやっとこさ3万人が渡る。そして、
逃げににげてネムヌス川を渡ったときには、
たったの5千人。よくも、
ロシア軍にナポレオンは首を取られなかったものである。さて、
逃げる、といえば、荒れた馬場である。

私は不良馬場の、しかも、
大雨が降りしきる中での競馬が好きである。
馬にとってはつらいことだろうが。だから、
日本ダービーは、雨があがった重馬場ではあったが、
シリウスシンボリ号が勝ってスダホーク号が負けた
26頭立ての第52回東京優駿が忘れられない。そのとき、
逃げて18着に惨敗したトウショウサミット号に騎乗してたのは、
その1週前、音無騎手(現、調教師)の大穴ノアノハキブネ号が
驚異の追い込みで勝った優駿牝馬(オークス)で2着した
5番人気馬ナカミアンゼリカ号に跨ってた中島啓之騎手である。
同騎手は最後の騎乗となったダービーのわずか2週間後に
肝臓癌で死亡したことである。さて、
今日は晴れて馬場も回復したことだったが、私は
タレントほしのあき女史が命名した
ハシッテホシーノ号の複勝馬券をしこたま買い込んでたので、
非常に血圧があがったことだった。
(結果、3着。配当2.1倍)

ロシア正教聖歌=
"Спаси(スパスィー:救い給え),
Господи(ゴースパヂ:神よ),
люди(リューヂ:民を) Твоя(トヴァヤー:汝の)"

曲はヴィオーラ2棹とチェロ4棹の、計「6声」のソリによって、
「スパスィー、ゴースパヂ、リューヂ・トヴァヤー」が奏でられる。
これが23小節続く。そして、23小節めから、
7声乃至9声の木管が相の手を入れるのである。
***♪ドド│<レー・<ミー、・>ドド│<レ<ミ・<ファファ・<ファー│ーー・ーー・ーー♪
が、日本楽譜出版社の安価な「1812年」(学習用小スコア)は、
<先ずヴァイオリンとセロによつておも苦しい旋律を奏する。
 これはナポレオン軍が大擧おしよせて來るので、
 おそれおののくロシア国民の苦悩である。
 讃美歌『神よ汝の民を護れ』であるから
 合唱で開始されなければならぬが、
 多くの場合合唱を省略して奏する。>
などと、故須摩洋朔なる御仁によって解説されてる。
「おそれおののくロシア国民の苦悩」
「おも苦しい旋律」だそうである。自ら
「賛美歌」などと書いてるのに。また、使用楽器が
まったくのデタラメである。まず、
<ヴァイオリン>でなく「ヴィオーラ」である。それから、
チャイコフスキーは合唱附きでなど書いてない。
クラ音を学習しようとしてる無垢な若者に
誤った知識を植えつける罪深い所業である。
もちろん、横浜市金沢区の金沢文庫すずらん通り商店街でも、
ヴィオーラ2棹+チェロ4棹=「6声」のソリ、
で演奏しなければならない。ときに、
「ナポレオン・ボナパルトのモスクワ探訪」
というTV番組はなかったかもしれないが、
テレ朝の「渡辺篤史の建もの探訪」のテーマ音楽は、
"Between the word & the heart"という
和製英語なタイトルの歌謡曲である。
***♪ドー・ーー・・<レ<ミ・ー>ド│ーー、●ド・・<レ<ミ・ー>ド│ーー、
   ●ド・・<レ<ミ・ー>ド│ーー、●ド・・<レ<ミ・ーー│
   <ファー・>ミー・・>レ>ド・ーー│ドー・>シー・・>ラ<シ・ー<ド│ーー♪
この歌からは、ときどき遠征先を見据える不安そうな
ナポレオンのシルエットが連想されることである。
ロシアを征服できなかったヘタレなナポレオンの額には、
「役立たず」というフリーメイスンによる烙印が押されたのである。
フリーメイスンはナポレオンに見切りをつけ、ベルナドット、すなわち、
スウェーデン王カール14世ヨハンを後釜に据えるのである。
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「チャイコフスキー『1812年』冒頭の速度」

2009年04月17日 18時26分12秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


[A-B-C-A'-B']
(Largo-Andante-Allegro giusto-Largo-Allegro vivace)
という構造の、チャイコフスキーの「1812年」のしょっぱなAは、
「ラールゴ、3/4、3♭(変ホ長調)」である。
ロシア正教の聖歌「神よ、汝の民を救い給え」が
引用されてる。まず、
速度。イタリア語の標語は「ラールゴ」。そして、
添えられたメトロノーム表示は「四分音符=60」。
楽譜が読める程度のクラ音ファン、または、
本来はクラ音なんてやれる才も能も持ち合わせてなかった"プロ"、
の中には、(おや?)と思われるかたもいるだろう。
「うーん、ラルゴってもっと遅いんじゃなかったかなぁ?」
「四分音符=40くらいじゃないの?」
それは先入観に汚染されてるせいである。たしかに、
メトロノームなどなかった時代の、
バロックのヴィヴァルディやテレマンやヘンデルや大バッハなどの
多楽章作品の緩徐楽章なんかによく使われてた。たとえば、
ヴィヴァルディの「四季」の「春」や「冬」の緩徐楽章なんて、
「四分音符=40」くらいでやってみたまえ。
あんまりのとろさに、1分間に欠伸が40回も出てしまう。
あれを「四分音符=40」で堂々と弾いたら、それは
音楽のセンスがない、ってことである。それはともかく、
チャイコフスキーはその作品において、
速度標語とメトロノーム指示に「概ねブレがない」作家である。
通常の曲ならば、たしかに、このメトロノーム指示では、
「アンダーンテ」の「遅いほう」の標語で
示されるはずである。しかるに、
「ラールゴ」。ということは、
チャイコフスキーはこの部分の速度に
特段の意味を持たせてる、ということである。
音楽用語としてのイタリア語のラールゴは、一般には、
"largo"=幅がある、広い、
というような意味で使われる。つまり、
「遅く」。いずれにしても、その綴りから、
英語の"large(ラージ)"と、おそらく同源なのだろう。
ラテン語の"largus"は「豊富なさまを表す形容詞」、
である。すると、これが音楽におけるイタリア語標語の、
神の領域で使われたとなると、
「お慈悲の御心が豊富」なのだろう。
「懐が深い」「寛大な」という意味にも
なるというものである。したがって、
「せかせかしない」ので「遅く」なる、
のである。さて、
チャイコフスキーはロシア正教の聖歌を引いた。
***♪【ドド|<レー・<ミー、
   ・>ドド|<レ<ミ・<ファファ・ファー|ーー・ー・ーー】|
   >ミミ・ミミ・ミー|ーー・ミー・ミー|>レー・ーレ・レレ|<ミー・ーー♪
後年、リーロイ・アンダースンという米国人が、
「スィンコペイティド・クロック」の弾頭に、この
聖歌を"引用した(※)"。
***♪(ソ<ラ<シ)|【ド●・<レ●・・<ミ●・>ド●|
   <レ●・<ミ<ファ・・ーー・ーー】|
   >シ●・<ド●・・<レ●・>シ●|
   <ド>シ・<ド<レ・・<ミ♪
ナポレオン軍による侵攻ペイティドな時間が
刻々と告げられた、のである。怖いですね、こわいですね。
また、もっと前に、やはり米国の
スコット・ジョプリンが「ディ・エンタテイナー」
***♪【ド<レ|<ミ>ド・<レ<ミ・・ー】>ド・<レ>ド|
   <ミ>ド・<レ<ミ・・ー>ド・<レ>ド|
   <ミ>ド・<レ<ミ・・ー>シ・<レー|>ドー・ーー・・ー♪
で、もうちょっと先っぽだけを繰り返した。
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「チャイコフスキー『1812年』の概要」

2009年04月13日 15時26分09秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


すでに、導入曲的に3つ、
「1812年」に関する事項を書いた。そして、
これから何度かに亘って、私なりの
「1812年」分析を書き綴ってく予定である。
本項はその概要である。ただし、
「概要」といっても、
持田香織女史と優香女史の顔の区別もおぼつかない
拙脳な私ゆえ、通常の、
楽器編成や初演年・初演指揮者、などの
どこでも調べられる事柄には言及してない。

【作曲経緯】
1880年、師ニカラーィ・ルビンシチェーィンから委嘱された、
マスクヴァーにおける博覧会開幕式のための
「祝典曲」である。そして、これには、
アレクサーンドル2世の在位25周年、
大聖堂奉献記念、
という事項も含まれてたのである。という、
「機会音楽」であるため、と
フォン=メック夫人への手紙などから、
チャイコフスキーが「しぶしぶ、いやいや」承諾した、
という認識が一般的に受け入れられてる。が、
このようなものにこそ、チャイコフスキーは
自らの作曲技術と教養とを発揮できる
絶好の「機会」と実は考えてたと私は感じる。
特に、2つの「国歌」の引用は
一般向けにきわめて解かり易く、
時代考証という粗さがしが
とるに足らないほど「効果的」で、事実、
ロシア帝国国家を後年ソ連がグリーンカの作品にすり替えた部分は、
まったくつまらない音楽になってしまった。また、
詳しくは後述するが、破棄したオペラ
「ヴォエヴォーダ(地方長官)」の、
捨てきれなかった貴重なデュエットを
この作品に流用した、ということは、
かなり「力を注ぎこんだ」という証左である。

ところで、
この作品の目的のひとつだった
「アレクサーンドル2世在位25周年」が、その
暗殺によってもともこもなくなり、
委嘱者だったルビンシチェーィンも嘘つかなくても
ハリセンボン飲まされたことで
雨の朝巴里に死してしまったために、
1881年に予定されてた初演は、翌年に順延になった。

【作品の素材と形式】
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」

Cという「ソナータ」を内包した、そのC部を展開部と置き換えた
AとBによるソナータ、というスキャンもできる。
曲はフラット3つという調性を主調とし、
ABCという3つの要素から構成し、その中のCのソナータでも、
第3主題まで設けてる、という
「3づくし」な「至聖三者」な、
ロシア正教=ツァーリ祝典曲である。ちなみに、
「1812」という数字自体も、3で割り切れる。

ちなみに、Cの第2主題を、
どこかの安価なデタラメ解説本を
聞きかじり見かじって、
ボロヂーノの農民の民謡などと噴かすむきがよくあるが、
まったくのホラであり、チャイコフスキーのオリジナルな節である。
また、冒頭の「聖歌」の引用を、
聖歌だから「合唱」でなければならない、
などというトンデモない輩もいる。当然、
ウソである。むしろ、
聖なるものとして人間の声以外の、
楽器などの使用を禁忌とした正教の聖歌を、
合唱で歌わせ、途中から「楽器」を加える、
などというあざとい「演出」による演奏は、
反対に「ロシア正教」を冒涜するものである。
変な浅知恵など弄せず、
チャイコフスキーが書いたように、
弦のソリで演奏すればいいのである。
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「ロシア帝国国歌『主よ、ツァーリを護り給え』」

2009年04月07日 00時22分25秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


[The Russian Imperial Anthem; God Save The Tsar]

今日から米国のTVドラマ「モンク」の第7スィーズンの放送が
NHK-BSで始まった。第1話は、
このドラマの前スィリーズまでのドクター・チャールズ・クロウガー役だった
スタンリー・カメイルが1年前に亡くなったので、その
「追悼話」にもなってた。同俳優の
"Beverly Hills, 90210”「(邦題)ビヴァリーヒルズ青春白書」での、
ディラン・マッケイの敵にして恋人の父、という
トウニ・マーシェット役の演技はじつに感動的だった。さて、
「モンク」では主演のトウニ・シャループが主題歌を歌ってるが、

ロシアほど国歌をコロコロと替えてきた国家はない。が、
皇帝ナポレオンがマスクヴァーに攻めてきたとき、
ロシアには国歌がなかった。とはいえ、
"Гром(ь) победы, раздавайся!"
(グローム(ミ)・パビェーディ、ラズダヴァーィシャ)
「勝利の轟音よ、敵を粉砕せよ」
という准国歌が1791年には歌われてた。
****♪ドーード・<ミー>レー・>ドー<レー│<ミーーー・>ドーーー・●●●●│
   >ドーー<ミ・<ソー>ファー・>ミー>レー│<ミーーー・ーーーー・●●●●♪
帝政ロシアが他国を征服した「証し」として
愛唱・愛奏した「ポロネーズ」である。
「スペイドの女王」で、エカチェリーナ2世が舞踏会に到着した場面で
盛大に奏される、という引用をチャイコフスキーがしてる、あの曲である。
****♪ミーー>レ・>ドードー・<ファー>ミー|ミー>レー・レーーー・●●●●|
   レーー>ド・>シーーシ・<ミーー>レ|レーーー・>ドーーー・●●●●♪
という箇所である。が、これではイマイチだったのかどうかは、
武田修宏と貴乃花の顔さえ見分けれない拙脳な私には知る由もないが、
1816年に、第6次対仏大同盟によってまた英国と手を結んだからか、
アレクサーンドル1世のロシア帝国は、英国の国歌ともいうべき
"God save the king"の節に、チャイコフスキーが埋葬されたネフスキー寺院で
ドストエフスキーが隣に埋められてる詩人ジュコーフスキーの
ロシア語の歌詞を附けて国家としたのである。
"Боже(ボージェ:主よ), Царя(ツァリャー:皇帝を) храни(フラニー:護り給え)!"
****♪ドーーー・ドーーー、・<レーーー│>シーーー・ーー、<ドー・<レーーーー♪
    ボー   ジェ、     ツァ      リャー       フラ  ニー    
ちなみに、リヒテンシュタイン公国は国歌の節として、
この旋律を未だに使い続けてるそうである。それはどうでも、
"God save the king"の節を用いたロシア国家は17年続いた。が、
やはりそんなのでは恥ずかしかったのだろうか、1833年には、
皇族ながら音楽家となったリボーフ公が作曲した歌が新国歌となった。
****♪ソーーーー・ーーー・・<ラーーー、・ラーーー│>ソーーー・ーーー>ミ>・・>ドーーー・ーーーー♪
    ボー          ジェ、   ツァ      リャー      フラ    ニー
歌詞はやはり「ボージェ、ツァリャー・フラニー(主よ、ツァーリを護り給え)」
になってしまったなのである。ちなみに、   
この節はほとんど「越天楽」である。
****♪ソーーーー・ーーー・・<ラーーー・ラーーー│>ミーーー、・ミーーー>・・>レーーー・<ミーーー♪
が、この国歌は1917年のロシア革命まで存続するのである。そして、
その2月革命でロマノフ家が皇帝から引きずり降ろされ、
臨時政府のもとで国歌とされたのが、
"Рабочая Марсельеза"
(ラボーチャヤ・マルスィリイェーザ)「労働者のマルセイエーズ」
つまり、フランスの「ラ・マルセイエーズ」なのである。ちなみに、
奇しくもレーニンと同郷だったケレンスキーは、
臨時政府の閣僚中、唯一、
ボリシェヴィキによる逮捕・処刑をまぬがれ、
1970年にNYで89歳の生涯を全うした。それはともかく、
チャイコフスキーの「1812年」では、
リボーフ公作曲「ボージェ、ツァリャー・フラニー(主よ、ツァーリを護り給え)」が
「ラ・マルセイエーズ」を駆逐してしまうのであるが、
2月革命ではその正反対になったのである。
チャイコフスキーの与り知らぬことではあるが。ところで、
リボーフ公作曲「ボージェ、ツァリャー・フラニー」の節は、
アメリカ合衆国はペンスィルヴェイニャ州の州歌、
"Hail, Pennsylvania!"の旋律なのである。
「モーツァルト」と「もうツーアウト」、それから
「墨子」とを聞き分けれない駄脳な私には、
そのわけを知る由もない。
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