8月7日は、作家の司馬遼太郎(1923年)が生まれた日だが、エチオピアのマラソン選手、アベベ・ビキラの誕生日でもある。
アベベ・ビキラは、1932年、長い歴史のある国、エチオピアのオロミア州、ジョル村で生まれた。家は貧しい農家で、父親は羊飼いだった。ほとんど学校に通わず、家の手伝いをしていたアベベは、家計を助けるため、エチオピア王室の護衛に志願した。彼の家から、王室のある首都アディスアベバまでは20キロメートル以上あったが、アベベはその道を歩いていったという。
19歳のとき、皇帝の親衛隊に入隊したアベベは、エチオピアが参加していた国連軍の兵士として、極東に派遣され、一時期、朝鮮戦争下の釜山に駐留した。
王族のボディーガードをしていたアベベは、足が速いのを見込まれ、国の陸上の強化選手となり、当時、エチオピア政府に招かれていたスウェーデン人コーチの訓練を受け、マラソン競技の国の代表選手になった。
1960年、28歳のとき、ローマ・オリンピックの男子マラソンに出場。当初は靴をはいて走る予定だったところ、靴がだめになり、本番のレースをアベベは裸足で走った。
当時無名だったアベベが、先頭をきってゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってくると、世界中のスポーツ・ファンが驚き、エチオピア国民は狂喜した。エチオピアは第二次世界大戦時、ムッソリーニのイタリアに侵略、占領されていた過去があり、そのイタリアの地でエチオピア人が、イタリア人たちの鼻をあかした恰好だった。
レース後、アベベは、なぜ裸足で走ったかと聞かれ、こうコメントした。
「わたしは世界中に知ってほしいのです、わが母国エチオピアは、いつも決断と英雄的なおこないによって勝利してきたことを」(I wanted the whole world to know that my country, Ethiopia, has always won with determination and heroism.)
4年後の32歳のとき、アベベは東京オリンピック出場のため来日。今回は、シューズメーカーのすすめもあって靴をはいて走り、みごと優勝。史上初のオリンピック・マラソン二連覇をなし遂げた。瞑想するかのような淡々と走る姿から「走る哲人」と呼ばれた
アベベは、36歳のとき、メキシコ・オリンピックにも出場したが、このときはひざ故障していて、レース途中で棄権した。
メキシコ五輪の翌年、アベベは自動車を運転していて事故を起こし、頸椎を損傷し、下半身付随のからだとなった。
その後、リハビリに努め、39歳の年には、ノルウェーで開かれた身障者のスポーツ大会の犬ぞりレースに参加して優勝し、世界の人々にアベベ健在を印象づけた。
1973年10月、脳出血のため、アディスアベバで没した。41歳だった。
現代では、みんながみな、
「わたしは誠心誠意一所懸命やっています」
「わたしは死ぬほどがんばっています」
と大声でわめいている時代で、アベベのような、闘志や苦労は内に隠し、表向きには平然、淡々と、というスタイルは流行らなくなった。淡々とした風を装っていると、
「すかしている」とか「真剣さが感じられない」と非難されたりする。
人を外見で判断し、その心中を推し量れない人ばかりになった。
走るアベベのような顔で生きたい。
(2021年8月7日)
●おすすめの電子書籍!
『アスリートたちの生きざま』(原鏡介)
さまざまなジャンルのスポーツ選手たちの達成、生き様を検証する人物評伝。嘉納治五郎、ネイスミス、チルデン、ボビー・ジョーンズ、ルー・テーズ、アベベ、長嶋茂雄、モハメド・アリ、山下泰裕、マッケンロー、本田圭佑などなど、アスリートたちの生から人生の陰影をかみしめる「行動する人生論」。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp
アベベ・ビキラは、1932年、長い歴史のある国、エチオピアのオロミア州、ジョル村で生まれた。家は貧しい農家で、父親は羊飼いだった。ほとんど学校に通わず、家の手伝いをしていたアベベは、家計を助けるため、エチオピア王室の護衛に志願した。彼の家から、王室のある首都アディスアベバまでは20キロメートル以上あったが、アベベはその道を歩いていったという。
19歳のとき、皇帝の親衛隊に入隊したアベベは、エチオピアが参加していた国連軍の兵士として、極東に派遣され、一時期、朝鮮戦争下の釜山に駐留した。
王族のボディーガードをしていたアベベは、足が速いのを見込まれ、国の陸上の強化選手となり、当時、エチオピア政府に招かれていたスウェーデン人コーチの訓練を受け、マラソン競技の国の代表選手になった。
1960年、28歳のとき、ローマ・オリンピックの男子マラソンに出場。当初は靴をはいて走る予定だったところ、靴がだめになり、本番のレースをアベベは裸足で走った。
当時無名だったアベベが、先頭をきってゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってくると、世界中のスポーツ・ファンが驚き、エチオピア国民は狂喜した。エチオピアは第二次世界大戦時、ムッソリーニのイタリアに侵略、占領されていた過去があり、そのイタリアの地でエチオピア人が、イタリア人たちの鼻をあかした恰好だった。
レース後、アベベは、なぜ裸足で走ったかと聞かれ、こうコメントした。
「わたしは世界中に知ってほしいのです、わが母国エチオピアは、いつも決断と英雄的なおこないによって勝利してきたことを」(I wanted the whole world to know that my country, Ethiopia, has always won with determination and heroism.)
4年後の32歳のとき、アベベは東京オリンピック出場のため来日。今回は、シューズメーカーのすすめもあって靴をはいて走り、みごと優勝。史上初のオリンピック・マラソン二連覇をなし遂げた。瞑想するかのような淡々と走る姿から「走る哲人」と呼ばれた
アベベは、36歳のとき、メキシコ・オリンピックにも出場したが、このときはひざ故障していて、レース途中で棄権した。
メキシコ五輪の翌年、アベベは自動車を運転していて事故を起こし、頸椎を損傷し、下半身付随のからだとなった。
その後、リハビリに努め、39歳の年には、ノルウェーで開かれた身障者のスポーツ大会の犬ぞりレースに参加して優勝し、世界の人々にアベベ健在を印象づけた。
1973年10月、脳出血のため、アディスアベバで没した。41歳だった。
現代では、みんながみな、
「わたしは誠心誠意一所懸命やっています」
「わたしは死ぬほどがんばっています」
と大声でわめいている時代で、アベベのような、闘志や苦労は内に隠し、表向きには平然、淡々と、というスタイルは流行らなくなった。淡々とした風を装っていると、
「すかしている」とか「真剣さが感じられない」と非難されたりする。
人を外見で判断し、その心中を推し量れない人ばかりになった。
走るアベベのような顔で生きたい。
(2021年8月7日)
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さまざまなジャンルのスポーツ選手たちの達成、生き様を検証する人物評伝。嘉納治五郎、ネイスミス、チルデン、ボビー・ジョーンズ、ルー・テーズ、アベベ、長嶋茂雄、モハメド・アリ、山下泰裕、マッケンロー、本田圭佑などなど、アスリートたちの生から人生の陰影をかみしめる「行動する人生論」。
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