5月12日は、伝説の看護士フローレンス・ナイチンゲールが生まれた日(1820年)だが、インドの思想家クリシュナムルティの誕生日でもある(誕生日には異説あり)。
ジッドゥ・クリシュナムルティは、1895年、南インドのチェンナイに近い町に生まれた。代々学者の家系で、父親は宗主国、英国の下で働く徴税局の役人だった。ジッドゥは、小さいころはマラリアに苦しみ、病弱で敏感な子どもだった。ぼんやりした、夢見がちな子だったため、教師や父親によくたたかれたという。
さて、ここに、ウクライナ生まれのブラバツキー夫人らが中心となって、1875年にニューヨークで創立された「神智学協会」という組織がある。これは、宗教や科学、哲学の研究を通して、人種、信条、性別、階級のちがいにとらわれない、人類の普遍的同胞愛の中核とならんとする神秘主義結社だった。この「神智学協会」が、来るべき、世界の教師となる存在がこの世に降臨する際に備えて、その存在を受け入れる「器」として、適任者をさがし、吟味し、一人の少年を選んだ。それが14歳のクリシュナムルティだった。彼は協会による英才教育を受け、彼が16歳のとき、クリシュナムルティを指導者とする「星の教団」が設立された(これに反発して「神智学協会」を離脱したのが、協会のドイツ支部にいたルドルフ・シュタイナーである)。
クリシュナムルティをいただく「星の教団」は世界的な組織で、日本にも1名団員がいて、今東光、今日出海兄弟の父親がそうだった。
1929年、34歳のとき、クリシュナムルティは、真理の追求は組織によってはあり得ない、人は何者にも追従しない、すべてから解放された自由な人間であるべきだ、として、団員が3000人あまりいた「星の教団」の解散をみずから宣言した。
「私は言明する。『真理』はそこへ通ずるいかなる道も持たない領域である、と。いかなる道をたどろうとも、いかなる宗教、いかなる宗派によろうとも、諸君はその領域へ近づくことはできない。(中略)いかなる人間も、外側から諸君を自由にすることはできない。組織化された崇拝も、大義への献身も諸君を自由にはしない。組織を作りあげてみても、仕事に没頭してみても諸君は自由にはなれないのだ。(中略)鍵は諸君自身の自己なのだ。その自己の開発と浄化の中に、その自己の不滅性の中に、その中にのみ『永遠の王国』は存在するのである」(「星の教団解散宣言」大野純一訳『クリシュナムルティの瞑想録』サンマーク文庫)
解散後、彼は、信奉者から差しだされた莫大な財産贈与を片っ端から断り、世界各国を旅し、著述活動をしてすごした後、1986年2月、すい臓ガンのため、米国カリフォルニア州で没した。90歳だった。
クリシュナムルティにはいろいろ教わった。たとえばこんなことば。
「昨日が死ぬことによってのみ純真な心が生まれる。けれどもわれわれは決して、昨日に対して死なない。われわれは常に昨日の残滓、昨日の断片を引きずっており、それこそは精神を一箇所に固定させ、時間で縛ってしまうのである。それゆえ、時間は純真さの敵である。人は毎日、精神がとらえ、固執しているものに対して死ななければならない。さもなければ、断じて自由はない。自由の中ではじめて繊細な心が花開くのである」(同前『クリシュナムルティの瞑想録』)
(2019年5月12日)
●おすすめの電子書籍!
『思想家たちの生と生の解釈』(金原義明)
古今東西の思想家のとらえた「生」の実像に迫る哲学評論。ブッダ、道元、ルター、デカルト、カント、ニーチェ、ベルクソン、ウィトゲンシュタイン、フーコー、スウェーデンボルグ、シュタイナー、オーロビンド、クリシュナムルティ、マキャヴェリ、ルソー、マックス・ヴェーバー、トインビー、ブローデル、丸山眞男などなど。生、死、霊魂、世界、存在、認識などについて考えていきます。わたしたちはなぜ生きているのか。生きることに意味はあるのか。人生の根本問題をさぐる究極の思想書。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
ジッドゥ・クリシュナムルティは、1895年、南インドのチェンナイに近い町に生まれた。代々学者の家系で、父親は宗主国、英国の下で働く徴税局の役人だった。ジッドゥは、小さいころはマラリアに苦しみ、病弱で敏感な子どもだった。ぼんやりした、夢見がちな子だったため、教師や父親によくたたかれたという。
さて、ここに、ウクライナ生まれのブラバツキー夫人らが中心となって、1875年にニューヨークで創立された「神智学協会」という組織がある。これは、宗教や科学、哲学の研究を通して、人種、信条、性別、階級のちがいにとらわれない、人類の普遍的同胞愛の中核とならんとする神秘主義結社だった。この「神智学協会」が、来るべき、世界の教師となる存在がこの世に降臨する際に備えて、その存在を受け入れる「器」として、適任者をさがし、吟味し、一人の少年を選んだ。それが14歳のクリシュナムルティだった。彼は協会による英才教育を受け、彼が16歳のとき、クリシュナムルティを指導者とする「星の教団」が設立された(これに反発して「神智学協会」を離脱したのが、協会のドイツ支部にいたルドルフ・シュタイナーである)。
クリシュナムルティをいただく「星の教団」は世界的な組織で、日本にも1名団員がいて、今東光、今日出海兄弟の父親がそうだった。
1929年、34歳のとき、クリシュナムルティは、真理の追求は組織によってはあり得ない、人は何者にも追従しない、すべてから解放された自由な人間であるべきだ、として、団員が3000人あまりいた「星の教団」の解散をみずから宣言した。
「私は言明する。『真理』はそこへ通ずるいかなる道も持たない領域である、と。いかなる道をたどろうとも、いかなる宗教、いかなる宗派によろうとも、諸君はその領域へ近づくことはできない。(中略)いかなる人間も、外側から諸君を自由にすることはできない。組織化された崇拝も、大義への献身も諸君を自由にはしない。組織を作りあげてみても、仕事に没頭してみても諸君は自由にはなれないのだ。(中略)鍵は諸君自身の自己なのだ。その自己の開発と浄化の中に、その自己の不滅性の中に、その中にのみ『永遠の王国』は存在するのである」(「星の教団解散宣言」大野純一訳『クリシュナムルティの瞑想録』サンマーク文庫)
解散後、彼は、信奉者から差しだされた莫大な財産贈与を片っ端から断り、世界各国を旅し、著述活動をしてすごした後、1986年2月、すい臓ガンのため、米国カリフォルニア州で没した。90歳だった。
クリシュナムルティにはいろいろ教わった。たとえばこんなことば。
「昨日が死ぬことによってのみ純真な心が生まれる。けれどもわれわれは決して、昨日に対して死なない。われわれは常に昨日の残滓、昨日の断片を引きずっており、それこそは精神を一箇所に固定させ、時間で縛ってしまうのである。それゆえ、時間は純真さの敵である。人は毎日、精神がとらえ、固執しているものに対して死ななければならない。さもなければ、断じて自由はない。自由の中ではじめて繊細な心が花開くのである」(同前『クリシュナムルティの瞑想録』)
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