5月7日は、アルゼンチンの「エビータ」マリア・エバ・ペロンが生まれた日(1919年)だが、法学者、美濃部達吉(みのべたつきち)の誕生日でもある。
美濃部達吉は、1873年、兵庫県、現在の高砂で生まれた。父親は漢方医で、達吉は次男だった。成績優秀で東京帝国大学に進み、法律学を専攻した。
24歳で大学を卒業後、内務省に就職。独、仏、英などに留学した後、帰国して、27歳のとき、東京帝国大学の助教授になり、29歳で教授に昇進した。39歳のとき、
「君主は国家におけるひとつの、かつ最高の機関である」
とする「天皇機関説」を発表。これは、ドイツの法学者の国家法人説の学説を、日本向けに発展させた理論だった。
57歳のとき、美濃部は貴族院の議員になった。
昭和に入り、軍部が増長し、民族主義的な風潮が強まり、この風潮に乗じようとした政治勢力が台頭して圧力をかけ、政府は国体明徴声明(こくたいめいちょうせいめい)を発した。これは、天皇主権、日本は天皇の統治する国であると宣言するもので、これにより「天皇機関説」を発表していた美濃部の立場は危うくなった。博士が62歳のときだった。
立憲君主国を志向する昭和天皇自身はこう言ったという。
「美濃部博士の言う通りではないか」
しかし、みこしの担ぎ手たちは自分たちの威勢のいいかけ声に酔っていて、みこしの上からの声は耳に入らない。美濃部は責任追及され、国会の貴族院で弁明の演説をし、不敬罪の疑いで検事局により取り調べを受けた。著書が発禁本となり、美濃部は議員を辞職した。
63歳のとき、ひきこもっていた美濃部の家に、強引に面会を求めてきた暴漢が、応接間で美濃部と対談中に、ピストルをとりだし発砲。博士は右足を撃たれ、重傷を負った。
敗戦後、美濃部博士は内閣の憲法問題調査会顧問として日本国憲法の検討にかかわり、占領軍は日本の国体を変える権利をもたないとし、新憲法を認めない立場をとった。
日本国憲法が施行された翌年の1948年5月に博士は没した。75歳だった。
経済学者の大内兵衛が書いている。
「美濃部博士の学説といえば、大正八年より昭和一〇年までの日本における、政府公認の学説である。という意味は、この一五年間に官吏となったほどの人物は、十中八九あの先生の憲法の本を読み、あの解釈にしたがって官吏となったのである。そしてまた、その上司はそれを承知して、そういう官吏を任用していたのである。これは行政官だけのことではない。司法官も弁護士も同様である。しかるに、いったん、それが貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学界の暴力団によって問題とされたとき、すべての法学界、とくにそれに直接した人々がどういう態度をとったであろう。上は貴族院議員、衆議院議員、検事、予審判事、検事長、検事総長等々より、下は警視総監、警視、巡査にいたるまで、彼らのうち一人も、みずから立って美濃部博士の学説が正当であるというものがなかった。(中略)何ともバカらしい道徳ではないか。何ともタワイのない学問ではないか。(中略)そういう学問ならば、いっそないほうがよいのではないか。そのほうが害がすくない。」(大内兵衛「法律学について」『大内兵衛著作集第一二巻』岩波書店)
現在の日本の状況は、戦前の1920年代の社会状況に酷似している。これから、美濃部博士のように「不敬」「非国民」のレッテルを貼られ、国民的スケープ・ゴートとなるかわいそうな人が出てくるだろう。冷静、正気、が大切である。
(2020年5月7日)
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美濃部達吉は、1873年、兵庫県、現在の高砂で生まれた。父親は漢方医で、達吉は次男だった。成績優秀で東京帝国大学に進み、法律学を専攻した。
24歳で大学を卒業後、内務省に就職。独、仏、英などに留学した後、帰国して、27歳のとき、東京帝国大学の助教授になり、29歳で教授に昇進した。39歳のとき、
「君主は国家におけるひとつの、かつ最高の機関である」
とする「天皇機関説」を発表。これは、ドイツの法学者の国家法人説の学説を、日本向けに発展させた理論だった。
57歳のとき、美濃部は貴族院の議員になった。
昭和に入り、軍部が増長し、民族主義的な風潮が強まり、この風潮に乗じようとした政治勢力が台頭して圧力をかけ、政府は国体明徴声明(こくたいめいちょうせいめい)を発した。これは、天皇主権、日本は天皇の統治する国であると宣言するもので、これにより「天皇機関説」を発表していた美濃部の立場は危うくなった。博士が62歳のときだった。
立憲君主国を志向する昭和天皇自身はこう言ったという。
「美濃部博士の言う通りではないか」
しかし、みこしの担ぎ手たちは自分たちの威勢のいいかけ声に酔っていて、みこしの上からの声は耳に入らない。美濃部は責任追及され、国会の貴族院で弁明の演説をし、不敬罪の疑いで検事局により取り調べを受けた。著書が発禁本となり、美濃部は議員を辞職した。
63歳のとき、ひきこもっていた美濃部の家に、強引に面会を求めてきた暴漢が、応接間で美濃部と対談中に、ピストルをとりだし発砲。博士は右足を撃たれ、重傷を負った。
敗戦後、美濃部博士は内閣の憲法問題調査会顧問として日本国憲法の検討にかかわり、占領軍は日本の国体を変える権利をもたないとし、新憲法を認めない立場をとった。
日本国憲法が施行された翌年の1948年5月に博士は没した。75歳だった。
経済学者の大内兵衛が書いている。
「美濃部博士の学説といえば、大正八年より昭和一〇年までの日本における、政府公認の学説である。という意味は、この一五年間に官吏となったほどの人物は、十中八九あの先生の憲法の本を読み、あの解釈にしたがって官吏となったのである。そしてまた、その上司はそれを承知して、そういう官吏を任用していたのである。これは行政官だけのことではない。司法官も弁護士も同様である。しかるに、いったん、それが貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学界の暴力団によって問題とされたとき、すべての法学界、とくにそれに直接した人々がどういう態度をとったであろう。上は貴族院議員、衆議院議員、検事、予審判事、検事長、検事総長等々より、下は警視総監、警視、巡査にいたるまで、彼らのうち一人も、みずから立って美濃部博士の学説が正当であるというものがなかった。(中略)何ともバカらしい道徳ではないか。何ともタワイのない学問ではないか。(中略)そういう学問ならば、いっそないほうがよいのではないか。そのほうが害がすくない。」(大内兵衛「法律学について」『大内兵衛著作集第一二巻』岩波書店)
現在の日本の状況は、戦前の1920年代の社会状況に酷似している。これから、美濃部博士のように「不敬」「非国民」のレッテルを貼られ、国民的スケープ・ゴートとなるかわいそうな人が出てくるだろう。冷静、正気、が大切である。
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