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『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月26日・フランクルの知性

2018-03-26 | 科学
3月26日は、『飛ぶのが怖い』の作家、エリカ・ジョング(1942年)が生まれた日だが、精神分析医のヴィクトール・フランクルの誕生日でもある。アウシュビッツ絶滅収容所から生還した『夜と霧』の著者である。

ヴィクトール・エミール・フランクルは、1905年、オーストリアのウィーンのユダヤ人家庭で生まれた。父親は公務員だった。
18歳でギムナジウム(高等学校)を卒業したヴィクトールは、ウィメーン大学へ進み、医学を専攻し、神経医学と精神医学の専門家になった。ジクムント・フロイトやアルフレッド・アドラーの教えを受けたフランクルは、32歳でウィーンの病院の研修期間を終えた。彼はその病院で、3万人以上の自殺衝動患者を診察した。
33歳のとき、ドイツとオーストリアが合併。ヒトラー率いるナチス・ドイツの政策により、フランクルはユダヤ人だったため、ドイツ人を診察することを禁止された。
フランクルは36歳で結婚。その翌年の37歳のとき、両親、妻とともに身柄を拘束され、チェコにあるテレジエンシュタット強制収容所へ送られた。両親と妻は収容所で相次いで死亡したが、ポーランドのアウシュビッツ絶滅収容所へ移送されたフランクルは奇跡的に生き延び、40歳で終戦を迎え、翌年、収容所体験をつづった『夜と霧』を発表した。
戦後は、ウィーンの病院に勤務し、ウィーン大学のほか米国のいくつかの大学で教鞭をとった後、1997年9月、ウィーンで没した92歳だった。
著書に『「生きる意味」を求めて』『意味への意思』『苦悩する人間』 などがある。

ナチス・ドイツの占領下においては、ナチスに反抗する疑いありと判断された政治犯容疑者は、家族ごと夜のうちにどこかへ連れ去られ、消えてしまうという「夜と霧(Nacht und Nabel)」指令が実施された。『夜と霧』の題名はここからきている。

アウシュビッツの囚人の食べ物は1日に1回、水のようなスープと、小さなパンひと切れというのが基本だった。囚人たちは苛酷な労働に駆りだされ、病気で死に、衰弱して死に、またガス室へ送られて続々と死んでいく。石炭酸の注射で殺され、殴り殺され、射殺され、また、脱走を試みた者は絞首刑にあった。むち打ちや拷問は日常茶飯事。
そんな地獄のなかでも、フランクルが冷静に人間を観察、分析していた。
「知識を取り去ったところに、残るのが知性」
とはよく言われるところだが、精神に異常をきたす者が多い収容所で、フランクルは、人間の精神を観察し、ほかの囚人たちを落ち着かせるべく医学的な話をし、失われた論文を新たに書き起こす準備をしていた。これは恐るべきことで、フランクルこそ知性の人、『夜と霧』こそ知性の書である。

フランクルは書いている。
「これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの『種族』は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。」(霜山徳爾訳『夜と霧』みすず書房)
肌の色や血縁などとはちがう種族の区切りがある。
(2018年3月26日)


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