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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月12日・ブラヴァツキー夫人の波

2023-08-12 | 思想
8月12日は、理論物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが生まれた日(1887年)だが、神智学を開いたブラヴァツキー夫人の誕生日でもある。

ブラヴァツキー夫人は、エレーナ・ペトローヴナ・フォン・ハーンとして、1831年、現在のウクライナのドニプロペトロフシで生まれた。父親はドイツ貴族の血をひく軍人で、母親はロシアの上流出身で小説家だった。父親の転勤にともなって、エレーナたち家族は子供のころからよく引っ越しをした。エレーナが11歳になる年に、母親が没し、彼女たち子どもは、サラトフの市長だった、母方の祖父のもとに預けられ、複数の家庭教師の環視のもとでみっちりと教育やしつけを施された。
管理された境遇からの自由を求めたエレーナは、18歳になる年に、ずっと年上の政治家、ニキフォル・ブラヴァツキーと結婚し、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーとなった。しかし、彼女はすぐに 年輩の夫から逃げだし、親族のもとへもどってしまった。それから彼女は旅に出、エジプト、フランス、ギリシア、東ヨーロッパ、インド、チベットなど、世界を何年間もかけて放浪した。父親がときどき生活費を送金していたらしい。
42歳のとき、米国ニューヨークに着いた。夫とは別れたものの、ブラヴァツキー夫人を名乗る彼女は、米国でおこなわれた降霊会で知り合った米国人ヘンリー・オルコット大佐と意気投合し、1875年、彼女が44歳のとき、ニューヨークで「神智学協会」を創設した。
神智学協会とは、人種や信条、性別、階級、皮膚の色のちがいにとらわれず人類の普遍的同胞愛の中核となること、そして、宗教、哲学、科学の比較研究を促進し、未知の自然法則や、人間の潜在能力を研究することを目的とした私設の国際組織である。
初代会長には、オルコット大佐が就き、ブラヴァツキー夫人は交信秘書となった。
彼女が48歳のとき、神智学協会は本部をインドへ移した。その後、ブラヴァツキー夫人は、神智学協会の理論的柱として、『シークレット・ドクトリン』『神智学の鍵』など膨大な書を著し、1891年5月、インフルエンザのため、没した。59歳だった。彼女の遺体は火葬され、その灰は英国、米国、インドの各神智学協会に分けられた。

彼女の死後、ルドルフ・シュタイナーが神智学協会の会員となり、ドイツ支部を設立する。その後、神智学協会の幹部が、インド人少年、クリシュナムルティを、キリストの再来として担ぎ上げ、クリシュナムルティを教師と仰ぐ「星の教団」を結成する。と、歴史は動いてゆくことになる。

ブラヴァツキー夫人の文章を二度読もうと試みたけれど、挫折して、いまだちゃんと読めていない。キリスト教やヒンドゥー教など、いろいろな宗教と、その宗教から異端視されたオカルトの考えを集めて煮込んだシチューのような神秘哲学、というぼんやりした印象がある。ただ、言えることは、「科学的な検証」は、こうした分野の研究に当てはめないほうがいいということである。
オカルトとは、もともとラテン語で「隠されたもの」という意味のことばで、科学的に明らかにできない分野の問題を研究しているのだから、それを、
「科学的に証明できないからうそだ」
と批判するのは、ナンセンスである。いずれによせに、ブラヴァツキー夫人の投じた一石からさまざまな大きな波が生まれた。人間存在を考えるうえで、とても重要な役割を果たした人である。
(2023年8月12日)



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