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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月13日・西城秀樹の迫力

2022-04-13 | 音楽
4月13日は、『ゴドーを待ちながら』を書いたサミュエル・ベケットが生まれた日(1906年)だが、歌手の西城秀樹の誕生日でもある。

「ヒデキ」こと西城秀樹は1955年、広島で生まれた。本名は木本龍雄。小学生のころから柔道、水泳をするスポーツ少年だった彼は、ジャズスクールに通うドラマー志望でもあった。
高校のとき、ジャズ喫茶で演奏していたところをスカウトされ、親の反対を押し切り、なかば家出する形で上京。東京の定時制高校へ通いながら、芸能プロダクションに所属し、歌や踊りのレッスンを受けた。
17歳になるすこし前にシングル「恋する季節」で、西城秀樹としてデビュー。「ワイルドな17歳」として売り出した。
18歳で「情熱の嵐」がヒット。当時の若手アイドル、郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれた。以後「薔薇の鎖」「激しい恋」「傷だらけのローラ」「恋の暴走」「君よ抱かれて熱くなれ」「若き獅子たち」「ラストシーン」「ブルースカイブルー」などヒット曲を連発し、派手なステージアクションで歌う情熱的肉体派の歌手として君臨した。また、カレールーのテレビCMに登場し「ヒデキ、感激」のセリフで親しまれた。
48歳のとき、脳梗塞になり、うまくしゃべられなくなった。再起が危ぶまれたが、懸命のリハビリの結果、またステージ活動に復帰した。
60歳になり「ヒデキ、還暦」とジョークを飛ばし、元気なところを見せたが、2018年4月下旬に自宅で倒れ、緊急入院し、月が替わって5月、急性心不全のため、入院先の横浜の病院で没した。63歳だった。

西城秀樹が24歳のときに歌った大ヒット曲「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は、その振り付けとともに、日本全国老若男女、知らぬ者はないというくらいに広く知られた。
洋楽ファンで、米国のヴィレッヂ・ピープルの原曲「YMCA」を知っていたので、ヒデキが日本語版を歌うと聞いたとき、椅子からすべり落ちるほど驚いた。英語版の「YMCA」は、お金がなくても落ち込むなよ、安く泊まれるYMCAへおいでよ、ここに滞在すれば楽しい時を過ごせるよ、というゲイを匂わせる内容の歌詞だったからだ。
でも、ヒデキは原曲のゲイ色を一掃し、高校野球にふさわしい青春応援歌風の日本語訳で歌い、大ヒットさせた。ヒデキの日本語版だと、なぜYMCAなのか脈絡がわからない。
ヒデキは、この原曲をラジオかなにかで聴き、これは絶対にいけるとピンときて、すぐに権利をおさえてもらい、つぎに発売予定が決まっていたレコードをキャンセルして、急きょ「YMCA」を録音、販売した経緯があったらしい。すべて、ヒデキ本人が、24歳の若さと情熱で周囲を動かして作り上げた大ヒットだった。

その昔「イカすバンド天国」という番組があって、若者のバンドコンテストをやっていたのだけれど、その参加者たちに「もっとも影響を受けた日本人アーティストは?」というアンケートをとると、第1位が沢田研二、第2位が西城秀樹だったという。
西城秀樹は、歌謡曲の歌手というより、ロック・ヴォーカリストという感じが強く、歌への情熱を、180センチある長身全体にみなぎらせてぶつかってくるその迫力は、ちょっとほかの歌手にはないものだった。いまだにヒデキを超える肉体派のヴォーカリストは出ていない。やっぱり、なにかことを成すときは、ヒデキみたいな迫力がなくては。
(2022年4月13日)



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