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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月15日・オーロビンドの思想

2019-08-15 | 思想
敗戦記念日の8月15日は、仏皇帝ナポレオン・ボナパルトが生まれた日(1769年)だが、インドの思想家オーロビンドの誕生日でもある。

オーロビンド・ゴーシュは、1872年に英国の支配下にあったインドのコルカタ(カルカッタ)で生まれた。父親は医者で、オーロビンドは6人きょうだいの上から3番目だった。
7歳になったオーロビンド・ゴーシュは、上の二人の兄とともに英国へ留学した。これは、インドの行政組織であるICS(Indian Civil Service)の官僚になるためだった。
英国留学中にオーロビンドは愛国心に目覚め、インド独立のために行動を起こす決意を固めた。
21歳のとき、14年ぶりにインドへ帰国したオーロビンドは、バローダ州のICSに勤務しながら詩を書きためて、詩集を出版した。
25歳のころから、バローダ大学で仏語や英語を教えるようになり、29歳のころから、しだいに民族主義運動に力を入れだし、国内の独立革命を目指す活動家たちと連絡を取り合い、革命機関紙を編集し、各地の集会で講演をした。
36歳のとき、爆弾テロ事件に関与した容疑により、オーロビンドは未決囚として刑務所に収監された。その刑務所の独房で、強い幸福感をともなう神秘体験をし、瞑想によってその境地に入れるようになった。37歳のとき、無罪が確定し、釈放されたオーロビンドは、ふたたび政治活動をはじめたが、38歳のときに政界からの引退を表明。数人の弟子を連れ、インド南部のポンディチェリーへ移り住み、著述と瞑想三昧の生活をはじめた。「マハトマ」ガンディーが南アフリカからもどり、独立運動を開始するのは、その5年後である。

南インドへ居を定めたオーロビンドは、42歳のころ、瞑想修行のパートナーとなるフランス人女性、ミラ・アルファサと出会い、彼女の働きによって、ポンディチェリーのアシュラム(修行道場)は整理され、発展していった。オーロビンドのアシュラムは学校をはじめ、学校はその後アシュラムから独立し、大学までの教育カリキュラムを備えた「聖オーロビンド国際教育センター」となった。ミラはまた、人類のつぎに地球上で繁栄する種の出現のための準備として巨大なコミュニティー「オーロヴィル」を創設した。
1947年8月15日、インド独立が成り、その記念式典において、オーロビンドはラジオの全国放送を通じ、全インド国民に向かって演説をした。その後も、思索と著述を続け、1950年12月、ポンディチェリーで没した。78歳だった。

オーロビンドは、西洋哲学と東洋思想を仔細に検討して修正を加え、整理し、生の真実を探求しようとした人である。
オーロビンドによると、人類の苦悩は、物質面、環境面などの外的ないちじるしい進化に比べて、人間の内的な進化が遅れ、ついていけないために起きたものだという。苦悩を解決するためには、内面を進化させなくてはならず、精神的存在である人間を、霊的存在へと進化させることが必要になってくる。彼の考えはこうである。
「生とは、苦しみでも、無味乾燥な繰り返しでもなく、本来楽しいはずの、生き生きとした聖なる営みである。生は魂の冒険であり、魂は転生を繰り返して、そのつど新しい体験の旅に出、新しい体験を重ねて進化していく。そこに新たに生まれ変わる意味がある」
(2019年8月15日)



●おすすめの電子書籍!

『オーロビンドとマザー』(金原義明)
インドの神秘思想家オーロビンド・ゴーシュと、「マザー」ことミラ・アルファサの思想と生涯を紹介。オーロビンドはヨガと思索を通じて、生の意味を追求した人物。その同志であるマザーは、南インドに世界都市のコミュニティー「オーロヴィル」を創設した女性である。われわれ人間の「生きる意味」とは? その答えがここに。

『オーロヴィル』(金原義明)
南インドの巨大コミュニティー「オーロヴィル」の全貌を紹介する探訪ドキュメント。オーロヴィルとは、いったいどんなところで、そこはどんな仕組みで動き、どんな人たちが、どんな様子で暮らしているのか? 現地滞在記。あるいはパスポート紛失記。南インドの太陽がまぶしい、死と再生の物語。


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http://www.meikyosha.com



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