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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月25日・ジョージ・オーウェルの予言

2019-06-25 | 文学
6月25日は、スペイン・カタルーニャの建築家、アントニ・ガウディが生まれた日(1852年)だが、英国作家、ジョージ・オーウェルの誕生日でもある。

ジョージ・オーウェルこと、本名エリック・アーサー・ブレアは、1903年に英国の植民地だったインドのベンガル地方で生まれた。父親は役人で、インドの高等文官だった。
生まれてほどなくして、エリックは母親と英国へ引っ越し、成績優秀な彼は名門のイートン校に進んだ。その後、彼はインド帝国警察の職員としてビルマで5年間ほど勤務した。
宗主国の官吏として植民地で働くわが身を嫌ったエリックは、辞表を出し、ビルマを離れるが、このときの経験を生かし、後に『ビルマの日々』を書いた。
その後、仏パリで2年ほど暮らした後、イギリスへ戻り、家庭教師や学校教師をし、雑誌に記事を書きはじめた。下層階級に身をおいた見聞をもとに、ルポタージュ『パリ・ロンドン放浪記』となり、このころから彼はジョージ・オーウェルの筆名を使いはじめた。
彼がヨーロッパへ戻ったのは世界的な不況の時期であり、ロシアに世界初の共産主義国が誕生し、世界的に社会主義の機運が高まっていた時期だった。このことがオーウェルに重要な影響を与えた。
33歳のころ、スペインへ渡り、スペイン内戦に兵士として加わったが、撃たれ重傷を負い、戦線を離脱、フランスに逃れ、35歳のとき、スペインでの体験に基づくルポタージュの金字塔『カタロニア讃歌』を発表した。
その後、評論、エッセイなどを書く文筆家となり、第二次大戦に英国軍の兵士として従軍し、終戦の年、42歳でスターリンやトロツキーの時代のソ連にヒントを得た小説『動物農場』を発表して文名は高まった。
42歳のころ、結核に冒され、スコットランドの島へ移ったり、本土の病院に入院したりしながら、暗澹たる管理社会を描いた未来小説『1984年』を書いた。
冷戦時代だった1949年に発表された『1984年』は、彼の文名をいよいよ高らしめたが、発表して間もない1950年1月、オーウェルは喀血し、ロンドンで没した。46歳だった。

ロックスターのデヴィッド・ボウイはオーウェルの作品にイメージを触発されて「1984年」という曲を書いた。ボウイは『1984年』をミュージカル化しようと計画したこともあったが、著者の未亡人に拒否され、実現しなかった。

名作『1984年』は学生のころ読み強い印象を受けた。強烈なオリジナリティーのオベリスクで、通読し、作者の頭脳の優秀さと熱いヒューマニスティックな心に感服した。現代、世界でまかり通っている権力者側による記録改ざんや糊塗、強弁、マスメディアへのうそつきよばわりを見ると、この本が予言の書だったとわかる。小説中のビッグブラザーのスローガンは、米ロ中や北朝鮮で、また日本で、今日も繰り返されている政府見解と同工異曲で、こういうものである。
「WAR IS PEACE
FREEDOM IS SLAVERY
IGNORANCE IS STRENGTH」(George Orwell, 1984, george-orwell.org)
(戦争は平和である
 自由は奴隷状態である
 無知こそ力である)
(2019年6月25日)



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