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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月8日・アンリ・デュナンの主義

2018-05-08 | 歴史と人生
5月8日は、赤十字の創始者アンリ・デュナンの誕生日にちなみ、国際赤十字デイ。

ジャン・アンリ・デュナンは、1828年、スイスのジュネーヴで生まれた。家はプロテスタントのカルヴァン派の家庭で、両親ともに社会福祉事業に献身していた。ビジネスマンだった父親は、孤児や釈放された前科者の支援にかかわり、母親は病人や貧しい人たちの救済にあたっていた。
両親の影響を強く受けたジャンは、18歳のときジュネーヴの貧民救済組織に入った。
21歳のとき、彼は成績不良のためカレッジをやめ、両替商に奉公し、商売の道に入ったが、一方で、YMCAのジュネーヴ支部を設立するなど、社会福祉活動もしていた。
28歳のころ、トウモロコシ栽培の経営と貿易のため、当時フランスの植民地だった北アフリカ入りした。ところが、現地の水や土地の利権が錯綜していて、かつ植民地の官吏はデュナンに非協力的だった。
31歳だった彼は怒り、フランスのトップであるナポレオン三世に直談判するべく、当時北イタリアでオーストリア軍と戦闘中だったナポレノン三世を訪ねていった。
そこは2万人以上の戦死者が出ている戦場で、壮絶な戦線を目の当たりにしたデュナンは、負傷兵たちがほとんど手当てされずに放りだされたままでいるのに衝撃を受けた。
彼は地域住民の女性たちを組織し、負傷兵たちの手当てにあたった。自腹を切って必要な物資を買い入れ、捕虜になっていたオーストリア人医者を解放した。このとき彼は敵味方関係なく、負傷兵を助けた。理由と問われ、彼はこう答えた。
「すべての者はきょうだいなのだから」
ジュネーヴへもどったデュナンは、34歳のとき、戦場での体験を書いた。戦場のカオス状態を描写し、近い将来に、中立の立場で負傷兵を助ける国際団体が組織されるべきだというアイディアがそこに盛り込まれた。彼はこの本を自費出版で1600部刷り、ヨーロッパ各地をまわり、それを配って歩いた。
これがジュネーヴの福祉団体の会長の目にとまり、デュナンのアイディアを現実のものとするべき会議が、デュナンを引き入れ、ジュネーヴで開かれた。デュナンが35歳になる年のことで、これが赤十字社の誕生につながり、世界的な国際赤十字社へと発展していく。
デュナンは、73歳のとき、第1回ノーベル平和賞を受賞し、賞金の全額の赤十字に寄付した後、1910年10月にスイスのハイデンで没した。82歳だった。

赤十字という組織の運営をごく最近になって知った。
基本的に赤十字は寄付によっていて、赤十字に定期的に寄付している人を「社員」と呼ぶそうだ。赤十字で働いている人は「職員」と、呼び方を分けている。補助金ももらっているらしいが、ごく一部である。たとえば、公開されている日本赤十字社の東京支部の2014年度予算を見ると、社員からの寄付(社費)が約12億円弱で、補助金額が500万円弱となっている。いかに多くの寄付によって支えられているかがわかる。

負傷者の手当てだけでなく、献血、義援金のとりまとめ、難民救済、救護団派遣、国交のない国と国との橋渡しなど、赤十字はさまざまに活躍している。赤十字がなかったら、この世は闇である。デュナンのつけた火は、大きな灯に育ち世の中を照らしている。
敵味方関係なく助ける。民族主義的発言かまびすしい昨今、再考すべき一言である。
(2018年5月8日)



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