1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月8日・ブッダの覚悟

2015-04-08 | 思想
4月8日は、『悪魔のトリル』の作曲家タルティーニが生まれた日(1692年)だが、仏教の開祖ブッダ(お釈迦さま)の誕生日でもある。この日、各地のお寺では、お釈迦さまの降誕をお祝いして花祭り(浴仏会)がおこなわれる(別の日におこなうところも)。

「ブッダ」こと、ゴータマ・シッダルタは、紀元前463年(異説あり)の旧暦4月8日に、現在のネパールのルンビニで誕生した。父親はシャーキャ族(シャカ族、釈迦族)の王さまで、ブッダは王子として生まれた。ブッダを産んだ母親のマーヤー(摩耶夫人、まやぶにん)は、出産の7日後に没した。そのため、母親の妹が、王の後妻に入り、ブッダの育ての親となった。
シッダルタは、王家の跡継ぎとして、なんの苦も知らない環境に育ったにもかかわらず、少年時代の彼は、内向的な、憂鬱に沈みがちな性格だった。それで父親の王は、息子の気がふさがないようにと、おおぜいの若い娘たちを息子のまわりにはべらせて、毎日がパーティーといった感じの環境を整えた。
16歳のとき、シッダルタは、13歳の娘を后に迎えて結婚した。
その後、シッダルタは城外へ出て、「老い」「病気」「死」という苦しみが人間にはあることを知り、また、煩悩を断ち切って、悟りを得て輪廻から解脱した「比丘(びく)」に出会った。以来、シッダルタは出家したいと願うようになった。
29歳のとき、シッダルタは王子の身分も、妻子をも捨て、城を飛びだし出家した。
各地の行者に教えを乞い、呼吸を止めたり、断食をしたりする苦行をした。そうして、苦行を重ねた末、どんな苦痛にも耐えられる自信がついたところで、
「こんなことをいくらしても、肝心の、苦痛を起こさない心を得ることはできない」
と考え、苦行をやめた。
35歳のとき、シッダルタは、ブッダガヤの菩提樹の下で座禅を組み、瞑想していて、ついに悟りを得た。ここに彼は、人生の究極の真理を見極め、「目覚めた人」=「ブッダ」となった。
ブッダは、菩提樹の下で、5週間のあいだ、解脱の境地を味わいつづけた。
彼は、自分が得た真理は、あまりに深淵で、難解なため、それをほかの人に伝えることの困難を思って、当初は説法することをためらっていたという。しかし、説法を決意し、各地を歩いては、人々に自分の得た真理について説いてまわった。
ブッダのまわりには、しだいに彼を信奉する弟子たちが集まり、弟子たちの集団はしだいに大きくなっていった。出家せず、在家のままで、ブッダの教えに帰依する王や富豪もでてきた。
そうした富豪の在家信者のひとりから寄進されたのが祇園精舎で、そこはブッダと弟子たちの修行場となった。
高齢になってもブッダは諸国を説法をして歩きつづけ、紀元前383年(異説あり)、旅先で病に倒れ、クシナーラーの町の郊外の沙羅双樹の下で没した。80歳だった。

ブッダは、生きることを「苦しみ」ととらえ、さらにその生が輪廻して延々と続くと考えていた。その苦しみの繰り返しから、脱却する方法が、悟りを得ることで、仏教では究極的な悟りのことを「涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)」と呼ぶ。ニルヴァーナとは、もともと火の吹き消された状態を指すことばで、煩悩の火が吹き消された、平安な心の状態をあらわす。ブッダについては、その教えもさることながら、何不自由ない王宮の生活を捨て、出家、つまり乞食にすすんでなろうとした、その強烈な決意に驚かされる。
(2015年4月8日)


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