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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12/31・ジョン・デンバーの思い出

2012-12-31 | 音楽
12月31日は、大晦日(おおみそか)。各月の最終日である晦日(みそか)の、大親分がついにお出まし、といったところ。そして、この1年の最終日は、米国のシンガー・ソング・ライター、ジョン・デンバーの誕生日でもある。
ジョン・デンバーは、第二次大戦中の1943年12月31日に、海軍中佐を父親として生まれた。
父方はドイツ系で、母方はアイルランドとドイツの家系である。
出生地はニュー・メキシコ州のロズウェル。1947年に、UFO(未確認飛行物体)が墜落し、なかから宇宙人の遺体をアメリカ空軍が回収したのではないかといわれている、あの「ロズウェルUFO事件」のあったロズウェルである。
だから、UFO事件は、デンバーが3歳くらいのときに、近所で起きた事件、ということになる。

デンバーは、父親の転勤の関係で、少年時代によく引っ越ししたらしいが、11歳のとき、祖母にアコースティック・ギターをプレゼントしてもらい、これをよく練習した。そして、カントリー・シンガー・ソング・ライターのジョン・デンバーが生まれた。
自分の好きなデンバーの曲を、思いつくままあげてみると、以下のようになる。

フォロー・ミー (Follow Me)
故郷に帰りたい (カントリー・ロード) (Take Me Home, Country Roads)
さすらいのカウボーイ (I'd Rather Be A Cowboy)
ロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High)
太陽を背にうけて (Sunshine on My Shoulders)
友への誓い (Friends With You)
緑の風のアニー (Annie's Song)
囚人たち(Prisoners)
プリーズ・ダディ(Please Daddy)
すばらしきカントリー・ボーイ (Thank God I'm a Country Boy)
マイ・スウィート・レディ (My Sweet Lady)

名曲が目白押し。
こうやって書き並べるだけで、なつかしさがこみ上げてくるが、あらためてみてみると、だいたい大ヒット曲で、1970年代の曲がほとんどである。

自分は、ジョン・デンバーが全盛のころを、よく知っている。
ラジオでそのヒット曲がよく流れたし、テレビでもその顔をよく見かけた。
さらさらとした金髪、人なつっこい丸顔に、レンズの大きな銀縁メガネをかけて、テンガロンハットをかぶり、チェック柄のシャツを着て、ブルージーンズをはいて、ギターを抱えて歌う、まさにアメリカ西部の田舎から来たカントリー・シンガーという感じだった。
でも、ひょろりと細くて、腕っぷしは弱そうで、いわゆる「西部の男」のたくましさはなかった。
口が大きかった。
「大きい口だなぁ、唇の端がここまできている」
と思う、もうすこし先まで口の端があった。
あれだけ口が大きいと、息を吸うのも楽だろうなぁ、と思われる口だった。
デンバーは歌声がきれいで、声量があって、歌声が長くなめらかに伸びる。
あの長い息が続く秘密は、もちろん肺活量もあるだろうが、酸素の取り入れ口であるあの大きな口にあると、自分は信じている。

1970年代の中ごろだったと思う。
当時は「ジョン・デンバー・ショー」というのか、タイトルは知らないけれど、米国に、デンバーが司会をして、歌手のゲストを迎えて、語り、歌を披露するという趣向の歌番組があって、それを見たのをよく覚えている。
自分が見たとき、たまたまゲストが、フランク・シナトラだった。デンバーは、シナトラを拍手で迎えると、笑顔でこういった。
「みなさん、フランク・シナトラさんは、よく遊び人だといわれるが、それはまちがっている」
と、ことばを区切ってから、
「彼は、遊び人、ではない。『すごい』遊び人だ」
いつも、そんな感じでジョークを飛ばしている人だった。
そのときの番組中では「すばらしきカントリー・ボーイ」を歌ったと思う。
自分はそのときはじめて聴いたけれど、
「ぼくはカントリー・ボーイだ、ありがとう、神さま」
という歌詞を聴いて、いい歌だなあ、としみじみ思った。
こういう歌は、たとえば、ボブ・ディラン、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーンといった大歌手が歌っても、まったく説得力がないわけで、そこにジョン・デンバーの独壇場があると思う。

1977年ごろだったか、グラミー賞の授賞式の司会をジョン・デンバーがやっていたのをテレビでみた。
黒いタキシードに蝶ネクタイ姿なのだが、細身なので、これがまた似合って、かっこよかった。
だいたいの賞の発表は、プレゼンターがでてきて、ノミネートされている曲名を読み上げ、その曲がすこし流れ……と、ひと通り候補曲を紹介してから、封筒を開けて、最優秀○○曲を発表する段取りである。
ところが、そのときのある部門の最優秀曲賞の発表だけは、
「ここは趣向を変えて、自分が歌って紹介していきましょう」
と、デンバー自身が、ノミネートされた歌をすこしずつ、バックダンサーたちと踊りながら歌って紹介していった。そうして、最後のビージーズの「ステイン・アライブ」を歌い終えたとき、人指し指を上に向けて片手を高く掲げ、決めのポーズをとった。これは映画「サタデー・ナイト・フィーバー」で、主演のジョン・トラボルタが踊った有名なポーズだが、すぐにデンバーは笑いだし、
「トラボルタはクビだ!」
と腕をふって、クビをきるまねをした。
自分はテレビでそれを見ていて、
「アメリカン・ジョークってわかりやすくて、いいなあ」
と思った。
日本の多くのジョークのように、ひねったところがない、裏のない、ストレートなジョーク。それがよく似合うアメリカ人だったと思う。

ジョン・デンバーは生涯に二度結婚している。
一度目の妻はアニーで、全米ナンバーワン・ヒット・ソング「緑の風のアニー」のアニーその人である。デンバーはこの大ヒット曲を、スキーのリフトに乗っているあいだの、たった10分間で作曲したという。
アニーと夫婦だったころ、デンバーは男の子と女の子をよそから養子に迎えている。
ある日、養子となった二人、ジョンとアンナに、デンバーはこういった。
「これから自分のせいいっぱいをいうから聞いてくれ。ぼくは、すばらしい男の子の父親だ。ぼくは、すばらしい女の子の父親だ。ぼくが死んだら、ぼくはジョンとアンナの父親だった、と、それだけ覚えられていたら、もうぼくはじゅうぶんなんだ。いや、じゅうぶん以上なんだ」
デンバーは38歳のときにアニーと離婚した。
離婚後、相続問題がこじれて、デンバーは半狂乱となって、アニーの首をしめて殺しかけたこともあったらしい。
44歳のとき、デンバーは、オーストラリア人の女優と再婚し、一女をもうけている。
が、やがてそれも破局を迎え、1993年、デンバーは49歳でふたたび離婚している。
同じ年、デンバーは酔っぱらい運転で捕まり、保護観察下におかれる。
保護観察下にあった翌1994年、ふたたびデンバーは酔っぱらい運転でポルシェを林に突っこませるという事故を起こした。
クルマ好きのデンバーはまた、スキーヤー、ゴルファー、飛行パイロットでもあった。彼は飛行機マニアで、飛行機を買い集め、自分で操縦して空を飛んでいたのだが、1997年10月12日に、自分が操縦する飛行機で、太平洋のカリフォルニア沖に墜落し、死亡した。54歳だった。

ジョン・デンバーの死が報じられたとき、マスコミの多くはそれを、デンバーは全米に愛されたミュージシャンだったが、晩年はヒット曲に恵まれず、鬱々とした日々を送っていた、そうしてひとりで飛行機で飛び立ち、ひとりで死んだ、スターのさびしい死である、という論調で報じた。
まあ、そうかもしれない。
けれど、自分はそうばかりでもない気がする。

ジョン・デンバーは、1970年代に一度頂点をきわめた男である。
さらに、彼は、ある一時期にはやった流行歌手というのでなく、「ワン・アンド・オンリー」、つまり、ほかに代わりが考えられない、唯一の人だった。
彼の作った曲は、いつの時代にも、繰り返し演奏され、歌われる種類の曲である。
しかも、「すばらしきカントリー・ボーイ」のように、ほかの歌手が歌ったのではだめで、やはりデンバーの声で聴きたい、そういう曲である。
なので、たとえ晩年にヒット曲がなかったとしても、デンバーは、それはさびしい気持ちはあったろうが、凡人の想像するようなさびしさだけではない、そこにはどこか晏如(あんじょ)としたところがあったろうと思う。

ところで、飛行機の操縦というのは、ものすごい快感らしい。
ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーも、
「セックスよりいいのよ」
といっていたが、それほどの快感ならば、つまり航空機のパイロットという職業は、AV男優などより快楽が強い仕事なのである。

また、一方で、ジョン・デンバーの父親は、爆撃機の最高スピードの記録を複数もち、空軍の殿堂入りを果たしている名パイロットだった。

そうした事実を考えあわせ、あらためてデンバーが亡くなった状況を考えるならば、そこには、悠々自適に、自分の好きなことができる身分になった男が、いままで生きてきていちばん快楽が強いとわかったことをして、それがまた父親といっしょになれるようなうれしさが重なっている、もう、この世にこれ以上の快楽などない、といったことに夢中になれるのだから、もう、いつ死んでもいい、と、そういう心境で飛行機に乗っていたのではないか、と自分には思われるのである。
もちろん、事故であって、トラブルから墜落するまでのわずかな時間は、切迫した気持ちもあったろうが、それも、搭乗する前から重々覚悟はしていたものだったろう、と、想像するのである。

今、名曲「さすらいのカウボーイ」を聴きながら、これを書いている。
「ぼくは、むしろカウボーイでいたかったよ。
愛の前に身を横たえて、婦人のくさりにつながれるよりは」
そんなフレーズにうっとりと聞き入ってしまう。
ジョン・デンバーというのは、ほんとうにいい声をしている。
(2012年12月31日)


著書
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』

『ポエジー劇場 大きな雨』

『ポエジー劇場 子犬のころ2』

コメント (1)
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