4月13日は、哲学者ラカンが生まれた日(1901年)だが、アイルランド出身の劇作家、サミュエル・ベケットの誕生日でもある。
サミュエル・ベケットは、1906年、アイルランドのフォックスロックスで生まれた。彼が生まれたのは、13日の金曜日で、復活祭の前の聖金曜日だったという(キリストがはりつけにされた記念日だった)。父親は、工事の見積もりをする積算士だった。
5歳のころには、フランス語とピアノを習いだしたというサミュエルは、ダブリンの大学でヨーロッパ近代語を専攻。
大学卒業後、22歳のとき、仏国パリの高等師範で英語を教えた。高等師範教師時代のベケットは、毎晩酒を飲み、自室でフルートを吹き、マルセル・プルースト論を書いていた。彼は夏休みにプルーストの長編『失われた時を求めて』を二回通り読んだという。また、このころ、同じアイルランド出身のジェイムズ・ジョイスと知り合い、ちょうど『ユリシーズ』の仏語訳が完成した祝賀パーティーがあって、ポール・ヴァレリーらとともに、ベケットも出席した。
24歳のとき、アイルランドへもどり、母校の大学でフランス文学の講師となった。しかし、ベケットは、しばらく勤めた後、辞表を提出した。ベケットは言っている。
「教えてみてわたしは、自分でもほとんどわかっていないことを、そんなことなどどうでもいいと思っている人たちにむかってしゃべっていることを知った」(川口喬一『ベケット』冬樹社)
27歳から30歳までの3年間、英国ロンドンですさんだ生活を送ったベケットは、小説を試作しながら、独国の都市を放浪した後、31歳のとき、仏国パリに住み着いた。
ナチス・ドイツの占領下にあった大戦中のフランスでは、ベケットはレジスタンス活動に従事した。
第二次大戦終了後、いったんアイルランドに帰った後、40歳のとき、ふたたびパリにもどってきて、小説や戯曲の執筆をはじめた。
49歳のとき、田舎道の道ばたで二人の男がああでもないこうでもないと言い合い最後までなにも起こらないまま終わる戯曲『ゴドーを待ちながら』がパリで初演。当初は非難ごうごうだったが、しだいに評価は高まっていった。
1969年、63歳のとき、ノーベル文学賞受賞。受賞の報せを聞き、ベケットは言った。
「ノーベル賞はジョイスこそが受けるべきであった」(同前)
1989年12月、パリで没。83歳だった。
『ゴドーを待ちながら』は、「空欄補助効果」の作品だと理解している。どの文学作品も何らかの空欄があって、読者がそれぞれ自分の解釈でそこを埋めて作品が完成されるのだけれど、『ゴドー』は作品自体がばかでかい空欄になっている。その分、わかりにくいが、読者の解釈の幅は大きくなる。
ベケットは、アイルランド出身の英語で育った人だけれど、フランスにいてフランス語で小説や戯曲を書いたフランスの作家である。彼が口述筆記を手伝ったジョイスが、異国にいながら英語で、故郷ダブリンのことばかり書いたのと、趣を異にしている。
『ゴドーを待ちながら』もフランス語で書かれた。ベケットはこう言ったそうだ。
「フランス語のほうが、スタイルなしで書くのが容易であるから」(同前)
(2025年4月13日)
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