ときどき、豊田市でオッとと思うような企画展がありますが、情報アンテナを張り巡らしていないと見逃すことの方がどちらかというと多いです。
ですが、今回はたまたま公共施設に置いてあったチラシをみて、とても行きたくなってしまったんです。
天気もいいし、自転車に乗るにはいい季節。
早速まず最初の目的地、「豊田市近代の産業とくらし発見館」に向かって出かけて行きました。
稲刈りがまだすんでないところもあれば、もう終わっているところも。何気ない風景もこうやってみてみると面白いものです。
途中枝下緑道を通りながら、到着したくらし発見館。自転車を駐輪場に置いて早速見学です。
先生が引率して小学生の子どもたちが先客として訪れていたので、くらし発見館の職員の方がこちらの部屋から見られた方がいいですよ、と教えてくれました。小さな施設に部屋が3つ。子どもたちの学習の邪魔とならないように。
企画展の写真はさすがにNG。自転車が置いてあったのでちょっと写真に収めてみました。といっても以前のブログでも紹介していますが…
昔のブレーキパッドの位置、あれ?
相変わらず、ここのくらし発見館は相変わらず見ごたえがあります。
ですが、今回はとにかく企画展“われらの飛行機・挙母号”は大変興味深くみさせてもらいました。
豊田市の前、挙母町と言われたときの話なんですが、ほぼ母が生まれたとき(昭和4年)と同じ時代になります。
わたし自身豊田市には、ひとつの飛行場しかないとずっと思っていたんです。それは特攻隊員が旅立っていった伊保原飛行場。
他にも飛行場があったなんて、しかも挙母が所有する飛行機(市民の寄付を募って購入した)まであったとは!!それに飛行場建設にあたりトンデモナイ事業家・熊崎氏がいたんだなということにも非常に驚きでした。
熊崎氏が所有していた当時(昭和初期)の貴重な7分間という短い映像もあり、飛行機が飛ぶ姿や着陸する様子を見て、ちょっと感動してしまいました。
あの当時のひとたちは、飛行機の飛ぶ姿に“夢”を抱いていたんだなと。一時同じ夢を追いかけるような気持ちになりました。
帰り際、職員の方といろいろと話をさせていただきましたが、熊崎氏の御子息によって大切に保管されていた映像が今回DVDにしてよみがえり、その御子息もはじめてみることができたということ、また学者の方がやはり映像をみるために遠方より訪れられたということなど、本当に貴重な資料をこんなに近くで見ることができるなんてラッキーなことだというのをあらためて実感しました。
もし、戦争がなかったら…飛行場建設予定の図にあるように飛行場のまわりに街並みができ、また違う街になっていたのかもしれませんね。
豊田市ももしかしたら違う市名になっていたかも!?
今度は母とともに貴重な映像を見てみたいと思います。飛行場のこと…覚えているかなぁ。
さて、次は市美術館へ移動です!