大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

昭和問わず語り16 ~ 怪獣ブーム3

2012-01-12 | 昭和
久しぶりの昭和シリーズ。間があきましたが、昭和40年代の怪獣ブームの3です。

いよいよ昭和41年7月、ウルトラマンがスタートします。前シリーズ「ウルトラQ」との決定的に違うのは、勧善懲悪のヒーローモノである点。「実際にありそうなフィクション」だった前者に対して「実際にあり得ない娯楽」の後者は、より子供ターゲットを明確にした番組への改編でもありました。

主人公がピンチになると密かにヒーローに変身するというのは、スーパーマン以来のアメリカ的キャラクターですが、ストーリーはある意味「水戸黄門」とも同じ昭和日本的黄金ルールのVSOP(Very Special One Pattern)です(当時時代劇をよく見ていたうちのオヤジに「時代劇って何がおもしろいの?」と質問したら、「ウルトラマンと一緒だよ」と言われて、当時は何のことかさっぱり分からなかった記憶があります)。この「怪獣登場→人間が対抗→ピンチ到来→ウルトラマン登場→怪獣撃破」という、安心して見られる30分の起承転結のしっかりしたストーリー展開はけっこう重要なポイントなのです。この後の仮面ライダーやゴレンジャーなどのプロトタイプが、ここでしっかり作られました。

私は毎週欠かすことなくとにかくよく見ました。提供はタケダ製薬。同社の本社外観が映って「♪タケダ、タケダ、タケダ~。タケダ、タケ~ダ~」という社名連呼のジングルが終わると、番組テーマ曲が流れます。「♪胸に付けてるマークは流星~」。不気味さを漂わせた前作「ウルトラQ」から明るさ満点のヒーローモノへの衣替えが、このテーマ曲ひとつにも十分現れています。「ミステリー・ゾーン」はじめ海外ドラマに範を得ている「ウルトラQ」のおどろおどろしさはそこには微塵もなく、どこかクレージーキャッツの無責任シリーズとも対をなすような高度成長に浮かれる日本オリジナルの番組作りが確立された、「もはや戦後ではない」的印象が番組全体から漂っていたことも爆発的人気の一要因であったのではないでしょうか。

何と言ってもウルトラシリーズの命は怪獣です。ウルトラマン、ウルトラセブンあたりまでは、同じ円谷プロが作る東宝の怪獣映画とそん色のないカッコいい怪獣が沢山登場しました。映画や前作「ウルトラQ」からの使い回しもけっこうありました。私が好きだったネロンガはバラモンの変形、チャンドラーはペギラの角を増やしたパターン、ジラースに至ってはあのゴジラのクビ周りにエリ巻きを付けてエリ巻き怪獣にしてしまうという荒業も(ジラースはウルトラマンにエリ巻きを取られ、幻の“ウルトラマン対ゴジラ”が思わぬ形で実現するのです)。バルタン星人とかレッドキング、ゴモラなどその後長きにわたって語り継がれ、世代を超えて人気を集めている怪獣も何体かいたりもします。地球上では3分間しか戦えないというキャラづくりも含め、ウルトラマンも怪獣も本当によく練られて作られていたと、今更ながらに感心させられます。

この番組でもうひとつ重要なポイントは、ウルトラマンに話をさせなかったこと(第一話と最終話では、ストーリー上どうしても必要な部分として話をするシーンが登場しますが、あくまで例外です)。それによって番組が過度に幼稚流れることを食い止め、「大人も一緒に見れる子供番組」として成立し、その後も長きにわたって「大人になってからも振り返って見るに耐え得る子供番組」の地位を確立します。このあたりが、ウルトラマンがいまだヒーローモノの代表格として君臨している理由であろうと思います。

平和を祈りつつ黙って黙々と働く常勝の強い存在、ウルトラマンの登場は終戦から20年、敗戦から立ち直り高度成長をひた走っていた再生日本の象徴的存在であったのかもしれません。