諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

174近未来からの風#12 魔法使いのジレンマ

2022年03月19日 | 近未来からの風
久しぶりのテント泊🈡 下山後に立ち寄った 松原湖 静寂の中 竿を振るう人達がいました

1989年の講演を記録した、新潮カセット文庫『新しい親子のあり方』で、河合隼雄さんは、戦後の質素な生活と比較する中で、このころの生活を、

もう我々は王侯貴族かそれ以上の生活しているわけです。

と評している。
王侯貴族?
これには想像力が要るかもしれない。
核家族化が進んで一人一部屋になり、カラーテレビがあり、部屋を冷却する装置があり、自動車をもっている。電話で遠くの人と話ができる。いつでケーキが食べられる。
これは少し前なら、ほんの一握りの、それこそ王侯貴族にしかできない破格の生活条件だったはずだが、今ではだれでが享受していることを言っている。

話しの流れは、物のない生活では、協力したり工夫したいり我慢したり、生活の中そのものに教育力があったということである。そして、生活の変化について懸念している。

外国の珍しいものも食べて、おいしいものも食べてて、そんな好き勝手なことしてですね、のほほんと生活していって何もかもうまくいくというのは、話がうまく行きすぎですわ。好きなもん食べている分、もうちょっと頭のほうも使って、心のほうも使って、そして、子供たちと本当に楽しく生活するためには母親も考えて、父親も考えて…。

この指摘から30年経って、「王侯貴族」の生活はどんな変化をしたのだろう。
「王侯貴族」の末裔は、テレビよりYouTubeを、電話よりLINEになったというばかりでない。

ポケットに入る札(ふだ)状のもの(スマホのことです)から、自宅にあらゆるものをもってきてもらうのが日常化して、気のきく出入り商人がすすめる欲しい物リストからのまた注文して、行ったこのもない知り合いもいない外国通貨のレートを見ながらトレードしデータてとしての通貨を運用したりできる。オークションに気軽に参加できれば、悪事も容易だ。匿名で書き込みでもすれば結構な威力だ。
ごく身近な例からも驚くことが多い。札を知らなない花に向けると、花の名前や説明を的確に教えてくれし、向こうの微かに見える山も札をかざすと画面上の山の上に↓が現れ「〇〇山」「〇〇岳」と登山ガイドが指さすように教えてもくれる。車で道に迷うこともなくなり、高校時代から会っていない友達の顔が「知ってるでしょこの人?」と紹介され、季節の違うような遠くの国の知り合いがリアルタイムにこの不思議な札に姿を現す。
魔女の鏡?

”鏡の術”だけではない。どれもこれも出来るわけないことであり、信じがたいことであることなのである。そして、これにいつの間にかすっかり慣れている。

ちよつと、変に聞こえるかもしれないが、私たちは、もう魔法の国の「魔法使い」なのではないか。

30年前「王侯貴族」になったことに自覚がなったように、私たちは自覚のないままに魔法使いになって、自覚のないまま魔法に依存しているのである。なぜかそこに違和感なく。

そして、この状況は、河合さん引用をもじっていうと、のほほんと魔法使いの生活していって何もかも魔法使って、うまくいくというのは話がうまく行きすぎですわ、ということになるだろう。

元来、ファンタジーの中の魔法使いも何らかの悲劇性を背負っている。魔法が使えることによつて、人間的な充足感が得られないことかもしれない。
昔から魔法には負の面があると考えられていたのだろう。

王侯貴族の生活の上に成り立つ魔法使いの生活の悲劇性は、環境問題だろうし、産業構造の急変、所得格差、地域社会の変容ということが顕在化し、問題として取り上げられることが多い。
しかし、魔法使いが教育の中で気にせず?魔法を使った結果、それがどう表れくるのか、それを知るのは魔法ではできなく、私たちの想像力であることが教育という意味で重要な問題である。
本当は、魔法使いではない子ども達が魔法使いのように振る舞うとき失うものがあるように強く思うのである。

「近未来からの風」は哲学編になります。勉強期間にしますので、しばらくお休みです。



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