夜噺骨董談義

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虎と仙人図 片山楊谷筆

2024-06-26 00:01:00 | 掛け軸
本日は片山楊谷が描いた虎と人物の組み合わせの作品の紹介です。虎の作品で有名な片山楊谷の作品ですが、虎以外を描いた作品の評価は残念ながら低いようです。それでもかなりの腕前の画家とされていますので、その点では再評価されていいと思います。



虎と仙人図 片山楊谷筆
絹本水墨着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦2093*横710 画サイズ:縦1215*横526

 

本作品の題材には虎と人物であり、虎を連れた仙人に「董奉」がいますが、本図が董奉を描いたかものかどうかの判断はつきません。さらに「有象列仙全伝」(慶安3【1650】年刊)には虎に乗り、子虎に仙薬を担がせた図像が出ています。また中国の仙人としては「ある日、夫婦の虎が二匹の子虎を儲けたが、母虎は射殺され、父虎はこれに 驚き逃げ、子虎だけが残った。鄭思遠はこれを不憫に思い、子虎を飼うことに した。これを見ていた父虎は鄭思遠のところに現われ、立ち去ることはなかった。鄭思遠は移動時に、父虎に乗り、子虎には仙薬や衣服を担がせた。」という逸話もあります。

さて本作品はどのような逸話のある虎と仙人の図なのでしょうか?



本ブログには因幡派の作品らの関連で何度か投稿している片山楊谷ですが、あらためて画歴は下記のとおりです。

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片山楊谷:(かたやま ようこく) 宝暦10年(1760年)~享和元年8月24日(1801年10月1日))。江戸時代中期に活躍した長崎派の絵師。長崎出身。
本姓は洞、名は貞雄、通称は宗馬。楊谷は号で、初号に洞勸、別号は画禅窟。一説に「名は温、一に義夫、字は玉如。父は長崎で医者をしていた洞雄山、あるいは洞雄敬の子として生まれる。一説に父が中国人で、母は日本人とも言われるが定かではない。幼少時に父を亡くしている。 

 片山楊谷は、1760(宝暦10)年長崎の浜町という街中に生まれ、4歳で父を亡くし、1772(安永元)年13歳の頃故郷を離れ、絵筆を携えて諸国を遊歴したと伝わる。鳥取県が1907(明治40)年に編纂した『因伯(いんぱく)記要』によると、楊谷は医師である洞雄敬(とうゆうけい)を父に、通称は宗馬、名を貞雄、号を楊谷または画禅窟という。ときに洞楊谷と呼ばれるのは、片山の記名が入った作品が見つかっていないことや、楊谷の画風が長崎仕込みの中国趣味の絵画で、落款も中国人風の一字姓「洞」を用いたことが要因していると思われる。

*楊谷の父は中国人という説があるが、帰化した清国人医師と伝えるものもあり断定はできない。また「洞雄敬」は楊谷の名で、父は「洞雄山(とうゆうざん)」という見解がある。長崎の郷土史家・古賀十二郎の『長崎画史彙傳』のなかで、楊谷を「洞雄敬」の名で紹介した文に、父雄山は1763(宝暦13)年48歳で亡くなり、母は1792(寛政4)年74歳で亡くなったことが記されており、山下氏も父の名を洞雄山としている。
 



1772年(安永元年)13歳で諸国を巡歴して、19歳の時には既に5人の弟子がいるほどの腕前だった。17歳で鳥取の興禅寺に逗留して絵を描き、のちに法美郡桂木村の医師・中山東川の娘を妻とする。



楊谷は、隠元禅師(1592-1673)をはじめ黄檗宗とともに長崎へもたらされた中国趣味の強烈な色使いと、奇怪なフォルムで人目を驚かす中国福建省あたりの風変りなスタイルや、さらに中国浙江省から長崎へ来た清代の画人・沈南蘋(しんなんぴん, 1682-?)の細部の描出にこだわった写実技法を学んでいます。そして楊谷は中国趣味の長崎絵画をブランド化し、毛描きを武器として長崎から東へ向うことになります。

若桜藩主・池田定常に絵を気に入られ、貞経は楊谷を引き止めるため、1792年(寛政4年)鳥取藩士で茶道役の片山家に夫婦とも養子とした。翌年家督を継ぎ、亡くなるまで9年間務めた。(以降の作には 落款に「瓊浦」を用いない。以降の多くは「稲葉」を記した。)



1795年(寛政7年)湯治のため藩の許しを得て京都に行き、画名を得たという。円山応挙に弟子入りを請うと、応挙はその画才を見て驚嘆し、弟子ではなく友人として迎えた。また、学芸を好んだ妙法院門主真仁法親王の前で席画を披露する。更にその兄・光格天皇は楊谷を宮中に招き、従五位下の位階を与え楊谷に数十幅の画作を依頼する。楊谷が画を完成させ披露すると、天皇はその出来に満足し褒美として名硯・石王寺硯を与えた。楊谷はこれを愛用し一生肌身離さなかったいわれる。

*本作品の軸装は御覧のように入手時はかなり痛んでいましたので、表装直しをしています。



1800年(寛政12年)但馬の山路寺で数多くの障壁画を手掛け、現在兵庫県指定文化財になっている。ところが、但馬の湯村温泉で入浴中、突然発病してにて死亡。享年42。菩提寺は鳥取の興禅寺、または長崎の大音寺。

その容貌については「短身ながらトビのようないかり肩で、ハヤブサのように眼光鋭く、負けん気の強そうな風貌で、長い髪を紫の糸で束ね、街を大股で闊歩し人々の注目を浴びていたと伝えられ、大酒飲み」という逸話が残されています。

*印章が明確すぎるような感じがしますが、印影は違和感がありません。

**表装を直す際には、修復するポイントを記して表具師に依頼しています。 

 

画風は費漢源に近く、その弟子に画法を学んだと推測されています。しかし、沈南蘋や他の長崎派の画風も摂取していったこと推察できています。特にその虎の絵は、虎の毛を細い線で丹念に表し、「楊谷の毛描き」と呼ばれています。

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下記の作品は「なんでも鑑定団」に出品され、このことで一躍片山楊谷が再評価されていますね。

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参考作品
なんでも鑑定団出品作 2010年9月18日 放映
「双虎図屏風 片山楊谷筆(この時は右隻のみ)」
*2020年9月開催 絵画展「奇才 ―江戸絵画の冒険者たち―」(大阪・あべのハルカス美術館)より



評価金額:1200万円(右隻のみ) 楊谷の中でもこれほどの力作・大作はなかなかない。細かく、しかし非常に力強い毛描き。肩の筋肉まで感じられる。楊谷が長崎を出て間もない頃、20代前半頃の作と思われる。江戸中期に全国に影響を与えた長崎派は因幡画壇でも花開いたが、これまで注目されていなかった。こういう作品が発見されることで注目を集めるようになるかもしれない。(鳥取市鹿野町にある池田政綱の菩提寺、凌泰山雲龍寺所蔵)

*1 各隻縦153.4×横358.7cm。六曲一双の本間(ほんけん)屏風。一扇に対し3枚の良質な紙を継いでいる。

*2 虎、竹、笹。竹虎は地上最強の生物を象徴する。

*3 右隻は雄と雌の虎を重ね、左隻は雄の虎を中央に配置、3頭の虎は竹に囲まれる。雌を奪おうと威嚇する左隻の雄と、それに対抗する右隻の雄が睨み合っている。尾が長過ぎてバランスが崩れている部分があるが、整合性を超えた迫力ある表現となっています。

*4 黒、白、茶、青、紫、金。経年変化により紙が少し変色しているが、虎の色と馴染んでおり違和感はない。画中の余白には金砂子(きんすなご)が雲形に蒔かれているが、これは後補によるものかもしれない。

*5 虎は自由奔放な毛描きによって、滞ることなく無数の線で全身を覆う。虎の黒い縞模様は、下地に墨を刷いた後に毛を描き加えている。画面背景には、薄墨を引き、しなる墨竹を刷毛で一気にダイナミックに描いています。

*6 落款は右隻に「瓊浦楊谷道監冩(けいほようこくどうかんしゃ)」の署名と、「源流得真(げんりゅうとくしん)」の白印楕円印、ならびに「楊谷」「義父」の大きな白文連印。「源流得真」印は上下逆(逆さ印に偽物はないといわれる。)

瓊浦(けいほ)は長崎の別名、楊谷と道監は号、楊谷が若いときに道監を使っています。 

*7 製作年は1782(天明2)年前後。款記の書体と使用二印は、1780(安永9)年の《猛虎図屏風》(鳥取県立博物館蔵)など、楊谷20代の作例にしか見られず、とりわけ楊谷の「谷」が天明2年の《月夜枇杷鳥図(げつやびわとりず)》(渡辺美術館蔵)の書体に近いところから、楊谷23歳頃の天明2年前後の作と考えられている。絵の依頼主や制作の過程などは不明

*8 右隻では竹が、左隻では虎の尾(図参照)が、画面の外に一度出て、再び戻っており、スケールの大きさと躍動感、若々しいエネルギーを感じます。剛毛に包まれた猛々しい虎の体毛は濃淡や太さを変えて一本一本描かれ、“楊谷の毛描き”と評されています。特に大きな頭部の毛並みは細やかに毛流れを変えたり、色を変えて凹凸感を出すなど丹念に描かれており、髭は放射状に伸びて異様に長くなっています。睨み合う雄の2頭は全身が“針ねずみ”のように硬質な毛が総毛立ち怒っていますが、右手の雌は毛並みが柔らかで穏やかに表現されています。怖そうな虎も近くで見ると、目や鼻、爪をのぞいて輪郭線がなく着ぐるみ風でユーモラスで愛らしく、いまにも画面から飛び出してきそうな立体感があります。虎の毛を描く時間と比較すれば竹は一瞬で出来上がったのでしょう。

江戸時代の豊かさに包まれた楊谷初期の代表作とされ、鳥取県指定文化財となっています。 

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意外に贋作は少ないようですが、遺っている数が少なく、なかなか入手の難しい片山楊谷の作品です。



















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