
エイプリルフールの日に帰宅すると息子はなにやら写真を見せて得意げに説明し始めました。どうも家内と二人で「かわいい嘘」というものに取り組んでいたらしい。要は写真にパソコンで細工することをしていたらしい。
庭に親戚の家の山から移植したバイモの花・・・、よく見ると子供がひとり。

さて本日は本ブログでお馴染みの杉本健吉の作品です。
杉本健吉の作品は生存中はほとんどが売られることがなく、亡くなってからは美術館にすべて寄贈されていることから、市場に出回る杉本健吉の肉筆の作品は非常に少ないとされます。当方では何点かをなんとか入手して本ブログにて紹介させて頂ていますが、本日は昭和19年に戦時下で描かれたと思われる水彩画の紹介です。

磁洲壺 杉本健吉画 1944年作
水彩額装 右下印章 裏面「 昭和19年(1944年)杉本健吉 押印」 誂タトウ+黄袋
F8号程度 全体サイズ:縦725*横575 画サイズ:縦490*横365

杉本健吉は35歳頃からは大和の風物に魅せられ、奈良へ頻繁に通って作家や写真家などさまざまな一流の人たちと親交しており、戦争中も、博物館や埴輪、仏像、風景などを多数描いていますが、本日のこの作品もそのような時期に描いた作品のようです。

描いているのは中国の磁洲窯の梅瓶のようですが、楼閣のような絵が描かれています。

当方には磁洲窯の作品は何点かありますが、このような磁洲窯の作例に知見がありません。どこかの所蔵作品かと思われます。

作品中(画中)にはサインのみ、裏面に年期が記されています。

杉本健吉の作品には壺が描かれた作品が本当に多いですが、当方としては蒐集作品とも縁があり、好きな作品群です。
*いつものように調べた結果を資料とし、額を修理した際に黄袋とタトウを誂えて一緒にしておきます。

同時に入手したもう1点の作品はサインも印章もありませんので、「伝杉本健吉」としておきます。

アッシジ(仮題) 伝杉本健吉筆 1980年頃
水彩額装 サイン無 タトウ+黄袋
全体サイズ:縦560*横680 画サイズ:縦*横 F号

「アッシジ」を描いた油絵の作品を本ブログで紹介していますが、同じく「アッシジ」を描いたスケッチのように思われますが、定かではありません。

スケッチながらよく描けている作品だと思います。

入手時には洒落た額に収まっており、こちらの額もまた神田の額装店「草土舎」に依頼して修理し、タトウに納めて保管しています。

市場に数の少ない杉本健吉の肉筆の作品ですが、徐々に増えてきています。
庭に親戚の家の山から移植したバイモの花・・・、よく見ると子供がひとり。

さて本日は本ブログでお馴染みの杉本健吉の作品です。
杉本健吉の作品は生存中はほとんどが売られることがなく、亡くなってからは美術館にすべて寄贈されていることから、市場に出回る杉本健吉の肉筆の作品は非常に少ないとされます。当方では何点かをなんとか入手して本ブログにて紹介させて頂ていますが、本日は昭和19年に戦時下で描かれたと思われる水彩画の紹介です。

磁洲壺 杉本健吉画 1944年作
水彩額装 右下印章 裏面「 昭和19年(1944年)杉本健吉 押印」 誂タトウ+黄袋
F8号程度 全体サイズ:縦725*横575 画サイズ:縦490*横365

杉本健吉は35歳頃からは大和の風物に魅せられ、奈良へ頻繁に通って作家や写真家などさまざまな一流の人たちと親交しており、戦争中も、博物館や埴輪、仏像、風景などを多数描いていますが、本日のこの作品もそのような時期に描いた作品のようです。

描いているのは中国の磁洲窯の梅瓶のようですが、楼閣のような絵が描かれています。

当方には磁洲窯の作品は何点かありますが、このような磁洲窯の作例に知見がありません。どこかの所蔵作品かと思われます。

作品中(画中)にはサインのみ、裏面に年期が記されています。


杉本健吉の作品には壺が描かれた作品が本当に多いですが、当方としては蒐集作品とも縁があり、好きな作品群です。
*いつものように調べた結果を資料とし、額を修理した際に黄袋とタトウを誂えて一緒にしておきます。

同時に入手したもう1点の作品はサインも印章もありませんので、「伝杉本健吉」としておきます。

アッシジ(仮題) 伝杉本健吉筆 1980年頃
水彩額装 サイン無 タトウ+黄袋
全体サイズ:縦560*横680 画サイズ:縦*横 F号

「アッシジ」を描いた油絵の作品を本ブログで紹介していますが、同じく「アッシジ」を描いたスケッチのように思われますが、定かではありません。

スケッチながらよく描けている作品だと思います。

入手時には洒落た額に収まっており、こちらの額もまた神田の額装店「草土舎」に依頼して修理し、タトウに納めて保管しています。

市場に数の少ない杉本健吉の肉筆の作品ですが、徐々に増えてきています。