
机の上に保護に置くガラスを注文する際に目についたプリントを貼られたガラス。敷板代わりにいいかと思い、サンプル程度の品を3枚一緒に注文しました。

和紙の文様が主体ですが七宝文様もあります。

下の屋久杉の文様が見えるが面白いので展示室に使っています。

本当は加湿器の下の敷こうかと思っていたのですが・・。

さて本日紹介する作品は、数ある再興九谷のなかで古九谷の青手をもっともよく再現したという松山窯と思われる作品です。再興窯といえどもなかなかいい作品とはお目にかかれないものです。優れた松山窯の作品は基本的に藩の庇護を受けていたいわゆる御用窯の時代に見るべき作品が多く、その後明治維新以降の民窯になってからは量産体制のためか、著しく品格の落ちた作品となります。

そんな状況でこれまで幾つかの松山窯の作品を本ブログにて紹介してきましたが、今回はその時代の下がった明治期の松山窯の作品とおぼしき作品の紹介です。「著しく品格の落ちた作品」とはいえ、一応はそれなりの品位のある作品を入手してみました。

再興九谷 松山窯 青手柘榴竹花図六寸鉢
高台内銘「福」 誂箱
口径193*高台径*高さ50

明治期の作品では松山窯のみならず、九谷全体で量産化され駄作だらけになりますが、中にはこのようなまだ真面目な作品があるようです。もちろん一部の輸出用の手間のかかった作品には優品がありますが、華燭すぎてやはり品位に欠ける作品となっています。

ともかく松山窯は官営から民営に移行し、民窯からはいい作品が全くと言っていいほど製作されませんでした。とくに山水画は民窯ではあまりにも稚拙すぎるものになり果てています。


松山窯の本来の作品の魅力は大鉢、中皿、小皿の気付かない隠れたところに手の込んだ図案が描かれていて、絵心を感じさせてくれます点です。


釉薬で特筆されるのが紺青の絵の具で、これまでに九谷焼には使われたことのなかった合成の絵の具である花紺青です。この花紺青は不透明であり、古九谷以来の透明感の和絵の具とは違った趣を見せています。


庄三が西洋絵の具を多く使って多彩な表現をしたのと同じ発想であったと考えられます。ほかにも、緑は黄味がかっていて、紫はやや赤味がかっているのも、それまでの青九谷系にない色合いです。


普通、青手の裏面は緑で塗り埋めて、渦雲、唐草、木の葉などで充填したものが多い中、枇杷(ビワ)などを描いて、家運隆盛を願う思いがこめられた作品もあります。


裏面の銘は「角福」が初期の頃でその後は「九谷」「九谷製」「永楽」「貴」「大日本九谷製」「大明成化年製」などの多くの銘があります。

次の作品も同時期の作品と思われます。

再興九谷 松山窯 青手菊花図七寸鉢
高台内銘「九谷」 誂箱
口径205*高台径*高さ80

本作品の高台内の裏銘は「九谷」となっています。松山窯も前述のように後期になると「九谷」の銘となります。

両作品ともかなり使い込まれていますが、本作品の方が使っていた跡は少ないようです。


本作品は色釉薬として白に挑戦していますが、まだ定着が思わしくなかったようです。

このような定着の悪さが味わいとなっていますが、あくまでも絵に面白味があるというのが見所なのでしょう。

松山窯は民営に移ってから木下直明らによって明治5年(1872)頃まで続けられたといわれています。 本作品が松山窯という保証もありませんが、少なくても同時期の作品と推測しています。

松山窯や吉田屋窯など再興された九谷焼では窯が乱立し区別しにくい作品が多いですね。さらには現代につながる九谷本窯でも多くの似たような作品が産出されています。

むろん松山窯からは明治以降に活躍した名工や窯元となる者を多く輩出しています。大蔵窯の大蔵寿楽、浜坂清五郎、西出吉平、栄谷窯の北出宇与門、勅使窯の山本庄右衛門、東野惣次郎などは、皆この松山窯で修業した陶工です。

古九谷から再興九谷、そして現在の九谷が残るか否かの瀬戸際にて生まれた作品と言えるのでしょう。

松山窯は少なくても現在の九谷焼のベースとなった窯には相違ないのでしょう。

本日のこの2作品は古九谷の再興九谷に分類されるでしょうが、なかなか味わいのある作品だと思っています。

それほど高価の作品でもないので、思う存分普段使いになるでしょう。

さて下記の作品は以前に本ブログにて「倣青手九谷 馬唐草紋大鉢」(再興九谷の可能性もある)として紹介した作品ですが、この作品と同図の作品は石川九谷焼美術館蔵にある「松山窯 青手双馬図平鉢(口径360* 底径190*高さ65)」が本歌として存在します。再興九谷である松山窯の名品のひとつです。
当方のこの作品は絵が本家より拙い点、釉薬がまだ安定していない点から松山窯が明治期になって民営になった頃、もしくはそれから少し時代が下がった頃に先にあった本歌を模倣した作品ではないかと推定されます。
リメイク 「倣青手九谷 馬唐草紋大鉢」→「再興九谷 松山窯? 青手双馬図平鉢」
合箱
口径306*高台径180*高さ75

大きさは本歌より少し小さめですがほぼ同等です。絵が本歌に比べて稚拙なので、模倣作品と推定していますが、釉薬のブツブツがあるなどまだ釉薬の安定性が良くない頃の作品かとも推定されます。

下記の作品がこの作品の本歌でしょう。本歌はおそらく御用窯の時期、民窯になると当方の作品のようにレベルの違う作品となってしまいます。
参考作品
再興九谷 松山窯 青手双馬図平鉢
石川九谷焼美術館蔵
口径36.0cm 底径19.0cm 高さ6.5cm

やはり本歌は馬の絵が出来がいい・・・。松山窯が明治期になって民営になった頃、もしくはそれから少し時代が下がった頃に先にあった本家を模倣した作品ではないかと推定されます。本作品をかなり時代の下がった近代の模倣作とするにはあまりにも釉薬が安定していないようです。
ともかく古九谷や再興九谷の模倣作品は数が多いし、種類(窯)の数も多く、とても小生のような素人が手に負えるような作品群ではないようですが、基本的なことだけは習得しておこうかと思っています。本日紹介した3作品程度のレベルが再興九谷と近代作の駄作(模倣作品)との分岐点でしょう。この3作品以上のレベルでないといい作品(所蔵していい作品、もしくは普段使いの作品)とは言えないのでしょうね。

和紙の文様が主体ですが七宝文様もあります。

下の屋久杉の文様が見えるが面白いので展示室に使っています。

本当は加湿器の下の敷こうかと思っていたのですが・・。

さて本日紹介する作品は、数ある再興九谷のなかで古九谷の青手をもっともよく再現したという松山窯と思われる作品です。再興窯といえどもなかなかいい作品とはお目にかかれないものです。優れた松山窯の作品は基本的に藩の庇護を受けていたいわゆる御用窯の時代に見るべき作品が多く、その後明治維新以降の民窯になってからは量産体制のためか、著しく品格の落ちた作品となります。

そんな状況でこれまで幾つかの松山窯の作品を本ブログにて紹介してきましたが、今回はその時代の下がった明治期の松山窯の作品とおぼしき作品の紹介です。「著しく品格の落ちた作品」とはいえ、一応はそれなりの品位のある作品を入手してみました。

再興九谷 松山窯 青手柘榴竹花図六寸鉢
高台内銘「福」 誂箱
口径193*高台径*高さ50

明治期の作品では松山窯のみならず、九谷全体で量産化され駄作だらけになりますが、中にはこのようなまだ真面目な作品があるようです。もちろん一部の輸出用の手間のかかった作品には優品がありますが、華燭すぎてやはり品位に欠ける作品となっています。

ともかく松山窯は官営から民営に移行し、民窯からはいい作品が全くと言っていいほど製作されませんでした。とくに山水画は民窯ではあまりにも稚拙すぎるものになり果てています。


松山窯の本来の作品の魅力は大鉢、中皿、小皿の気付かない隠れたところに手の込んだ図案が描かれていて、絵心を感じさせてくれます点です。


釉薬で特筆されるのが紺青の絵の具で、これまでに九谷焼には使われたことのなかった合成の絵の具である花紺青です。この花紺青は不透明であり、古九谷以来の透明感の和絵の具とは違った趣を見せています。


庄三が西洋絵の具を多く使って多彩な表現をしたのと同じ発想であったと考えられます。ほかにも、緑は黄味がかっていて、紫はやや赤味がかっているのも、それまでの青九谷系にない色合いです。


普通、青手の裏面は緑で塗り埋めて、渦雲、唐草、木の葉などで充填したものが多い中、枇杷(ビワ)などを描いて、家運隆盛を願う思いがこめられた作品もあります。


裏面の銘は「角福」が初期の頃でその後は「九谷」「九谷製」「永楽」「貴」「大日本九谷製」「大明成化年製」などの多くの銘があります。

次の作品も同時期の作品と思われます。

再興九谷 松山窯 青手菊花図七寸鉢
高台内銘「九谷」 誂箱
口径205*高台径*高さ80

本作品の高台内の裏銘は「九谷」となっています。松山窯も前述のように後期になると「九谷」の銘となります。

両作品ともかなり使い込まれていますが、本作品の方が使っていた跡は少ないようです。


本作品は色釉薬として白に挑戦していますが、まだ定着が思わしくなかったようです。

このような定着の悪さが味わいとなっていますが、あくまでも絵に面白味があるというのが見所なのでしょう。

松山窯は民営に移ってから木下直明らによって明治5年(1872)頃まで続けられたといわれています。 本作品が松山窯という保証もありませんが、少なくても同時期の作品と推測しています。

松山窯や吉田屋窯など再興された九谷焼では窯が乱立し区別しにくい作品が多いですね。さらには現代につながる九谷本窯でも多くの似たような作品が産出されています。

むろん松山窯からは明治以降に活躍した名工や窯元となる者を多く輩出しています。大蔵窯の大蔵寿楽、浜坂清五郎、西出吉平、栄谷窯の北出宇与門、勅使窯の山本庄右衛門、東野惣次郎などは、皆この松山窯で修業した陶工です。

古九谷から再興九谷、そして現在の九谷が残るか否かの瀬戸際にて生まれた作品と言えるのでしょう。

松山窯は少なくても現在の九谷焼のベースとなった窯には相違ないのでしょう。

本日のこの2作品は古九谷の再興九谷に分類されるでしょうが、なかなか味わいのある作品だと思っています。

それほど高価の作品でもないので、思う存分普段使いになるでしょう。

さて下記の作品は以前に本ブログにて「倣青手九谷 馬唐草紋大鉢」(再興九谷の可能性もある)として紹介した作品ですが、この作品と同図の作品は石川九谷焼美術館蔵にある「松山窯 青手双馬図平鉢(口径360* 底径190*高さ65)」が本歌として存在します。再興九谷である松山窯の名品のひとつです。
当方のこの作品は絵が本家より拙い点、釉薬がまだ安定していない点から松山窯が明治期になって民営になった頃、もしくはそれから少し時代が下がった頃に先にあった本歌を模倣した作品ではないかと推定されます。
リメイク 「倣青手九谷 馬唐草紋大鉢」→「再興九谷 松山窯? 青手双馬図平鉢」
合箱
口径306*高台径180*高さ75

大きさは本歌より少し小さめですがほぼ同等です。絵が本歌に比べて稚拙なので、模倣作品と推定していますが、釉薬のブツブツがあるなどまだ釉薬の安定性が良くない頃の作品かとも推定されます。

下記の作品がこの作品の本歌でしょう。本歌はおそらく御用窯の時期、民窯になると当方の作品のようにレベルの違う作品となってしまいます。
参考作品
再興九谷 松山窯 青手双馬図平鉢
石川九谷焼美術館蔵
口径36.0cm 底径19.0cm 高さ6.5cm

やはり本歌は馬の絵が出来がいい・・・。松山窯が明治期になって民営になった頃、もしくはそれから少し時代が下がった頃に先にあった本家を模倣した作品ではないかと推定されます。本作品をかなり時代の下がった近代の模倣作とするにはあまりにも釉薬が安定していないようです。
ともかく古九谷や再興九谷の模倣作品は数が多いし、種類(窯)の数も多く、とても小生のような素人が手に負えるような作品群ではないようですが、基本的なことだけは習得しておこうかと思っています。本日紹介した3作品程度のレベルが再興九谷と近代作の駄作(模倣作品)との分岐点でしょう。この3作品以上のレベルでないといい作品(所蔵していい作品、もしくは普段使いの作品)とは言えないのでしょうね。