夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

リメイク 柿下牛之図 須田珙中筆 その1

2019-11-16 00:01:00 | 掛け軸
休日につき気楽に愉しめる?作品を投稿します。

本日紹介する作品はずいぶんと前に購入した作品ですが、すでに投稿したはずなのですが、ブログを検索しても投稿された記事が見つかりません。なにか別の作品と一緒に投稿している可能性がありますので、一応「リメイク」としています。

リメイク 柿下牛之図 須田珙中筆 その2
絹装軸水墨淡彩紙本箱入 
画サイズ:横508*縦357



須田珙中については下記の作品も本ブログで紹介されています。

ばら図 須田珙中筆 その2
絹本着色軸装 軸先象牙 太巻二重共箱入 
全体サイズ:横725*縦1390 画サイズ:横505*縦430



この作品は牛の目がハート形・・。
 


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須田珙中:日本画家。福島県生。東美校卒。名は善二。松岡映丘・前田青邨に師事。帝展・文展審査展・新文展・日展で活躍し、瑠爽画社に参加。のち日展を脱退して院展で活躍。日本美術員賞受賞。東京芸大助教授。日本美術院同人。昭和39年(1964)歿、56才。

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須田珙中という画家をご存知の方は今では数少ないと思いますが、実は下記の記事にありますように「長い院展の歴史の中でも「大観賞」を四度受賞した作家は他にはおりません。」というほどに戦後を代表する日本画家の一人と評されています。



須田珙中についての記事は意外に少なく、まとめると下記の記事のようになります。資料によっては生年、死亡理由が異なっていますのでご了解ください。

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須田珙中は戦後を代表する日本画家の一人です。日本美術院同人で、多くの名画を残している。本名は善二といい明治40年1月、福島県須賀川市の雑貨商の三男として生まれました。当時の三丁目は、奥州街道・南口の商店街として栄えており、珙中は、近郷近在からの買い物客で繁盛するにぎやかな環境のなかで、幼少時代を過ごしていました。

大正11年、須賀川町立商業学校を卒業後、私立石川中学校の4年に編入しました。このころから、珙中は、画家の道への志を強くし、この石川中学校で2年間学んだ後、東京美術学校本科日本画科に入学しました。

在学中に、頭角を表し始め、1年生時には、作品「ぶどう畑」が日本画会展で入選しています。2年生時にも、第2回聖徳太子奉讃展で入選しますが、「在学中、許可なく官展への出品を禁ず」の学則に触れ、1週間の停学処分を受けるといったエピソードを残しています。在学中は、松岡映丘に師事し、昭和9年の卒業まで、帝展への連続入選を果たすなど、大いに活躍し、まさに日本画界の将来を担う若きホープとして期待されました。



卒業後は、杉山寧、山本岳人、高山辰雄、といった松岡映丘の門下生で作る瑠爽画社に参画し、それまでの日本画とは全く違った新しい現代感覚の日本画を目指します。松岡映丘の没後は前田青邨に師事し、文展から院展に移ります。前田青邨の薫陶を受け、昭和26年からは、母校である東京芸術大学美術学部に教官として迎えられました。この学生たちへの指導により、珙中自身もまた学び、作風の変化した、多くの優れた作品を残しています。具体的には、日本美術院展に出品するようになった昭和27年を機に、それまでの古典的な作風が、変わり始めたと言われています。

次々と作品を発表し「大観賞」や「白寿賞」などを受賞しています。長い院展の歴史の中でも「大観賞」を四度受賞した作家は他にはおりません。41回展「山水石組」、42回展「念持仏」、44回展「篝火」、45回展「正倉院」などの実績からもわかる通り、須田珙中は近代日本画の中で大きな功績を残していきます。

また晩年にかけても多くの作品を残します。代表として水戸偕楽園の好文亭の襖絵があります。好文亭は十室あり、八十二面の襖絵があります。珙中は松の間、梅の間、萩の間、紅葉の間の襖絵を担当します。しかし珙中は完成を見届けることなく、昭和39年7月、心筋梗塞のため、57歳の若さで急逝。その早過ぎる才能の喪失は、日本画界への大きな打撃となりました。特に昭和37年の出品作品「吹雪」は、近代的な表現の可能性を探求し続けた珙中の大きな成果の一つと言われ、今もなお人々に愛されています。



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もともと牛の目はハート形? そんなことはない??



「猪目」というのはハート形をいいますが、それでは猪の目はハート形?? でもいずれ縁結びではなく魔除けですね。



ロマンチックな話ではありませんが、「猪目」については諸説あるので真相は分かりませんが、「魔除けのため」というのは間違いないと思います。



ま~、なぜにハート形かは画家に聞いてみないとわかりませんね。



蒐集を初めて間もない頃に入手した作品、ひさかたぶりに飾ってみました。


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