夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

鉄釉壷 田村耕一作 その3

2016-07-01 00:00:48 | 陶磁器
昨日は新潟から日帰り、現場を訪問した後で飛び乗った新幹線では爆睡・・・、今週は疲れがたまっているらしい。

先日、友人から譲り受けた箱を整理してたら、盃のたくさん入っていた箱のひとつから、共箱も何も無い盃が一個・・・。一目見て、これは「田村耕一」の作品とすぐに解りました。



共箱があつらえていない作品は誰の作品かは見慣れている人でないとわからないものです。たおて刻印があっても・・。他の作品ももしかしたら掘り出し物かも?、それはまたの機会に紹介しましょう。



田村耕一の作品は浜田庄司の周辺の陶芸家として小生の蒐集対象でもあります。本日は盃以外の田村耕一の作品の紹介です。

鉄釉壷 田村耕一作
共箱 
高さ330*口径156*底径89*胴径260



田村耕一はご存知のように、1986年に「鉄絵」の技術で、栃木県では浜田庄司以来2人目の人間国宝に認定されています。



富本憲吉から直接指導を受け、その体験は田村の創作への考えや、工芸観を新たなものにし、富本を畏敬して生涯の師と仰ぎます。



箱書きは上作の共箱にしかない花押が書かれています。



1948年に郷里の佐野に帰り、赤見窯の創業に参画し、同年栃木県芸術祭に出品して、芸術祭賞を受賞した際に、審査員の浜田庄司に認められます。



田村耕一は、昭和40年代後半から、それまで扱ってきた鉄釉に加えて、辰砂釉や青磁釉を扱う割合が増えていきますが、絵付け主体の構成が大きく変わるものではなく、一貫して鉄絵の変化を取り入れた絵付けが中心であり、その優れた技術手法は、高い評価を受けています。



作風、刻印など見慣れていないと作品の判断はできないと思いますが、これは美術館で観ていたのでは身につかないことです。本作品は昭和40年頃(1965年頃)の作かと・・。



何気ない盃が一個。箱も無く、銘も無く、刻印も無く、さて作品の良し悪しはどう判断するのでしょうか? 真贋資料など一切役に立ちません。積み上げた感性だけの勝負です。



田村耕一の盃に日本酒を注ぎながら、作品を見て乾杯。


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