
渡辺省亭が鯉を描いた作品はそれほど多くはないですが、本作品はその中でも佳作のひとつであろうと思います。

鯉之図 渡辺省亭筆 明治29年 その29
落款「丙申歳末(1896年 明治29年 45歳)」
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 誂箱
全体サイズ:縦2060*横520 画サイズ:縦1060*横420


落款には「丙申歳末(1896年 明治29年 45歳)」と記されていますが、この作品を描いた頃の渡辺省亭は明治26年(1893年)のシカゴ万博博覧会に出品した代表作「雪中群鶏図」を最後に、殆どの展覧会へ出品しなくなっています。その理由として、博覧会・共進会の審査のあり方に不満をもったためと説明されていますが、明治37年のセントルイス万国博覧会には出品し、金牌を受賞したとする資料もありますので、詳細な理由は不明としておきます。

また明治22年(1889年)刊行の山田美妙の小説『蝴蝶』において裸婦を描いて評判となりますが、後のいわゆる有名な裸体画論争の端緒となっています。

翌年に『省亭花鳥画譜』全3巻を刊行、鷺草、桜草、夾竹桃、芍薬、薊などを華麗に描いている。同じ明治23年(1890年)から明治27年(1894年)1月にかけて春陽堂より発行された『美術世界』全25巻では、編集主任として尽力し、『美術世界』は、「現存諸名家の揮毫を乞いて掲載」し「後進に意匠修練の模範」となるべく企画された美術雑誌で、実際に川辺御楯、滝和亭、松本楓湖、三島蕉窓、久保田米僊、菅原白龍、月岡芳年、荒木寛畝、河鍋暁斎、鈴木松年、小林永興、森川曾文、今尾景年、幸野楳嶺、原在泉など流派にとらわれず多くの画家が描いています。末尾の論説は川崎千虎が執筆し、省亭自身は古画の縮模を担当する一方で自作も画家たちの中で最も多く手がけ、最後の第25巻は省亭花鳥画特集となっており、印刷も当代一流の彫師と摺師と協力した美しい多色摺木版で印刷され、明治の美術雑誌の中でも格調高いものとして知られています。

本作品はこのような活発な活動をしてい頃の作品ですが、渡辺省亭の作品は、対象の正確な描写を即興性高く実現する高い技術、豊かな装飾性、色彩美を特徴とし、さらに西洋風の精緻な表現をバランスよく融合させることによって、現代の眼でみてもなおそのモダンで高い気品を感じることができます。

同時代において既に評価が確立している河鍋暁斎や柴田是真の次に注目すべき画家であることに疑いはありません。

1878年のパリ万博に参加するため日本画家として初めて渡仏するなど、生前は花鳥画の大家として国内外で高い評価を受けながらも、没後は次第に忘れ去られ、現在は「知る人ぞ知る」画家であると評されている渡辺省亭ですが、近年、研究者や美術愛好家の間で再評価の機運が高まり、注目度がぐんぐん上がっています。

渡辺省亭の独特な淡い色調ですが、かなりきちんと描かれており、この点は師である菊池容斎の影響がかなり明確に出ている作品ですね。

印象派の画家たちをはじめ西欧の人々を魅了した絵師・渡邊省亭ですが、国内でもフェノロサや岡倉天心からも認められていたにも関わらず、晩年は画壇に属さず、弟子もとらず、市井の画家として画業に専念したため、類稀なる実力と海外での評価とはうらはらに、近代美術史の中でその名は埋もれていました。

しかし、2021年、東京藝術大学大学美術館にて国内美術館初となる大規模な回顧展「渡辺省亭—欧米を魅了した花鳥画—」が開催され、さらに省亭の全貌に迫る初の大型画集『渡辺省亭画集』が小学館より刊行されるなど、国内外の日本美術の研究者や愛好家を中心に、再評価の機運は高まり続けています。

*なお渡辺省亭にも多くの贋作が存在するようですが、子息以外に鑑定機関はないようで、共箱の無い作品もかなり多いので、その作品には吟味を要します。なお本作品は真作に相違ないと当方で判断しています。