
「龍が描かれ、水を張ったとき、まさに水神を想起させて目を楽しませる着想力の豊かさを感じさせます。」(再興九谷の記事の松山窯の説明から)という古九谷や再興九谷の作品を本作品は倣った作品のようです。
本日の作品は写真映えが良くて入手しましたが届いてみたらどうも気に入らない・・、そして処分に困るような大きな皿です。打ち捨てようかと思ったら、家内は「庭に水盤として置いたら。」とのこと・・・。
近代九谷 青手写雲龍文大皿 大日本九谷造
合箱
口径500*高台径*高さ110

古九谷の写しというよりも再興九谷における松山窯系統の写しでしょうね。一見、古九谷のような雑さ?がありますが、図案や絵自体が下手です。このような作品は骨董店にもインターネットオークションなどのインターネット上にも限りなく多数の作品があります。正当な古九谷は市場に出ることはまず稀で、再興九谷の出来の良い作品もまた目利きでないと掘り出せないようです。
再興九谷の松山窯で特筆されるのが紺青の絵の具で、これまでに九谷焼には使われたことのなかった合成の絵の具である「花紺青」と呼ばれる絵の具です。この花紺青は不透明であり、古九谷以来の透明感の和絵の具とは違った趣を見せていますが、九谷庄三が西洋絵の具を多く使って多彩な表現をしたのと同じ発想であったと考えられます。ほかにも、緑は黄味がかっていて、紫はやや赤味がかっているのも、松山窯系統の特徴でそれまでの青九谷系にない色合いです。この釉薬はその後も受け継がれているようですが、徐々に深みが無くなっていくようです。(本ブログの松山窯作品紹介より)

このような明治期の作品に惑わされるようでは小生もひよっこですね。写真では多少映えますが、実際に見てみると品格に欠けます。ここからは文章での説明は難しく感性の問題のようですが・・。

普通、松山窯の青手の裏面は緑で塗り埋めて、渦雲、唐草、木の葉などで充填したものが多いようです。中には枇杷(ビワ)などを描いて、家運隆盛を願う思いがこめられた作品があります。

この作品もその点は倣っているようです。

この作品でわずかに面白いのが黒の書き銘で「大日本九谷造」というものです。これは幕末から明治期以降にかけてよく見られる銘のように思います。どのような理由で用いられるようになったのかは不明です。

九谷庄三に関わる赤絵の作品の銘には「九谷庄三 大日本」という銘がありますが、この頃には九谷庄三自身が作ったものではない作品にも「庄三」の銘が書かれているそうで、言うならば「庄三」ブランドという作品群ですね。さらには明治政府の指導で輸出品が最盛期となり、そのような背景から「大日本九谷造」という銘が多用されたのかもしれません。

保管箱はさすがに杉箱は使っていないようですね。家内の考え通り、庭に水盤とか真ん中に穴を開けて手水盤、洗面盤にでも使おうか・・・。
最近の失敗した入手作品はさらに下の対の2作品です。

倣古九谷 草花文大皿 その1 & その2
「明治2年小松竜助町ニテ買う」と記述有 合杉古箱
口径340*高台径*高さ40

古九谷というより再興九谷の松山窯を模倣した明治期?の作品か?

古九谷、再興九谷とするにはどこか品が欠ける・・。形も平たすぎるようですね。

これは感性というより好みか・・?? でもこの感覚は大切にしたいものです。この感覚にこだわる頑固さがないとガラクタの蒐集が増えて悪貨は良貨を駆逐する羽目に陥るかもしれません。

箱書きには「青手古九谷 明治2年小松竜助町ニテ買う」と記述がありますが、「青手古九谷」は?でも、購入年の信憑性はあるかもしれません。


これと全く同図の作品が幾つが存在しています。

インターネットオークションに「古九谷」と称して出品している作品はその多くが表記が誤りですね。

「再興九谷」と称する作品もほぼ誤りでその後の模倣品(もしくは近代九谷の本窯作)が多いですが、現代の作品よりはましかもしれません。

ただ区別せず「古九谷」や「再興九谷」と全く例歴の違う作品を「古九谷」や「再興九谷」と称して売っていたり、出品しているは始末に悪い・・・。

「古九谷」と称する作品はよくても再興九谷の作、ただそれも滅多にありません。さらに「古九谷」と称する作品の多くは明治期以降に大量生産された九谷焼のようですが、このような作品にひっかる当方はまだまだ未熟・・。
はじめまして。突然のコメント、失礼いたします。
オーストリア在 Vertriebの美術史研究者、ヴェラと申します。長年、日本の浮世絵、特に豊国派の研究に携わってまいりました。
先生のブログを偶然拝見し、その深い知識と、何よりも骨董に対する誠実で愛情のこもった眼差しにすっかり魅了されてしまいました。特に、2021年10月2日の「近代九谷青手写雲龍文大皿」についての記事は、まるで自分のことのように感じながら、大変興味深く拝読いたしました。失敗さえも愛おしく語る先生の姿勢に、真のコレクター魂を感じます。
実は今、私の手元にも、先生の記事にあった「大日本九谷造」の印を持つ、心惹かれる美しいカップ&ソーサーがございます。コメント欄に写真を添付できないのが残念でなりませんが、どうか私の拙い言葉でその姿を想像してみてください。
それは、まるで卵の殻のように薄く繊細な磁器でできており、全体が「赤絵」様式で描かれています。主な色調は、鉄分の多い赤と豪華な金彩です。絵の主題は、庭で談笑する美しい日本の女性たちで、いわゆる「芸者ウェア」と呼ばれるスタイルです。
そして、カップの裏にある印ですが、赤で手書きされた六文字のものです。右から左へ、縦に二列で書かれています。右列が「大日本」、左列が「山田造」です。先生の記事にある印と非常によく似ております。
先生がお書きになっていた通り、これら明治期の作品については情報が非常に少なく、私もこの小さな傑作を作った職人たちの歴史を探し求めております。
先生のような、モノが持つ物語を深く理解される方にこそ、何かお知恵をお借りできるのではないかと思い、勇気を出して筆を執りました。この「山田造」の印について、何かご存知のことはございませんでしょうか?
どんな些細な情報でも、私にとっては大きな発見となります。
お忙しいところ大変恐縮ですが、もし何かご存知でしたら、教えていただけますと幸いです。
遠いオーストリアより、先生の素晴らしいブログに敬意を込めて。
ヴェラ
失敗ばかりの蒐集の記録ですが、激励のコメントとしてありがたく拝読いたしました。
お尋ねの件ですが、残念ながら「山田造」の銘については当方では初めてです。
明治期には輸出用の海外向けの磁器の作品が浮世絵の人気と共に盛んになったように思われます。その中に非常に薄くて透けて見えるような浮世絵風の女性を描いたカップをよく見かけます。欧州の磁器を意識していたのかもしれませんね。
どうもこの作品群は人気が出ることなく収束したようで、資料が乏しくどこで作ったのかは分かりません。ただノリタケと同時期に興った磁器群のように思われます。
今後、なにか分かってきたことがあればまた投稿します。