夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

改装完了 西王母・東方朔図 大西椿年筆

2020-02-10 00:01:00 | 掛け軸
先週のなんでも鑑定団に加納鉄哉の作品が出品されていました。実に見事な「十一面観音像」でした。彫刻というよりも鉄筆がみごとで、煎茶道具のほか、面やたばこ入れなどの作品が有名です。

下記は番組での説明に部分です。

鑑定団の評:昭和53年に奈良県立美術館で開かれた加納鉄哉展に出品されたことがあるが、個人蔵のためそれ以降はどこにあるか分かっていなかった。鉄哉は姿かたちだけでなく、内側からの木の命というものを勉強し直したいと模刻に励むが作例はそれほど多くない。依頼品はわずかな完成作の一つ。緻密で仏の心が壊されることなくそこに刻み込まれている素晴らしい作品。指の部分はおかしな補修の仕方ではないので全体の価値を損ねるまではいかない。



本ブログにて加納鉄哉の作品は下記の作品が紹介されています。箱書している弟子の市川鉄琅の作品も幾つか紹介されています。

恵比寿大黒面・吉祥額 加納鉄哉作
恵比寿面:高さ175*幅132*厚さ65 大黒面:高さ140*幅128*厚み68
額:口径470~415*厚さ22 共板市川鉄琅鑑定箱

*なお本作品は当方にて人形屋さんに依頼して色彩が修復されています。



さて修復されていた作品ということで本日は修復が完了した掛け軸の作品の紹介です。

本作品は2015年10月9日に投稿された作品ですが、その記事の冒頭に「さて本日の作品も不要なるものの・・?、表具はもはや掛けて飾るには無理があるほど痛んでいる作品です。」と小生自身が記述しています。つまりかなり表具が痛んだ状態での紹介でした。

下記は痛んだこの掛け軸を入手当時に検討した内容です。

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「さて画題の説明が長くなりましたが、ここまで痛んだ掛け軸をどうするかが当方の大問題・・。資金があるなら表具材料をそのまま使う「締め直し」が一番いいと思いますが、意外に費用が嵩むものです。さ~て、このような痛んだ作品ばかり集まるのは痛んだ掛け軸が廉価だからなのですが・・。」 

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痛んだ作品は廉価にていい作品が入手できます。掛け軸はとくに廉価で入手できますが、修復するのに費用が莫大にかかる点から敬遠されるからでしょう。修復がたしかで、良心的な値段で表具してくれる表具師さんとコネクションをとることが肝要かと思います。

最近になってようやく本作品の特に痛んでいた表具の天地を交換しましたので紹介します。天地交換のみすることで全面改装よりも廉価になりますし、古い生地も遺せます。天地も古いものなので遺したかったのですが、さすがに痛みがひどいので交換しました。検討の上、入手から4年以上経過した今になってようやく取り替えました。このような作品がまだまだ当方には山積みになっています。

西王母・東方朔図 大西椿年筆
絹本着色軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:横620*縦1990 画サイズ:横510*縦1120



手前は窯印のあるお気に入りの作品のひとつで、何度か紹介している古備前の壺です。



痛んだ状態の写真が下記の写真ですが、なるべく痛んだところは写さないようにしている写真ですので、天の部分以外は痛んでいなように見えますが、実際は痛みがひどく掛けれるような状態にはない作品です。掛け軸の取り扱いをぞんざいにするとこういう状態になることはままありますが、よかったのは天地以外の本紙には痛みが少ない点です。



改装が完了した状態の写真が下記の写真です。料金は一万円ほどですので、全面を絞め直すよりはかなり格安で改装できます。

本作品は東方朔が西王母の桃を盗んで食べ、八百歳もの長寿を得ることができたとして知られる画題を描いた作品で、この画題は吉祥図としてしばしば描かれています。



以下の記事は2015年10月9日に投稿されたものとほぼ同じ内容です。

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描いたのは「大西椿年」という本ブログでは初登場の江戸後期の画家です。大西椿年の来歴は下記のとおりです。

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大西 椿年(おおにし ちんねん):寛政4年(1792年)~嘉永4年11月6日(1851年11月28日))は江戸時代後期の南画家。字は大寿。号は楚南・運霞堂・霞翁など。通称は行之助。江戸の生まれ。

幕府蔵手代を勤め、浅草鳥越橋付近(現・台東区浅草橋3丁目)に住んだ。円山応挙の高弟・渡辺南岳が一時江戸に移り住んだとき入門し円山派の画法を習得。江戸に円山派を広める役割を果たした。南岳の帰京後、谷文晁の画塾写山楼に入り、様々な画派(南画・南蘋派・北宗画・大和絵・狩野派など)の技法を修める。

人物図・花鳥図など画作したが特に亀の戯画に人気があった。渡辺崋山・曲亭馬琴・亀田鵬斎らと交友した。行年60歳。浅草金剛院に葬られたが、現在墓所は熊野山安泰寺(大田区西糀谷)にある。門弟に洋画家・川上冬崖や淡島椿岳がいる。



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画題である「東方朔」の説明は下記のとおりです。

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東方朔(とうほう さく):紀元前154年 - 紀元前92年)は、前漢・武帝時代の政治家。字は曼倩。平原郡厭次県(現在の山東省陵県神頭鎮、もしくは山東省恵民県)の人。

武帝に「今年22歳になり、勇猛果敢、恐れを知らず、知略に富んでいるので、大臣に向いていると思う」と自ら推薦状を送った。これを武帝が気に入り、常侍郎や太中大夫といった要職につかせた。

後の歴史書などには、彼の知略知己に富む様子がしだいに神格化され始め、ついには下界に住む仙人のように描かれることとなった。唐代の詩人李白は彼のことを「世人不識東方朔、大隐金門是謫仙」と褒め称えている。また、滑稽な行為をすることでも知られ、中国では相声(中国式の漫才のようなもの)などのお笑いの神様として尊敬されている。



斉の出身で古文書や経学を愛し、雑書・史伝を広く読んでいた。初めて長安に入ったときに、3000枚の竹簡に書かれた上書を提出し、武帝は2ヶ月かけて読み終え、朔を郎官に任命した。その後は側近としてしばしば、武帝の話し相手を務めていた。気性の激しい武帝も東方朔と話せば上機嫌となり、金品を賜ったり食事の陪席を命じる事も度々であったという。

武帝に食事を招待されたときには、食べ残しの肉をすべて懐に入れて持ち帰ろうとして服を汚すのが常であり、下賜された銭・帛を浪費して、長安の若い美女を次々と娶り一年もたつと捨てて顧みないという暮らしをしていた。これは、采陰補陽という一種の修身法であったが、それを知らない同僚には狂人扱いされていたという。武帝はそれでも「朔に仕事をさせれば、彼ほどの仕事ぶりを示す者はいないだろう」と評価していた。

博士たちが戦国時代の賢者たちと比較して、朔を非難したことがある。その博聞弁智を抱えて無為に過ごし、官は侍郎で位は執戟にすぎないのはどうしたわけなのか、と。朔は「天下に災害がなければ聖人がいたとしてもその才を施すところがない。上下が和同していれば、賢者がいたとしても功を立てるところはない」という古諺を引いて、戦国と漢代は違うこと、自分が学を修め道を行うのは出世のためではない、という所信を述べている。

朔は息子を郎官にしてもらい、その息子は「侍謁者」となり、都を出て使いするようになった。老齢になり死期が近づいたときに武帝に讒言を斥けるように諫めて、まもなく病死した。司馬遷は「鳥がまさに死なんとするときは、その鳴き声は哀しい」と東方朔をたたえ、朝廷の中にいて世を避けたと自認するこの賢人に共感を抱いていたことがわかる。

朔の博学については騶牙という動物を見てその名と遠方の国が漢に帰属しようとする瑞祥であることを言い当てたり(『史記』)、函谷関で武帝の行き先をふさいだ牛に似た怪物を患と見抜き、酒を注いで消す方法を教えた(『捜神記』)などの逸話がある。

怪現象の権威とみなされたせいか、伝奇を集めた『神異録』の著者に擬せられたり、『漢武故事』では「東方國獻短人。帝呼東方朔。朔至、短人指謂上曰、王母種桃、三千歳一子。此子不良。已三過偸之矣」、つまり西王母が植えた三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んだであるとか、張華が撰述した『博物志』でも「西王母七夕降九華殿。以五桃與漢武帝。東方朔從殿東廂朱鳥中窺之。王母曰、此窺小兒。嘗三來盗吾此桃」と同じような荒唐無稽な逸話が東方朔について創作されている。日本の能の演目『東方朔』では、朔は仙人として登場する。


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次に本作品の下に描かれている「西王母」ですが、「西王母」の説明は下記のとおりです。

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西王母(せいおうぼ、さいおうぼ):中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。すべての女仙たちを統率する聖母。東王父に対応する。日本画に描かれた西王母と武帝周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという。また前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという。

現在の西王母のイメージは、道教完成後の理想化された姿である。本来の姿は「天五残(疫病と五種類の刑罰)」を司る鬼神であり、『山海経』の西山経及び大荒西経によると、「人のすがたで豹の尾、虎の歯で、よく唸る。蓬髪(乱れた髪)に玉勝(宝玉の頭飾)をのせていて、穴に住む。」という、半人半獣の姿である。 また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(『海内北経』)、これらの鳥の名は大鶩、小鶩、青鳥であるという(『大荒西経』)。一方、『荘子』によれば、西王母を得道の真人としているし、『淮南子』では、西王母が持していた不死の薬を、姮娥(恒娥)が盗んで月へと逃げたと記している。



人間の非業の死を司る死神であった西王母であったが、「死を司る存在を崇め祭れば、非業の死を免れられる」という、恐れから発生する信仰によって、徐々に「不老不死の力を与える神女」というイメージに変化していった。やがて、道教が成立すると、西王母はかつての「人頭獣身の鬼神」から「天界の美しき最高仙女」へと完全に変化し、不老不死の仙桃を管理する、艶やかにして麗しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるにいたった。

西王母へ生贄を運ぶ役目だった怪物・青鳥も、「西王母が宴を開くときに出す使い鳥」という役どころに姿を変え、やがては「青鳥」といえば「知らせ、手紙」という意味に用いられるほどになったのである。また、西王母の仙桃を食べて寿命が三千年も延びている。漢末の建平4年(紀元前3年)、華北地方一帯に西王母のお告げを記したお札が拡散し、騒擾をもたらしたという記述が、『漢書』の「哀帝紀」や「五行志」に見える。

漢の武帝が天界で桃を賜った話、嫦娥が盗んだのは西王母の不老不死の薬でした。また西遊記のなかで孫悟空は西王母の桃を盗みます。……などなど逸話を数えれば切りがありません。それだけ人気のある神であったということでしょう。古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたり、お札に使われたりしてきましたが、崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるといわれています。この桃が不老長寿の桃なのです。この桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないといいます。そして3000年に一度しか実がならないのだそうです。西王母がこの桃が実ったのをお祝いして「蟠桃宴」を開きます。この宴に呼ばれるのは超一流の神様仏様たちだといいます。ちなみに、孫悟空はその宴に乱入に大暴れをしました。このように西王母は長寿の神様としてとても親しまれている神様です。西王母のお誕生日は、三月三日だということです。

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「東方朔」と「西王母」・・、どちらも曲者・・・・??? 絵のかわいらしさの惑わされてはいけませんね。

本日の作品の画題の「東方朔」・・、ともかく「食わせ者」には相違ないようです。

1.武帝に「今年22歳になり、勇猛果敢、恐れを知らず、知略に富んでいるので、大臣に向いていると思う」と自ら推薦状を送った。
2.下賜された銭・帛を浪費して、長安の若い美女を次々と娶り一年もたつと捨てて顧みないという暮らしをしていた。
3.西王母が植えた三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んだ

一方の「西王母」にしても美人?、親しまれている神・・、ただもとはというと

1.半人半獣の姿
2.人間の非業の死を司る死神
3.西王母へ生贄を運ぶ役目だった怪物・青鳥

というようにたいした「玉」のようです。

#####################################以上が前回の投稿記事です。

西王母が寝ている隙に不老不死の桃を盗んだ東方朔・・・、家内が寝ている間に骨董をいじっている小生のよう・・、一体「桃」はなにでしょう?? ガラクタから宝物が出てきくるかも?

古い作品は極力古いままで遺すのがベストなのでしょうが、飾るのに支障のある場合は古い部分を極力遺して補修する必要がありますね。



天地交換できるものは本紙部分の多くを遺すことが可能であると思います。



痛めないためには保管をきちんとして、取り扱いに細心の注意を払う必要があるのですが、掛け軸の取り扱い、漆器の取り扱い、さらにはもっとも簡単なはずの陶磁器の取り扱いさえもわきまえない御仁があまりにも多いのが現状でしょう。



温故知新・・・・、古いものの取り扱い方は現代にも通じるものがあります。骨董には真贋、金銭的な価値を学ぶ前に学ぶべき礼儀があるようです。

修復することで粗末な取扱いを詫びることとなり、骨董品はその価値が蘇ります。修復することで御利益が必ずあるもの、幸多かれと祈るばかり・・とくに「福の神」に・・・、そう冒頭の写真にある「恵比寿大黒面・吉祥額」の作品手前の「福の神 市川鉄琅作」もまた当方にて修復しています。

明かりをつけて日々幸あれと祈願しています。




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