我が家では、やっぱり、こっちですねぇ(;´▽`lllA``)
昨晩は、コンビニに出向くとき、窓ガラスが曇ってるなぁ、とワイパーを動かしたら、重いんです。
ワッシャー液で押し出しましたが、コンビニに着いて、見たら、凍ってたんですねぇ。。。
寒いわけだわね。(-_-;)
終い九日(くにち)という風習で、山の父祖の地に出向いたら、もう紅葉は終わりに近いです。
夕暮れ時で、携帯ではあんまり画像がきれいに上がらなかった。(腕の悪いのをさっぴいても)
はろはろ、うぃんうぃん。
午前中は日差しがやわらかいですけども。
昼から土砂降り。
ついさっき、あがりましたけど、雨の日は、少し暖かいんだ。
何かの行事に参加なされた方も、おうちでおとなしくしてた方も。
みんなが、幸せでありますように(^人^)
昨晩は、コンビニに出向くとき、窓ガラスが曇ってるなぁ、とワイパーを動かしたら、重いんです。
ワッシャー液で押し出しましたが、コンビニに着いて、見たら、凍ってたんですねぇ。。。
寒いわけだわね。(-_-;)
終い九日(くにち)という風習で、山の父祖の地に出向いたら、もう紅葉は終わりに近いです。
夕暮れ時で、携帯ではあんまり画像がきれいに上がらなかった。(腕の悪いのをさっぴいても)
はろはろ、うぃんうぃん。
午前中は日差しがやわらかいですけども。
昼から土砂降り。
ついさっき、あがりましたけど、雨の日は、少し暖かいんだ。
何かの行事に参加なされた方も、おうちでおとなしくしてた方も。
みんなが、幸せでありますように(^人^)
JR 駅前の商店街がさー、子供が作ったカボチャのなんたらを並べる様になってね、自転車通行での買い物ができなくて、不便を感じたっていうのがハロウィンの始まりだなー
カボチャの煮物、美味しそうじゃん♪
ハロウィンって言うより、冬はカボチャだねー
カボチャって、大好きって感じではないんだけど、クリームシチューに入れて、ドロッと混ぜちゃって食べるのが、美味しいし、好きだな♪
料理下手でも出来るしね (^^;
寒いから、カボチャ食べて、風邪引かんようにねー♪
イマイチついていかれない私です
カボチャの煮物、大好きです!
いっぱい食べて元気に冬を乗り越えないとですね~
今年の冬は寒くて雪が多いかも、なんてテレビで言ってましたよ
まあ、長期予報は最近ほとんど当たりませんけどね
あたしも介護してたけどさ、ほら、根が能天気だからね、「あ、こういうの、子ども(生徒)たち、好きだろうなぁ♪」って
そっちのほうに頭がいっちゃって。けっこう、うふうふ、眺めてたっけなぁ、って。
母が倒れるまでは、お手伝い気分だったのは確かだし(-_-;)
自分しかいないんだ、って感覚は、母が倒れてからだったから、母に申し訳なくて、ねぇ。。。
つらかったんだろうな、あたしよりずっと年上(当たり前だけど)なのに、こんな力仕事やら、休む間もなく頑張ってたんだなぁ、って。
おじいちゃん、マジでわがままを絵に描いたような人だったし、母は、文句も言わずに、笑顔で「はい、はい」って聞いてて。
だから死んじゃうんだよ、って、亡くなってから、腹が立ったのか悲しいのかわかんないくらい混乱したよ。
煮物、うん、こっちだと、小豆と一緒に煮込んだりして、ね。
あったかいものは、冬場にはうれしいよね^^
戦争があった頃、空襲で焼きだされて、夜通し歩いて逃げてきた人たちに
母は、軒先に積んであったジャガイモやかぼちゃを煮て、食べさせてあげたんだって。
もちろん、無料でさ。
物も無い時代、自分たちだって、冬を越すための大切な食料だったろうに。
何十キロも歩き通しの、すすけてボロボロの人たちのうつろな顔が忘れられない、って
何回も言ってた。
あの時「食べた」人たちは、きっと、もう、くたくたで、どこの誰から食料をもらったのか、なんか、これっぱかしも覚えてはいないだろうけど、ね、って、笑ってた。
あたしの「お人よし」は、母譲りだなぁ、って、時々思うよ。
生まれる前の話だけど、何回も聞いてると、自分の中に記憶が出来上がるのね。知ってる、それ!みたいな?
なんか、面白いね。
あーーーんなに可愛いコスプレ、もう、うらやましく眺めて、楽しませていただいてますよぉ♪ヽ(゚▽゚*)乂(*゚▽゚)ノ コトシモ、キターーー!!
我が家なんざ、かぼちゃ、ったら、食べるばっかりで(-_-;)とほほ。
ずっと前に、よそのお庭で、くりぬいたカボチャの中に電球灯してたのを見て
びっくり、ドキドキしたっけな、とか。その程度です。
田舎なので、お店で看板を見る、くらいなのですよ^^;;
今年の冬。
寒いと思います。夏が暑かったときは、冬が寒いです、いつも。
今日は午前中吹雪いてましたよ。
やっとさっき晴れましたけども、寒いです。((((( ; ゚Д゚)ガグブル
猫の部屋の暖房の見直し、しっかりしとかないと、です。
そちらも、温かい冬を過ごせますように、ね^^
私にも、なんだかんだ、話してくれてたよ。
だから、同い年より、多分知ってるかも …… って言うより、すでに 疑似体験だよね。
祖母は、お嬢様の出なんで、やっぱ 他人には良すぎたみたいだね …… 東京大空襲があって、更に 貧乏になってんのになー
その分苦労したのが、祖父と伯母みたい …… まあ、勤めに出てた母もなんだけどさー
otikomi さんのお母さん、大変だったんだねー (T.T) 何か、気の毒 ……
そうかー、otikomi さんは、お母さんのいいところ引き継いでんだねー
私は、父親の悪いとこばっか似てるとか、小さい時は我儘だったって、母に言われて育って来たからなー
羨まし~な~
まあ、今日から11月ってーことで、気持ちを切り替えて、頑張んべ~~♪
けっこう、白い目で見られた、らしいが、我が家はみんな、穏やかだった。家族総出で「脳天気」?(;´▽`lllA``)
そのうちに、金属でできてるものは何でも(指輪とか鍋釜とか、鍬や鋤まで)を、供出しなくちゃいけなくなって。
政府に差し出すんだよね、戦争の武器に加工するから、って。
出さないと、隣組とかのおばさんたちがs徴収に来るんだ。怖かった、らしい。
お金は統制されるから使えなくなるし、飛行機が来て焼夷弾とか落とすから、辺り中焼けてる中を逃げ回らないとならないし、で
うちも東京にも親戚多かったから、疎開して来てた。家族全員で、何家族も、たっくさん。
戦後も居た人も多かった。
あたしが知ってるだけでも、三人くらい、残ってたなぁ。それなりの大人なんだけど、さ。
みんな、思いっ切り、貧しくて。もう、笑っちゃうくらい貧しくて。でも、みんな元気だった。頑張ってた。
その頃に子どもだった方々も、それぞれにいろんな業種で成功して、でも、もう退陣しちゃってるけどね>戦後70年経ったんだなぁ。。。。
生まれてもいなかったあたしらも、もう、いい年だし、ねぇ。^^;;
疑似体験でも追体験でも、戦争は、嫌いだ。やってはならない、と思う。
もう亡くなった叔父は、戦地でネズミやらイモリ、蛇なんかまで食べた、って。
火を使えない(敵に居場所を発見されるから)もので、生で、だってさ。それでも、生き物ならまだおなかは満たされるけど、植物の根っことかまで、食べたって。
知らない土地でだから、知らない植物に当たったりして、おなか壊したり、死んだりしてたんだって。
軍靴は革だから、底をはがして、水に漬けてやわらかくして、齧ったった、とか。ビーフジャーキー?
お菓子やらスィーツ、豪華な食品であふれかえっている現代、そういう状況に置かれたら、どんな気持ちになるのか、思いつかないんだろうね。誰も。
あたしは、やだ。