goo blog サービス終了のお知らせ 

太田知子の いきいき!健康長寿

健康医療ライターで介護予防インストラクターの太田知子が介護されない体づくり、若さと元気をキープする方法について語ります。

インドを旅して (上)

2017年02月03日 | 旅行

1月27日から31日までインドを旅してきた。

といっても、訪れたのはデリー、ジャイプール、アグラの3都市のみ。

短期間だったが、強烈な印象が残るエキサイティングな旅だった。

 

驚いたのはセキュリティが厳しいこと。

空港の荷物チェックやボディチェックはもちろん、タージ・マハル入場時には厳格なセキュリティチェックがあった。

持って入れるのはパスポート、財布とカメラ、ハンカチ、ティッシュのみ。

それ以外は全部だめで、ペンも没収される。

ペットボトル入りの水と靴にかぶせるカバーを渡されて入場した。

 

タージ・マハルはムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンの2番目の妃、ムムタズのお墓だ。

ムムタズは身重の体で皇帝の遠征に付き従い、14人目の子どもを産んだが、産褥熱で38歳の若さで亡くなったという。

溺愛していた妃を失って、皇帝は嘆き悲しみ、世界一美しいお墓をつくった。

それがタージ・マハルだ。

白大理石の壁面には、さまざまな宝石をはめ込んだ象嵌細工が施され、それは美しい。

 

タージ・マハルは写真等でさんざん見ているけれど、実際に見るとやはり感動する。

ただ、残念なことに、右側の塔にメンテナンス用の足場が組まれ、景観を損ねていた。

その傍らには、大理石の壁面を手で磨く多くの人の姿が。

タージ・マハルの美しさはこうした努力によって守られているのである。

 

 

タージ・マハルから3kmほど西にあるアグラ城も見応えがあった。

アグラ城はムガール帝国第3代皇帝アクバルによって築かれた赤砂岩の城で、いくもの宮殿が並ぶ。

この中に、シャー・ジャハーンが息子、アウラングゼーブ(第6代皇帝)によって幽閉された「囚われの塔」がある。

アウラングゼーブは自分が皇帝の座に就くために他の兄弟を殺し、父親のシャー・ジャハーンを幽閉したそうだ。

晩年のシャー・ジャハーンはこの塔から一歩も出られず、終日、愛妃が眠るタージ・マハルを眺めて暮らしたという。

シャー・ジャハーンはタージ・マハル完成後、自分用の墓(廟)を黒大理石で作ろうと計画していたそうだが、その願いは叶わず、シャー・ジャハーンの棺はタージ・マハルの愛妃の棺の隣に置かれている。


台湾紀行 その3

2013年02月26日 | 旅行

高雄から東海岸を回り、台東を経て花蓮へ。途中、三仙台という美しい半島に立ち寄りました。3つの巨大な岩があり、3人の仙人がこの岩で休んだという伝説があるそうです。

 台湾には様々な原住民が住んでいます。その中で一番人工が多いのが阿美族だそうです。阿美族文化村で民族舞踊ショーを観賞しました。色鮮やかな民族衣装をつけた阿美族の若い男女たち。歌も踊りもとっても素晴らしかったです。最後は観客も輪の中に入って手をつなぎ、賑やかに踊りました。

 

翌日は台湾最大の景勝地「太魯閣峡谷」へ。ここは浸食でできた大理石の奇岩怪石が20キロも続く峡谷で、バスは岩をくりぬいたトンネルをいくつもくぐって進んでいきました。

 

花蓮に戻り、特急列車で基隆市へ向かいました。指定席は満席。ちょうど昼時だったので、乗客は皆、駅弁を広げています。私たちも初めて食べる台湾の駅弁に挑戦。ちょっとお肉が硬くて、野菜が少なかったです。駅弁はやっぱり、日本が一番かな。

 

特急列車は日本の新幹線のようにきれいで、乗り心地もGood!。2時間ほど乗り、七堵駅で下車。

再びバスに乗って九フンへ向かいました。九フンは日本統治時代に金鉱で栄えた町だそうです。映画の舞台にもなった所で、石段の狭い道の両側に土産物店や食べ物屋さんが並んで、それは賑やか。赤い提灯がぶら下がっていて、ノスタルジックな雰囲気も漂っていました。

 

バスで台北に戻り、この旅のハイライト、故宮博物院へ。世界4大美術館の一つといわれるだけあって、陶磁器や書、彫刻など、その展示物は素晴らしいものばかり。たった2時間ではとても見きれませんでした。

 

いよいよ台湾最後の夜です。ホテルからタクシーで高さ508メートルの台北101(台北国際金融ビル)へ向かいました。ビルのライトアップがとてもきれい。夜8時過ぎというのに、街は多くの人で賑わっています。101で日本料理店を見つけ、台湾ビールを飲みながら、刺身、天ぷら、きんぴらごぼう、茶わん蒸しなどの日本食を味わいました。うーん、やっぱり日本食は最高!

 

この店には台湾の若いカップルも来ていて、とてもおいしそうに食べていました。

現地のガイドさんによれば、台湾人にとって一番好きな国は日本、一番行ってみたい国は日本だそうです。「日本に統治されたおかげで、台湾は発展できた」などとしきりに言ってましたが、あながちリップサービスだけではなさそう。

気候が温暖で、花が咲き乱れ、果物が豊富で料理がおいしい台湾。ぜひ、また訪れてみたいです

 


台湾紀行 その2

2013年02月16日 | 旅行

 台中は台湾中部最大の商業都市。金色の巨大な布袋様の像がある宝覚禅寺を観光しました。

 

境内にはバナナの木が。枝からぶら下がっている赤茶色のものがバナナの花だそうです。

続いて天然の湖、日月潭(にちげつたん)へ。湖面の半分が太陽の形、もう半分が月の形をしていることからこの名がついたそうです。

 

        文武廟から日月潭を望む

日月潭の湖畔には「文武廟」がありました。

ここは学問の神・孔子や武の神・関羽を祀った寺で、大学合格や公務員試験合格を願う若者の顔写真入りの祈願書が奉納されていました。

 

ここから2時間ほどバスに乗り、歴史の街、台南へ。オランダ人によって築かれた城、「赤嵌楼(せっかんろう)」を観光しました。

台湾は1624年から37年間、オランダの東インド会社によって統治されていたそうです。

 

台南もそうですが、どこの街にもセブンイレブンが目立っていました。

 

台南からさらに南へ下り、高雄へ。ハスの花で知られる淡水湖、蓮池潭が有名です。

龍虎塔は多くの人で賑わっていました。

台湾では十二支の中で、龍が最もよい動物で、虎が最も悪い動物だそう。そのため、龍の口から入って虎の口から出ると善人になれると言われているそうです。

もちろん、私も龍から入って虎の口から出てきました。

高雄はとっても暖かくてまるで初夏のよう。汗ばむほどの陽気でした。

 

台湾の都市では毎晩、夜市が開かれています。高雄の六合夜市を訪ねてみました。

道路には屋台がずらりと並び、それはもう、賑やか。熱気にあふれていました。

台湾の人は家ではあまりご飯を食べず、外食が多いとか。

仕事帰りに夜市の屋台で、台湾ビールを飲みながら、あつあつの屋台料理を楽しむ。

それが日常のようです。

 


台湾紀行 その1

2013年02月11日 | 旅行

 1月29日から2月2日まで台湾を旅行してきました。毎日毎日、寒い日が続くので、温かい所へ旅したいと台湾ツアーを選んだのです。ツアー代金は4泊5日で何と4万9800円。往復の航空運賃、4泊のホテル代、食事代、台湾一周のバス代、特急代、故宮博物院などの入館料、ガイド料込みでこの値段ですから、一体どうなっているんでしょう。旅行会社はどうやって儲けているのか不思議です。値段の割にはホテルも食事も満足できる内容でした。

 

羽田を12時15分発のエバー航空で出発。4時間弱で台北・松山国際空港に着きました。台北は香港桜や日日草が咲いて、まさに春の陽気。かじかんでいた背中がすっと伸びて、思わずスキップしたくなる暖かさでした。

 

ツアーの一行19人は台湾人ガイドの呂さんの案内で派手な絵が描かれたバスに乗り、市内の儒教寺院へ。境内には長い列ができていて、その列の先には女性のお坊さんがいました。長い線香を持ち、一人ひとりの参拝者の厄除けをしていました。別の場所では、経典をめくりながら大きな声で、お経を詠んでいます。なぜかお坊さんは女性ばかりでした。

 

続いて忠列祠へ。ここは戦争で亡くなった英霊を祀るっている所で、ガイドの呂さんは「靖国神社のような所です」で説明してくれました。

4時になると有名な衛兵交代セレモニーが始まりました。大門から大殿まで、銃を持った衛兵が行進し、2名が交替してまだ大門まで戻ってくるのです。その行進の美しいこと。衛兵は皆、背が高く、引き締まった体と精悍な顔つきをしていて、観光客が盛んにシャッターを切っていました。

 

台北の街はとっても賑やかで、バイクが列をなして走っていました。赤と緑の看板のセブンイレブンが目立っていました。

観光後、バスは南に向かって走り、2時間半後、台中へ到着しました。