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太田知子の いきいき!健康長寿

健康医療ライターで介護予防インストラクターの太田知子が介護されない体づくり、若さと元気をキープする方法について語ります。

介護で閉ざされる未来

2014年06月18日 | 介護保険

ショッキングなタイトルにひかれて、テレビをつけた。

きのうのNHK「クローズアップ現代」。

親の介護を担っている若者の実態を追っていた。

 

今、親の介護を担っている15~29歳の若年介護者が17万人以上いるという。

テレビでは20代の男女2人の介護の様子を紹介していた。

 

一人は、脳の病気で寝たきりとなり、話すこともできない父親を介護している女性。

大学を中退し、言語聴覚士になる夢をあきらめてしまった。

一緒に父親を介護してきた母親は、がんを患っている。

 

彼女の献身ぶりに感心した。

でも・・・と思う。

一家は両親と姉弟の4人家族。

弟は少しも手伝わないの?

父親の兄弟とか、手を差しのべてくれる人はいないの?

 

もう一人は若年性認知症の母親(58)を介護している男性。

大学を出て就職したばかりの時、母親の介護が必要になった。

息子と父親はこれからどうするかを相談。

結局、息子が会社を辞め、母親を介護するようになった。

理由は父親の給料よりも、就職したばかりの息子のほうが、給料が低いから。

 

父親は「苦渋の選択だった」というが、私には理解できない。

父親と息子の給料を合わせれば、施設に入れることもできたはず。

あるいは介護保険を使い、不足分は自費でヘルパーを雇って在宅で介護することもできたのではないか。

 

介護の毎日で、社会とのつながりも減って「先が見えない」と涙ぐむ息子。

見ていて、かわいそうでたまらなかった。

 

親は子どもの未来を閉ざしてはならないと思う。

 

テレビでは、介護と学業や仕事との両立を支援するイギリスの取り組みを紹介していた。

確かに社会の支援も必要だが、「介護で子どもの未来を奪わない」といった親の覚悟も必要ではないか。

 

普段の努力によって、介護リスクを減らすことはできる。

それでも万一、介護が必要になった時、私なら迷わず施設に入る。

そのためのお金を今から準備しておこう。


老人会で介護予防を指導

2014年05月24日 | 介護保険

青梅市の滝ノ上自治会館で今日、老人会「滝和会」主催の「介護されない体づくりと歌の会」が開かれ、講師を務めた。

 

昨年8月に行った会が好評だったらしく、また今年も依頼されたのである。

 

参加者は60代~80代の男女30人ほど。車いすで来てくれた人もいる。

滝和会の会長さんがとても若々しくてびっくりした。

 

まず話したのは高齢者をめぐる医療や介護事情。近年、高齢者の医療費が急増して国民健康保険(国保)財政が危機に瀕している。きのうもNHKの特報首都圏でこの問題を取り扱っていた。

 

国保の運営者である市町村は国保の赤字分を補うため、教育費や子育て支援など住民サービスを削らなければならない状況に陥っているという。

 

介護費用も年々増加している。介護保険が始まった2000年の要介護者数は218万人だったが、2010年には500万人を超え、2013年には580.7万人になった。2025年には720万人になる見込みで、介護費用は21兆円にのぼるという試算もある。

 

日本は今後、医療費用と介護費用が増え続け、沈没してしまうかもしれない。そうならないためには、「健康長寿」を実践することだ。

 

今、日本人の平均寿命は男が79.94歳、女が86.41歳。

ところが健康寿命は男が70.42歳、女が73.62歳。

医療や介護が必要な期間が男は約9年、女は約13年もある。

この期間をいかに短くするかが大きな課題である。

 

現在介護されている人はどんな原因で介護が必要になったのだろうか。

国民生活基礎調査によると、介護が必要になった原因の第1位は脳血管疾患、2位は認知症、3位は高齢による衰弱、4位は関節疾患、5位は骨折・転倒と続く。

 

そこでまず、参加者に脳梗塞の兆候がないか、簡単なチェックをしてもらった。3位~5位は運動器に関することで、ロコモティブシンドロームに関係する。

そこで、片足立ちテストをしてもらい、ロコモになりかけていないかをチェック。皆さん、真剣な表情で取り組んでくれた。

 

後半は健康長寿のための腹式呼吸法を指導。

発声練習をした後、「七つの子」「茶つみ」「ふるさと」「知床旅情」の4曲を皆で歌った。

その際、驚いたことがあった。

「ふるさと」の歌の出だしは「ウサギ追いし・・・」で始まる。

すると参加者から「小学生の時、ウサギ狩りをしたことがある」との声。昭和10年代後半、青梅第1小学校では学校行事でウサギ狩りをしていたそうだ。

 

明治天皇が聖蹟桜ヶ丘にウサギ狩りに来たという話は聞いていたけれど、昭和に入って青梅でウサギ狩りが行われていたというのは初耳だった。

会場はしばし、ウサギ狩りの話で盛り上がった。

 

最後に、認知症予防をテーマにした「お座敷小唄」の替え歌を皆で歌ってお開きに。

あるお寺の和尚さんが作った歌だそうで、「なるほど」とうなずける内容である。

6番まであるが、ここでは1番と3番を紹介したい。

 

 1.何もしないでボンヤリと

   テレビばかりを見ていると

   のんきなようでも年を取る

   いつか知らずにボケますよ

 3.お酒も旅行も嫌いです

   歌も踊りも大嫌い

   お金とストレスためる人

   人の2倍もボケますよ

 

帰宅後、役員の一人からメールがあった。

参加者の一人がわざわざ役員の家にやってきて、「今日はとっても楽しかった」と言ってくれたそうである。

よかった!

今日を機に、楽しく介護予防に取り組んでくれたら、こんなうれしいことはない。


父の介護

2013年08月04日 | 介護保険

母が亡くなったのが2010年9月23日。

それまでの5年間、毎週のように実家へ通った。

往復5時間の遠距離介護である。

その実家通いが、今も続いている。

一人暮らしになった父(86歳)の身の回りの世話が必要なためである。

 

しばらくは月の前半に私が、後半に妹が行くことにして、月1回で済んでいた。

しかし、足腰が弱くなってよく転ぶようになり、6月に介護保険を申請。

それからは私と妹で毎週交互に、月2~3回ずつ行くようになった。

 

父は「要介護1」に認定され、介護サービスを受けられるようになったのだが・・・

 

私や妹が最も期待していたのは生活援助のホームヘルプサービスだ。

母の時は週2回、ヘルパーさんが来てくれて、食事づくりと掃除をしてくれた。

なので、父も掃除と食事作りのホームヘルプサービスの利用を希望していたのだが・・・

そのサービスが、父の場合は受けられないという

ケアマネージャーさんの話では、同じ敷地内に弟夫婦が住んでいるので、同居家族がいるとみなされ、生活援助は難しいというのだ。

弟夫婦は2人ともフルタイムで働いていて、昼間はいないのに。

 

えっ、そんな・・・・

一体、いつから変わったのだろう?

介護保険は財政事情が厳しくなっているので、サービスも制限されてきているのだろうか。

 

他にも、期待していたサービスが受けられなかった。

父は運転を止められ、病院や買い物に行く足がなくなった。

実家は農村地帯で、近くにスーパーもコンビニもない。

そこで、電動四輪のシニアカーのレンタルも希望したのだが、かかりつけ医の許可が下りず、これもダメ。

自分で買えればいいのだが、20万円以上するのでとても無理だ。

 

受けたいサービスが受けられず、それではと、デイサービスを利用することにした。

デイサービスは昼食や入浴サービスが受けられ、レクレーションも楽しめる。

車が乗れなくなり、一人で家にこもっているより、ずっといい。

父はあまり気乗りしないようだったが、「とりあえず、週1回、試しに行ってみて。嫌ならいつでもやめられるから」と半ば無理矢理行かせることにした。

 

そして7月23日から週1回、デイサービスに行き始めた。

その日の夕方、電話して感想を聞くと・・・

「まあまあだな」と父。

良かった、もう行きたくないと言わなくて。

その日、利用者の中に顔見知りがいたらしく、心強かったようだ。

ただ、女性が多く、食事と入浴以外はやることがなくて、昼寝をしていたとか。

 

そこで、もう1か所、リハビリに力を入れているデイサービスも利用することにした。

昨日はその契約日だった。

ケアマネさんと新しいデイサービスの担当者が2時に来る約束だったので、午前中の用事を早めに切り上げて車を走らせた。

 

いつもは一般道を利用しているが、昨日は「遅れたら大変」と高速道路を利用。

おかげで2時間かからずに着いたが、ガソリン代プラス高速道路代がかかった。

介護は身体的な負担だけでなく、経済的な負担も大きい。

 

介護保険の利用は、サービスごとに契約書を取り交わすことになる。

いつ、どこで、どんなサービスを受けるのか。

その一つ一つについて詳細な説明を受け、必要事項を記入し、印鑑を押す。

契約が終わるまで1時間半もかかった。

 

今度のデイサービスはパワーリハビリの機械を使っての筋力トレーニングも受けられるという。

歩けなかった人が歩けるようになったケースもあるとか。

今より筋力がついて、もう少ししっかり歩けるようになるといいのだが・・・。

 


介護保険は一人ぐらしに不利?!

2013年06月22日 | 介護保険

昨日、往復5時間かけて実家へ行ってきました。

父(86歳)が介護保険を申請し、その認定調査があったためです。

母が亡くなって1人暮らしになった3年前、母の担当だったケアマネージャーさんの「要支援にはなるのでは」とのアドバイスを受け、申請したことがあります。しかし、その時は「非該当」になってしまい、サービスを受けられませんでした。

 

その後、かなり足腰が弱り、最近、よく転ぶようになりました。

階段の上り下りができなくなり、杖を突いても歩くのが辛そうになったので、介護サービスを受けたいと申請したのです。

 

約束に時間に来た市の認定調査員の方は、父にいろいろ質問していきました。

食事は一人で食べられますか?

ボタンのかけはずしはできますか?

上衣の着脱はできますか?

薬の管理はできますか?

などと、次々質問して、その答えを調査票に記していきます。

調査票には、それぞれの項目について、

1.自立  2.見守り  3.一部介助  4.全介助

という選択肢があります。

 

父は一人暮らしなので、誰も世話をしてくれる人がいません。

なので、ボタンがうまくはめられずに、衣服をだらしなく着ていることもあります。

薬を飲み忘れることもあります。

でも、見守りも介助もされていないので、「自立」になってしまいます。

つまり、一人暮らしだと、自分で何とかするしかないので「自立」となり、介護度は低くなって十分なサービスが受けられないということになります。

一方、家族から世話をしてもらえる人は、「一部介助」や「全介助」になって、介護度が重く出ることになり、サービスも手厚く受けられることになります。

これって、矛盾していると思いませんか 

さて、父の結果は1か月後に出るそうです。

ホームヘルプサービスとデイサービスを希望していますが、もし「非該当」でサービスが受けられなかったら、毎週実家へ通わなければならなくなりそうです

 


桜色の春模様

2013年03月23日 | 介護保険

まだ3月だというのに、もう桜が咲きました。

昨日、仕事で出かけた池袋では、東京芸術劇場前の公園の桜が早くも満開。

桜を見に来た人々で賑わっていました。

 

今日は立川から国立まで、桜を追いかけて約10キロを歩いてきました。

立川の普済寺下の河原では、桜の根元を菜の花が彩り、黄色とピンクの競演が見事でした。

根川緑道の桜は八分咲きくらいでしょうか。

いつもは静かな緑道が桜見物の人で賑わっていました。

 

池のほとりに人々が集まっているので行ってみると、何と、カワセミがいるではありませんか。

頭から背にかけて瑠璃色に輝いて、それはきれいでした。

遠すぎて、残念ながら私のカメラでは撮ることができませんでしたが・・・

 

根川沿いのソメイヨシノはかなりの老木で、枝が水面につきそうなほど、大きく張り出していました。

大正天皇の即位を記念して植えられたソメイヨシノだそうなので、樹齢100年以上もたっていることになります。

中には幹が大きく裂けている桜もあって、生命力の強さに驚かされます。

年老いても、毎年春になればけなげに美しく咲き誇る桜。そんな生き方がしたいですね。

 

貝殻坂橋を渡ると国立市に入ります。

両側に桜並木が続く国立市さくら通り。この通りのソメイヨシノのトンネルもみごとでした。

 

途中の道で、白とピンクのきれいな花を見つけました。

これは「思いのまま」という名の梅の一種。1つの枝の中に、淡紅色、紅色、絞り、白と色々な花を咲き分ける梅です。

あまりにきれいなので、思わずシャッターを押しました。

 

さくら通りから、国立駅に続く大学通りへ。

片側2車線の広い通りの両側をソメイヨシノの並木が続いています。

国立高校の北側には、この大学通りをまたぐ唯一の歩道橋があります。

この歩道橋の上からの眺めがまた見事でした。

 

いつ咲くかと気になる桜。咲けば咲いたで、いつ散ってしまうだろうと気になる桜。

そう言えばこんな和歌がありました。

 

「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

(在原業平、古今集)

 


タバコを吸わなくても肺がんになる?

2012年09月03日 | 介護保険

日本人の死亡の第1位はがん”。

では、がんの中で一番多いのは?

何と肺がんだそうです。とくに男性ではダントツの1位。

女性も2位。胃がんを抜いて1位の大腸がんに続いています。

2か月前、前の職場で同僚だった女性が肺がんで亡くなりました。

彼女はタバコを吸っていたのですが、喫煙者でなくても肺がんになるそうです。

 

一昨日、市主催の講演会へ行ってきました。

講師は肺がん治療・手術の第一人者、呉屋朝幸・杏林大学医学部教授です。

 

呉屋氏は穏やかな口調で、丁寧にお話してくれました。

 

さて、その要点を記すと・・・

“がん”は遺伝子の病気だそうです。

身体の細胞が再生産されるなかで、遺伝子のコピーのミスが起きると遺伝子の蛋白質が変質するそうです。こうした遺伝子の異常は毎日数十個起きていて、そのほとんどは修復されますが、何らかの原因で修復されないと、その一部が“がん”になるそうです。

 

発がんの原因となるのは、老化、生活習慣、環境、食習慣など。

肺がんの場合、タバコの煙に含まれるタールやベンゾピレンなどが発がん物質になるそうです。ということは、タバコを吸っている人がいたら、近づかないことが重要ですね。

ところで、ニコチンは発がん物質ではないそうです。

 

最近の肺がん治療は、患者の遺伝子変異検査を行って、その患者に合う薬剤を選択するそうです。

抗がん剤というと、吐き気などの副作用がかなりきついと聞きますよね。

でも最近は、副作用を抑える薬も出ていて、かなり楽になってようです。 

注目は生存率。自覚症状が出て病院に行った人の5年生存率は15.6%

それに対し、検診で見つかった人の5年生存率は51.5%だそうです。

中でもCTを用いた肺がん検診では1cm以下のがんを発見できるので、5年生存率は80%に上がるとか。

 

講演が終わって質問しました。

「タバコを自分も吸わないし、家族も吸わないという人も肺がんになるのですか?」と。

先生の回答は、

「なります。特に女性の非喫煙者に肺腺がんが見られます」とのこと。

肺腺がんとは、肺の末梢にできやすいがんで、初期は咳や痰などの症状がないがんだそうです。

 

肺がんは脳や背骨に転移しやすい怖~い“がん”。

私は喫煙しないから大丈夫と思っていたけど、決してそんなことはないんですね。

 

“がん”は、とにかく早く発見して早く治療を始めるしかありません。

そんなわけで昨日さっそく、検診を申し込んできました。

 

 


憧れの北アルプス、立山登山

2012年08月01日 | 介護保険

いつか行きたいと思っていた北アルプス、立山連峰に登ってきました。

 

(写真をクリックすると大きくなります)

50歳近くなってから登山を始め、毎年夏には穂高、槍、白馬岳など3000メートル級の山に登ってきたのですが、3年前、持病の腰痛が悪化。

膝痛もおこって、「もう、山は無理かな」と半分あきらめていました。

 

でも、「またいつか登りたい」と山への思いは募るばかり。

今年は腰痛も膝痛もあまり出ないので、春、試しに蕨山(埼玉県)に登ってみました。結構楽に登れたので、「うん、これなら」と少し自信がつきました。

 

7月上旬には山梨県の乾徳(けんとく)山へ。この山は以前、槍ヶ岳へ登る前に訓練で登った山です。

本格的なクサリ場がある岩山で、スリル満点。

ちょっと怖かったのですが、何とか無事に登れたので、「これなら大丈夫そう」と立山登山を計画したのです。

 

出発したのは7月29日。朝4時に出て、7時半には扇沢に到着。ここから立山黒部アルペンルートが始まります。

 

扇沢からトロリーバスで黒部ダムへ。気温は22度くらいで超爽やかです。

雪が残る立山連峰と黒部ダムの豪快な放水を眺めてから、ケーブルカーで標高1828㍍の黒部平へ。

そこからロープウェイで大観峰へ。

 

さらにトロリーバスに10分ほど乗り、午前10時過ぎには標高2450メートルの室堂へ到着しました。

室堂は立山黒部アルペンルートのハイライト。

富山側からだと観光バスも入れるので、多くの登山客や観光客で賑わっています。

 

真夏だというのに、周囲の山々には雪渓が残り、燃え立つ緑の中に雪渓の白がまだら模様をつくり自然の造形美を見せています。

 

 

みくりが池の周囲は高山植物が花盛り。

ミヤマキンバイ、イワガガミ、チングルマ、ハクサンイチゲ、ヨツバシオガマなどが可憐な姿を見せていました。

 

ホテル立山のレストランでちょっと早めの昼食をとり、今夜の宿、一の越山荘に向かいました。

室堂にはホテル立山のほか、立山室堂山荘があるのですが、どちらも満員で予約できなかったのです。

 

標高2700メートルの一の越山荘までは徒歩で約1時間。

途中、雪渓の上を歩かなければならず、アイゼンを持ってこなかったので、滑らないよう慎重に歩を進めました。

 

続きは次回のブログで。