おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

新米と聞いて、なにをイメージしますか

2023-01-18 13:38:30 | 言葉

長い冬休みをとって、ブログネタはたまっていると思うのに、ちゃんとメモしないから頭のざるからみんな零れ落ちてしまっています。切り抜いておいた新聞の小さな文を漁ってきました。かなり古いものです。2022年・9月・14日の天声人語。

作家の嵐山光三郎はコメのご飯大好き人間だとのこと。彼がこんなことをエッセイに書いているのだと言います。『新入りの意味としては、新しい前掛けの「新前」が先だった。転じて「新米」なのだが。
でもそれでは「本来の新米にとって失礼だろう」と。

ざっと読んで、私は頭が混乱しました。良く読み取れなかったのです。今ゆっくり読んで、「こうかな」と理解しました。
「しんまい」には二通りの意味がある。「あの子はまだ新米で慣れていないから」という時の「新米」と、実りの秋、新しく獲れた「新米」(本来の使われ方)と。
前者のまだこの世界に入ったばかりの新人という意味で使う時は、新しく支給された新品の前掛けを付けたという「新前」の方が先に使われたのだ。のちに「新米」に転じたのだ。
でもそうすると、本来の「新米(後者)」にとって失礼かな、というのだと思いました。
それにしても新しい前掛けということは知りませんでした。

わが家では、パンはほとんど食べません。老人二人、夕食用に1合炊き、その3分の1ずつを夕食としていただきます。残った3分の一は、翌朝チンして夫の朝食です。私は朝は、果物、とコーヒーくらいしか頂きません。
ウクライナ侵攻で、小麦・石油が値上がり、という話より何年か前、石油高騰のことがあったと思いますが、その時の話です。夫が言いました。
「なにも遠い国から小麦を運ばなくていいんだ、小麦だけでなく、石油も運搬の燃料に使うのだから。日本はコメが余っている、これを食べるのが先だ」と言い始めたのです。
ご主人様の言うとおり、良妻はパンをやめました。良妻???


アルモンデ・・・日経夕刊・令和なことばから

2023-01-17 13:32:04 | 新聞記事から

日経新聞夕刊に「令和なコトバ」というコーナーがあります。ざっと目を通す時、あら、と目を引いたものを読むという程度のファンです。

昨日の夕刊に「アルモンデ」と見出しがありました。
「おや、横文字に疎い私も、なんだか聞いたことのあるような。カタカナ文字はだめだな」と英語落第の私は思ったのです。

執筆氏もあまり料理が得手ではないのかしら。書き出しはこんなこと。

「レアな調味料でも季節外れの野菜でも、レシピに書かれた材料は一つも欠けずに揃っていないと料理が始められない。応用の利かない料理下手によくあること」。

これ、私のことかな。60年も前、結婚して主婦になりました。母からほとんど料理らしい料理を習っておりませんでした。私が反抗的だったのでも、母が甘アマの母であったわけではありません。当時、戦後の貧しい世の中、職を失った父と、農地改革で残された4反の田んぼとで家族10人(8人兄弟姉妹でした)食べて行かなくてはなりませんでした。お手本にするようなご馳走ができる時代ではありませんでした。母も娘に自慢料理を教える余地はない生活でした。
新米主婦になった頃、講談社でしたかしら、毎月、各種料理のレシピをカードにして10枚ずつ1年間で揃うというものが発行されたのです。これ買っておきなさい、と母は勧めました。勤め始めた私は揃えたのでした。

さて今夜は?カードをめくると、見たこともないような写真が載っています。裏にはレシピと、料理法など。
「あ、これがいいかな」。ところが材料を見るとこれ何?と私には未知の物。材料もそろわない、・・・だめだ、いつまでもカードを繰るのでした。不自由な時代の、田舎育ちの私には、材料も未経験のものばかり、どう手に入れていいのか、それよりも前に、どんな物かも分からないのでした。

今もこの困惑は違った形で私をします。世の中変ったのです。料理自体が世界各国から。田舎料理知識では分からない類のものが多いのです。

さて、前置きが長くなりました。「アルモンデ」。アルデンテ・デルモンテなどと同列かな?いえいえ違うのです。カタカナに迷わされてはいけません。
「あるもんで」、日本語です。「冷蔵庫にあるもんで」ちゃちゃっと・・・」

執筆氏はおっしゃっています。
「あまり難しく考えないで、とにかく作ってみること。もし材料がなかったら色が似ている食材に置き換えてみたら。『あれがナイモンデ』などの言い訳はしないで。 


食器のお出まし

2023-01-13 13:43:27 | 日記

 

まるで、瀬戸物大安売りの会場のようですね。我が家の居間の床の間です。いえ、いえ、いつもこうしてはおりません。このお出ましの理由をお話いたします。

40年近く前、夫が舅から相続した土地に、家を新築しました。40年という年月は、私のだらしない掃除のせいもあって、汚れたり、傷んだりしております。息子Kの時代になる時には大々的なリフォームが必要なようです。それまで老人二人は古びた家を労わりながら住み続けるか・・・と思っていました。

ところが40年も経つと電化製品は限界が来るようです。昨年の夏、幸いなことに。秋が来た気配のする頃1階の居間・ダイニング台所共有のエアコンが動くけれど温度が下がらない状態になってきました。これはいかん。

わが家ではお財布のひもを握っているのは夫です。私は、「これだけは家事費に使ってもいいよ」という額を支給されるのです。うまくケチって、安く上げ残った物が主婦のお小遣いになるという方式です。

ああその前に先に述べた金額から、夫が10万円、私が15万円、半年分の特別会計として出し合い、ストックしておいて特別なことがあった時に使うことになっています。いえの小さな修理、電化製品買い替え、交際費などが主な出費です。もっと大きなものは、夫と個人面談で決めるのです。

少しづつ繰越金を貯めて置いたものが、20万円になっていました。息子に相談しました。お正月安売りというものがあるだろう、上手く安く手に入らないかねえ。正月の特別サービスという催しがあって、20畳用がとても安いとか。この度は年寄り出費で求めるけれど、実際に使うのは、あなたたちの方が長くなるんだから、あなたたちの良いように決めて、ということで、息子は自分の見つけたエアコンをすぐにネットで買ったようでした。

先ず担当の取り付け電気屋が、取り付け可能かどうか見に来ました。これが大変。40年という古い家です。考えてみれば40年前には、地球温暖化も今ほどではなく、全ての部屋にエアコンを付けるなどという考えは少数派だったかもしれません。電気屋の言うことがはっきりわからないのですが、「おや、右付けだよ。今度のは左だよなあ。おまけに隣の台所を越えないといけないぞ台所を越えないといけないぞ」「今家を建てる時は、こうしたことも全部考えて、壁の中に初めから部品を組み込むんだけれど・・・」とやりたくなさそうな発言。

「壁の裏は台所。食器棚を置く場所だから、壁の一部を切り取ってもいいわ」ということでやっと話し合い完了。「14日土曜日に工事に来るから、食器棚を動かしておいてください。費用は、相当分御払い願います。ということに。
そんなわけで今朝から食器を全部居間の床の間に移したのです。

まあ、それにしてもあるわあるわ。床の間からも少々あふれ出ました。Kのお嫁さんのMiちゃんが好きなものを使い、捨ててくれるでしょう、と下駄を預けることにしよう。
毎日の内輪のご飯には、同じ、使い勝手に慣れた物だけで十分だよね。一品一品見ると、捨てがたい良いものもあるんだけれど。Miちゃんごめんね。

明日は、おばさんでは電気のこと解らないだろうし、力仕事もあるから、来るよ。なるべく朝早くに来るから、と言ってくれていますが。

 

 

 


今年の年賀状から 2

2023-01-12 16:27:09 | いろいろ

年賀状にも、時の流れが感じられます。すべての人の上を時は駆け足で通り抜けていくようです。

★ 高校時代の女子同期生
職場結婚で家庭を持ち、ご主人の転勤に伴い上京。田園都市線に家を建て暮らしていました。その友の年賀状。長女さんは結婚しても務めを続けていました。子供には恵まれなかったようです。通勤に便利な23区内に住んでいらっしゃったようでした。
「家を売って、マンション暮らしを始めました」。新住所を見ると、お嬢さんの近くのマンションのようです。老後を考えたかな、と思いました。

★ 高校同期、ご主人を速くに亡くされ、ご不幸が続いて、一人息子さんまでが急死なさったのでした。コーラスに熱心な方でしたが・・・。
「住みどころを替えました」。見ると、いわゆる有料老人介護マンションのようです。これから先の生活を考えると、よい選択かなとおもいますが・・・やはりお寂しいかと推測したのでした。

★ 近所のママ友から、電話。

ご夫婦二人で暮らしていらっしゃいました。私たちより3歳くらい年上だったと思います。私も運動だと思い、毎日買い物に出る人ですが、奥様もつらそうな歩きぶりでしたが、毎日スーパーまでお出かけのようでした。娘同士が仲良しでしたからママ友も道端のおしゃべりで近況報告していました。
それが、秋の初めころからばったりお姿を見ないようになったのです。お宅の前まで行ってみましたが、あまり人気のない家の様子でした。もしや・・・と心配していました。こちらからの賀状にその旨を書きました。
そのご返事でした。

「頑張ったけど、自分の身体が持たなくなりました。子どもたちもかわりがわり来てくれましたけれど、まだ勤め人です。明らかに疲れてきているのが分かる疲労ぶりでした。これでは共倒れ、話し合いました。少しは子どもたちに残してやりたいとささやかながら蓄えてもいました。でも・・・です。親も子も何も残さないでいいね。とにかく施設にお世話になろうと決心して引っ越したの」。

人生の締めくくり、容易ではない道筋ですね。呆けた夫と頓珍漢な会話をしながら、いつまでわが身が持つかなと思うこの頃です。施設には、なまなかの費用では入れないようですし。

日本人の平均寿命は延びている、人生100歳、そこまで生きたいという人が多いですが、私はそう楽観できはしないと思うこの頃です。

実家の父母は、見事なほど、何の世話もなく生と死の境目を一跨ぎで跨ぎました。それを見ていた私は、自分もあんなふうに一線を越えられると思っていました。いやいや、なかなか・・・


今年の年賀状から

2023-01-11 14:56:59 | いろいろ

年が明けてからもう10日も経ってしまいました。今年はうさぎ年とて、いただいた賀状の大半が可愛い形のうさぎでした。証券界では「跳ねる年」期待しているようです。
賀状で懐かしいのはやはり若い時代を共に過ごした同年輩の友からのものでしょうか。

それでもその賀状が数を減らしてきます。「賀状じまい」というのでしょうか、昨年の賀状にこれでお終いのご挨拶をいただく方も多くなりました。中にこんな葉書がありました。

「3年ほど前に、これで終わりにするとお断りを書きましたら、それから賀状は来なくなりました。これはまたさびしいものです。後悔していました。所へ、おせっちゃんのハガキ。跳び上がるほどうれしかった」。私は、ずぼらで、賀状をいただいて。住所録を書き換えることもせず、そのまま出したのでしたが。やはり日本のお正月は賀状とともに‥なのでしょうか。喜んでいただいてこちらこそありがとう!!

少し減った賀状の中にこんな素晴らしい作品がありました。

高校同期の書家さんです。これぞ水茎の跡麗しく・・・です。身も心も引き締まるような気がします。私待ってます。来年も下さい。

いつも私のカレンダーづくりに、写真を提供してくださる伊藤信男さん(自然写真家)の賀状です。オニグルミの冬芽だそうです・ウサギちゃんですよねえ。
すばらしい!!ありがとうございました。