おせっちゃんの今日2

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私の折々のことばコンテスト2022から

2023-01-10 13:35:03 | 新聞記事から

確か昨年も同じコンクールの入賞作を題材に書いたと思いますが、今年も新聞1ページを使って発表されていました。中学・高校生がどんな言葉に感銘を受けたのか、どんな言葉が彼・彼女を励ましたか、読ませていただきました。指導する人の言葉の大切さを思い知ります。

★ 最優秀賞・中学生部門 ・・・2年生の女子(おせっちゃんが適当にまとめた)

作文の途中、消しカスがいっぱい出てきた。邪魔だ。カスを机の隅に集めている私に先生の声が聞こえた。

「たくさんの消しカスは努力の証だね」。

書いては消すを繰り返して出てきた「努力の結晶」なんだと思った。褒められたみたいに嬉しくなった。インターネットの時代だけれど手で書くことで、自分の努力が結晶となって見えるのだと知った。

★ 鷲田清一賞・・中学生部門・・今、中学2年の女子・小学5年時の担任の先生

「ワイルドな字だよね」

私は字が汚い。先生が漢字ノートの確認をしていらっしゃった。その先生は人の長所を見つけるのが得意な先生だった。

「ワイルドな字だよね」と声をかけてくださった。
そういう捉え方もあるのか!!今でも覚えている。ありがたい励ましだった。

★ Z会賞・・高校生部門・・高校2年生の女子・・現代文の先生

素敵な文章を書こうと思うほど、うまく書けないもどかしさが募る。そんな時、先生が掛けてくださった言葉。

「あなたが見ている世界を教えて」

私の書く文章から、誰かが何かを読み取り、私の考えに共感してくれるかもしれない。その人にとってかけがえのない文章になるかもしれない。

人間、言葉で結ばれるのですね(おせっちゃん)


故エリザベス女王のご不満

2023-01-09 13:31:41 | 新聞記事から

朝日新聞朝刊に、「特派員メモ」というコーナーがあります。今朝は和気真也さんがロンドンで書いていました。

和気さんは昨年9月、ウエストミンスター寺院前で、4時間葬列を待った。女王の棺に夢中でシャッターを切った。そして、前の晩見た追悼番組を思い起こした。

女王は、開かれた王室を志向し、市民の前に姿を現し、手を振ってこたえることを好まれた。ある時、不満をこぼされた。「最近、皆んなの表情が見えなくなった」と。
原因はスマートフォン。貴重な一瞬を手元に残したい。人々すべてがスマホをかざす。
スマホ越しにしか人々はお顔を見ない。

和気さんは、棺がさらに近づいた時、ほんの2秒ほどだったと思うけれど、スマホから目を外し、棺を直接見て、心の中で女王を思った。

記者としてはまずい2秒だったか?と思ったが・・・

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私共も、同じような体験をしているのではないでしょうか。最近では、熱戦を繰り広げ、世界を歓声の渦に巻き込んだサッカー選手たちが成田に帰ってきた時。迎えたファン、出迎えたのは、掲げたスマホの揺れでした。折角の選手たちを、目を合わせて迎えはしなかった。写真よりは、自分の目で直接見た笑顔、誇らしい顔、これ一生残ると思うけど。

私は、もう少し若かった時、隅田川の花火大会が好きで、4・5年続けて見に行ったことがありました。夜空一杯にはじけ、広がる花火、ドーンと腹に響く音、そして鼻をくすぐる硝煙の匂い、これがそろってこその花火だと思うのです。
それなのに、折角その場に来ているのに、小さなスマホの画面に閉じ込めてしまう人々、なんだか惜しい気がするのです。

 

 


失せ物二つ…無事救出

2023-01-07 13:13:35 | いろいろ

記憶力が弱ってきています。いろいろな事件が起こりますが、夫と比べれば私の方がまだ少しマシでしょうか。5歳の年の差で、5年経てばああなるのかな。
夫は自分のものが見つからないと、このごろは全てを私に下駄を預けてしまいます。こちらも健忘症激しく、自分のものに責任を持つだけでいっぱいいっぱいの状態、下駄を預けられてもねえ。
「そんな時、私がイラついて夫に投げかける言葉。『ここと決めた場所にきちんと置きなさい。財布、眼鏡、鍵、・・・決まった場所に置きなさい』」。これが出来れば苦労はないのだが。

そんながみがみ婆さんが、年末年始、2度もないない事件を起こしました。先ず年末、眼鏡ケースが無くなった。メガネはあるのに、ケースがない。無くなった時付近の行動を思い起こせば、台所で料理レピシを見るのに居間に置いてあるケースから取り出して持ってきたような気がする。居間近辺を推理してはあちこち探せど、姿見えず。
「探す時には見つからないものよ、今日はもうやめよう。明日ひょこっと出てくるから」。何度も思い切ろうとしては、また探しを繰り返し、2日3日と慌ただしい師走を倍増させてイラついていました。

本当にひょこっと出てくるものですね。いよいよ今日が大みそかという日、お節の調理を終わり、居間の最後の掃除をしていました。電話横に、パソコンとプリンターが並べてあります。各電器器具をつないだコードが長すぎるものが横たわり、埃っぽいのです。ハタキとダスキンで言い訳だけれど掃除をしていました。え?これなあに?プリンターの上にかけてある塵除け布の下がった部分からあざ笑うように出てきました。

目出度く新年。1日、2日お節で食いつないで、3日、初買い物に行こうとしました。
頭の中には家の鍵はコートのポケット、と思い込んでいました。いざ玄関を出て鍵を閉めようとポケットに手を入れて探っても、鍵がない!!もう一枚のコートのポケット、ない!!夫がいるから開けっ放しで行ってこよう、そのあとで探せばいい、帰宅してからまた探す探す。ない、ないない。
年末の外出を思い出しては買い物袋、ズボン、全てを捜索、ない!!

こんな時、人間、自分の頓馬さを責めることもするけれど、最後は他人の仕業と考えて、神経のちょん切れるのを防ぐのでしょうか。少しボケがかっている夫、自分のものと区別がつかなくて、持って行ってるのではないか、風呂の脱衣場の小ダンスの上に無意識に私が置いていたカギを、着替えるとて脱いだ下着にくるんで洗濯かごに入れたのではないか、まさかいらないものと錯覚して捨てたのではないか、全て、夫が黒、にしてしまいました。

夜中の11時半、もうあきらめてベッドに行って、掛け布団をはねた。またまたあざ笑いが聞こえた。敷布団の少し皺の寄ったシーツの上に、コロンと転がっているではないか。
そうだ、コートではなく、ダウンのベストで済ませていた時があった。ポケットは浅い。ベッドの陰の、コンセントに敷き毛布の器具を差し込もうとして、横になって手を伸ばした時、滑り落ちたのだろう。犯人は自分!!

翌朝、おはようの挨拶より先に、「ごめん、あった!!」と謝った。

2年越しの失敗の巻。まあ見つかったから目出度い新年の出発としよう。


ことしの干支・・ウサギの話

2023-01-06 14:30:28 | いろいろ

3日の日経新聞・春秋にこんな話がありました。仏教の説話ではうさぎはひときわ気高い存在として輝いているのだそうです。今昔物語に取り上げられているとか。(以下、春秋の文章を切り抜きました)


うさぎがわが身を犠牲にして、他に尽くしたとは知りませんでした。
身を犠牲にしたことは、老人(帝釈天)をすくうという直接的な行為だけでなく、月を見上げるすべてのものに、尊い教えを永久に投げかけるのでしょう。

春秋氏も書いていますが、北朝鮮のミサイル実験も、ウクライナ侵攻のロシアのインフラ攻撃も中国の威圧的な行為も、正月とてもやまない。
うさぎのように、わが身を捨てて・・・はできることではないけれど、そのくらいの覚悟で戦いを止めさせる工夫はないものか。どう考えても、独裁的に一人間違った指導をしている人以外、誰をも幸せにしない行為ではないか。

戦争はすべきではない。


三日坊主…小話で笑う

2023-01-05 13:31:20 | いろいろ

さあ、ブログだブログだと重い腰をおこたから引き抜き、パソコン前に座ったところです。何ということでしょう、もう正月も5日、長い長い冬眠の日を重ねてしまいました。

体調が少し悪かったことと、我が家に日常にはない大事なお客を迎えることがあって、日頃雨戸を閉めたままにしていることも多い家内、草と落葉に埋もれている庭を腰をさすりながら掃除しなければならなかったのです。このお話はまたおいおい書きましょう。

4日の朝日新聞、天声人語に、落語の小話が面白く紹介されていました。愉快なので書いておきます。

★ 三年間は酒を断つと男が誓った。ところがあくる日にはもう、赤ちょうちんの仲間の所へやって来る。
「お前、もうおしまいかい」
「いや、三年を、六年に延ばして、代わりに夜だけ飲むことにした」
「だったら、いっそ12年にして昼から飲め」

★ 「禁煙なんて簡単なことさ。これまでに千回もしてきた」
同じ過ちを繰り返しては悔む。それもまた人間らしい。

私もまた、三日坊主の誓いは幾度となく建てては崩してきました。意思の弱さでは人後に落ちません。夏から脊柱圧迫骨折の後遺症の腰痛にを、併発して、卒業したはずの整形医のリハビリに通っています。医院のベッドで、若者の手を借りリハビリをやり、要領を覚えたところで、宿題として自分で体操をすることを続けています。しかしこれが簡単なようで、ついつい忘れてしまうのです。
三日坊主になりそうです。ただ痛みはかなり頻繁に襲ってきますから、慌てて自習するのです。

三日坊主の私ですが、このブログはかなり好成績で続いていると思っています。いいえ、高品質の文では決してありません、ただだらだらと続けているだけなのですが。13・4年続けていた古いブログは消えてしまってありません。引き続いて初めたおせっちゃんの今日2」、は少しづつ積み重なってきています。
ただ歳のせいでしょうか、必ず毎日、というと重荷に感じることが多くなりました。どうしても書けない日も出てくると思います。折角お訪ねくださって、スカでは申し訳ないのですが、今後ともよろしくお願いいたします。
圧迫骨折で急遽入院、断りもなくおやすみした時、妹のらい太から、「あんた死んだことになってるよ」と言われました。そう思われても仕方ない年齢の婆さんです。そんな時はお許しを。