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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

霊峰・日光の山々(24)女峰山 「殺傷禁断の碑」

2012年12月19日 | 日光・女峰山
.




霊峰・日光の山々(24)女峰山 「殺傷禁断の碑」 .




堂々とした「殺生禁断の石碑」




行者堂のはすぐ裏手が、所謂、行者道で女峰山への登山口となっている。

道は暫くは笹の道で、多少、朝露に濡れながらの登行となる。
薄暗い杉林の中の道は、緩やかな道だが、果てしなく続いているようだ。
救いは上空は一点の雲も無く、透き通るような青の世界が広がっていることであろう。 

有り難いことだが、陽が昇ってからの稜線付近のことを思うと焼かれることが必定で、実は余り有難ばっかりとは言えないのである。



檜と杉の混じり合う樹林帯を漸く抜ける。
東方上空は、赤黄色に迫っていて、間もなく日の出を迎えようとしている。

そして、広々とした草原に到った時、御来光があった。
時に、4時45分、太陽はユラユラと紅蓮の放射光を発しながら、意外と速い速度で上昇してくる。 

やはり有り難いものだと拝まずには居られないほどで、陽光に向かって、今日の所業の無事を祈る。
又、ここから眺める日光連山は格別で、正面に控える女峰の連山は流石に堂々としたもんだ。



植林帯の急斜面には思い思いの踏跡があり、なるべくはっきりした楽そうな道を選びながら進むと、やがて足元は笹床に変わる。

急斜面を抜けると巨大な花崗岩に刻まれた「殺傷禁断の石碑」がぽつ念とあり、その堂々とした立派な文字に驚かされる。



この石を境にすべての殺傷を禁ずるという結界石であろうが、その大きさにはビックリで、高さは2m以上あり、幅といい厚さといい、この場所までどうして運んだのだろうと不思議に思う程の大きさである。 

一枚岩を運び上げるのはそうとうな力仕事のはずであるが、残念なのはこれだけ立派な書体なのに、建立者も建立年代も記されてないのである。




落葉松の点在する笹尾根、やがて、道は尾根の西へと逸れ、再び植林帯の中を進む。
そして又、明るい笹原に出る。 

地形図でいうと稚児ヶ墓に向けて道が二股に分かれる地点で、右手のツツジの回廊へと進むようになる。
ツツジの花季は既に終わったようであるが、ミツバツツジやレンゲツツジが咲き誇り、実にきれいなところである。


ようやく頭上が明るくなると、周囲にはシラカバも目立つようになるが、周囲のツツジはいっこうに減る気配も無く、その茂みの中を進む。

左手に湿地帯が見える頃、ようやく視界が晴れてきて、歩きやすい道となる。



次回、 女峰山 「稚児ヶ墓






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霊峰・日光の山々(23)女峰山 「滝尾神社・2」

2012年12月18日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(23)女峰山 「滝尾神社・2」 .





女峰山の女神(田心姫命)を祀る「滝尾神社」



ところで二荒山神社の創建は、奈良時代の後期、勝道上人が男体山頂に社殿を建立したのが始まりとされるが、更に、一般参拝者が男体山や女峰山への登拝が困難な事から、麓に中宮祠を建立、その後、空海が女峰山の麓に滝尾神社(滝尾権現)を建立して遥拝所としたとされている。


空海は、御存知、平安初期の真言密教の祖である。 
しかし、日光山輪王寺は天台密教の影響を受け、現在に到っても天台宗の寺院である。 
それは、勝道上人は元より、偉大なる滋覚大師・円仁によるところが大きいとも言われる。 
それ以前、つまり空海より前の奈良前期頃には、既に、女峰山への登坂ルートとして、修験道が拓けていたのであった。


滝尾神社は、日光二荒山神社の別宮というより、女宮であろう。 
日光山内に鎮座する本宮神社(子宮)、二荒山神社(現在の新宮・男宮)とともに日光三所権現の一つであり、女峰山の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)を祀る。

明治初年の神仏分離までは、楼門には大師の筆といわれる「女体中宮」の額が掲げられ、仁王像が安置されていたという。
本殿裏には、石鳥居や石灯籠、石柵を配した「-三本杉」の巨木が立ち、これは御神木とされていて、この地が滝尾の大神である「田心姫命」が降臨したところと伝えられている。


滝尾神社・由緒 .

『 聖地日光の中でももっとも聖なる地と言われ、東照宮北側より石畳の参道が約1kmも続く。日光二荒山神社の別宮であり、古く女体中宮と称えられ、本宮神社、日光二荒山神社と共に「日光三社」の一つです。
女峰山の女神が降臨し、弘仁11年(820)に弘法大師により創祀されたと伝えられ、御本殿・唐門・拝殿・楼門・鳥居・石畳は国の重要文化財に指定されている。
滝尾神社は、女峰山の遥拝所なのである 』



次回、 女峰山 「殺傷禁断の碑






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霊峰・日光の山々(22)女峰山 「滝尾神社」

2012年12月17日 | 日光・女峰山
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 霊峰・日光の山々(22)女峰山 「滝尾神社」  .




滝尾神社(本殿)



本殿裏側にある女峰山・遥拝所





序でながら、女峰山の山神を祀る「滝尾神社」について

滝尾神社は、日光の宗教的歴史の中でも、強いて言えば最も重要な地域であるとされる。
ところが、日光山内と違って観光色が無く、一般観光客(参拝者)も少なく、ひっそりとした地域で、雰囲気は身も心も癒されるところである。 
是非、日光の寺社拝観時には、入れておきたいコースであろう。

それに、日光山を中心に周回で巡れる様にもなっていて、このコースは仮の名を「日光歴史探勝コース」ともいわ、あの神橋から日光山内の輪王寺、東照宮を巡ってから滝尾道を経て、滝尾神社へ到り、帰りは行者堂から山内の二荒山神社と大献院を巡るコースである。   

無論、全く逆のコースも考えられ、小生はこの逆のコースがお勧めであるが、やはり、系統的に、目的をもって巡回参拝するのが最も良いことである。

いずれにしても、ユックリ、ジックリ拝観するには、まる1日程度は考えていたほうが良さそうである。


境内には無念橋、酒の泉、子種石、縁結の笹、運試しの鳥居など、かっての史跡も多く霊地として信仰されていた名残が随所に見られ、本殿はじめ多くの社殿が国指定重要文化財に指定されている。



次回、 「女峰山 続・滝尾神社





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霊峰・日光の山々(21)女峰山 「行者堂」

2012年12月15日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(21)女峰山 「行者堂」 .




行者堂





日光山内の神聖な地域、その二荒山神社の脇の道を15分ほど登って行くと、一段高いところに、或るお堂(行者堂)があった。

お堂は行者堂といい、日光の修験道の修行場として建てられた切妻造りの簡素な建造物であり、間口1間、奥行き3間ほどの造りである。

行者堂の前には、哀れにも首が欠けた石仏が4体あり、お堂の中を覗くと左手に杖を持ち高下駄を履いた「役小角」が対座していた。


お堂のはっきりした年代は不明だが、記録によると1575年(天正3年)、桜本坊宗安によって再興されたと伝えられていて、1990年(平成2年)に改築されて、現在に至っているという。

本尊は、奈良時代の修験道の祖、「役小角」(えんのおづぬ)であり、役行者が非常に健脚であったので、足が丈夫になるようにとの信仰があり草鞋等が奉納されている。
栃木県の文化財に指定されている。



因みに、 修験道は、山を神として敬う古来日本の山岳信仰と神道、仏教、道教、陰陽道などが習合して確立した日本独特の宗教である。 

奈良時代に成立したとされ、開祖は役行者(役小角)とされていて、熊野の修験道が有名ですが、その他にも出羽三山、英彦山など各地に修験の霊山がある。

上記の三山は、江戸時代には出羽三山は東国三十三ヶ国総鎮守とされ、熊野三山は西国二十四ヶ国総鎮守、英彦山は九州九ヶ国総鎮守とされて、共に「日本三大修験山」と称せられた。

無論、日光の修験道は男体山を開いた勝道上人が始めたと伝えられていて、男体山や女峰山などの日光連山ばかりでなく、足尾の庚申山、近くは鹿沼市の古峰ヶ原や栃木市の出流山などにも修験の場となっていたようである。


尚、行者堂を右手に行くと、瀧尾神社という古社に通じている。
日光二荒山神社の別宮で、日光山の中心として栄えた神社とされて、本宮、新宮(二荒山神社)とともに日光三社と呼ばれていた。

祭神は田心姫命(女峰山の神)で、神体山・女峰山(2483m)を遥拝する神社でもあり、明治の神仏分離までは楼門に空海の筆といわれる「女体中宮」の額が架かり、仁王像が置かれていたと言う。

弘仁11年(820)弘法大師により創建したとされ、現在のは正保3年(1646年)の建立とされている。
社殿後方に、女峰山を遥拝する樹齢300年の三本杉がある。


次回、「滝尾神社





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霊峰・日光の山々(20)女峰山 「日光三内から入山」

2012年12月14日 | 霊峰・日光の山々
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霊峰・日光の山々(20)女峰山 「日光三内から入山」 .





大正ロマンが残る「JR・日光駅」



6月下旬、梅雨の時期ではあるが、敢えて、日光の「女峰山」(2483m)を目指した。

日光の神橋から輪王寺・東照宮・二荒山神社を通って女峰山に続く道は、奈良時代から平安時代初期に下野で活躍した勝道上人が、男体山を開くために辿った道である。
又、日光修験の秋の修業である五禅頂(日光山の入峰修行の代表的なものは 三峰五禅頂とも呼ばれた;惣禅頂)の道でもあった。




数年ぶりの東京浅草ではあるが、深夜というのに街は未だ華やいでいた。
0時10分の山岳夜行列車は、ネオンの東京を離れた。 東武日光駅に到着したのは2時50分と、2時間半足らずの車中であった。 

そのまま暫く車中で仮眠(始発の発車時間まで、車中で休憩が出来た)し、駅前で手打ソバを腹に押し込んで早朝の4時には出発の運びとなった。



駅前通りを神橋方面に進む。
ここからは、東照宮や輪王寺が立ち並ぶ、所謂、日光山内で境内は迷路のようなもに成っている。 
地図や案内板を見ると、女峰山へは西参道の二荒山神社から入ったほうが、判りやすいようだ。

正面には女峰山、男体山、大真名子山の辺りは既に、朝やいでいて間もなく陽が射す頃であろう。 
西参道方面から、宝物殿そばの手洗いに立寄り、二荒山神社到着。 
御神体に向かって本日の無事を祈る。

二荒山神社は、市内では三社祀られていて、こちらは本社、下社に当たるのだろう、中宮は中禅寺湖ほとりで男体山の麓に鎮座し、山頂に奥宮が祀られてある。

神社左脇の道へと入ると、「女峰山」への標識が現る。


登山道は、社の裏手に開かれていて、道路が途切れると行者堂の参道を進むようになる。御神木の夫婦杉を筆頭に、立ち並ぶ杉の木は日光山内中心部よりも遥かに高く大きい



次回、 女峰山 「行者堂」




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